ケチ子おばさんの空色ハット

山歩き 街道歩き その他お出かけの記録

中仙道⑩前編 和田宿、和田峠 (長野県小県郡和田町)

 

 

二泊三日中仙道の旅、最終日の記録です。

私は二泊三日で予定を立てましたが、佐久平から下諏訪までに交通機関が無いので、早朝の新幹線を利用して佐久平スタートであれば一泊二日で計画を立てる事も出来ると思います。

 

最終日の三日目は五街道最大の難所と言われていた和田峠超えを頑張りました。

和田峠五街道中の最高地点であり、標高1531mあります。当時の直近の宿場は、東(江戸)側が和田宿で、西(京都)側が下諏訪宿となり、その間の距離は5里半ありました。一里は約3.927㎞であり、江戸時代に人間が一時間で歩ける距離と定義されていました。ですので、距離で考えるよりも時間で考えるほうが街道歩きはイメージしやすいのかなぁとも思っていますが、それでも5時間半です。

頑張って実際に歩きましたので、データと共に記録したいと思っています(*^-^*)。

28 和田宿

江戸から28番目の宿場である和田宿は、現在の長野県小県郡和田にあります。長野県の中心にある筑摩山地の麓にあり、鉄道は無く、交通では国道142号線が通っており、下諏訪市に抜けて国道20号になります。

和田峠の入り口(出口?)でもあり、この場所で標高820m程の高さにあります。

本陣1、脇本陣2、旅籠28

宿場の規模としては中規模ですが、峠越えの荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70件ほどあったとあります。

本陣は、幕末である1861年に焼失しましたが、数か月後に皇女和宮の降家時の宿泊地となっていたため、急遽再建されています。明治維新後は一部は寺などに移設され、残った居室棟は役場などに使用された後、平成元年に再建されています。

和田宿本陣

脇本陣は二軒あり、1軒の翠川家の御殿部分が残っています。本陣と同様に幕末の火災で焼失しましたが、同様に急遽再建されたとあります。皇女和宮の降家(1861年11月)の際には4日間で延べ8万人が通った記録があるそうです。凄い👀。

脇本陣翠川家 資料館になっている旅籠河内屋 風情ある街並み

和田宿の本陣が残っている付近とその周辺は、当時の建物が多く残されており、当時の趣がある街道となっています。

高札場跡 お蕎麦屋さん 観光トイレ

又、宿場とその周辺には湧き水が出ている所が数か所ありますので、水分補給しました。

湧き水  宿場内最後の自販機

和田宿に関しては幸せ信州 和田宿 今と昔 に詳しい内容があります。

 

和田峠

和田宿を過ぎるといよいよ和田峠に向かいます。旧街道を抜けると国道142号を歩きますので、車に注意しながら先に進みます。国道を歩いていると峠越えの最後の自販機がありました。

国道142号と最後の自販機

さらに先に進むと国道より少し入った脇道に唐沢の一里塚(👈一里塚の項)があります。唐沢の一里塚は街道が付け替えられたために保存状態がとても良く残っている一里塚なので必見です。

旧街道

国道142号は先で旧142号線と、新和田トンネルに向かう142号線に分岐します。その分岐した所の近くで旧中山道は山道になり、旧142号線に沿うように街道があります。

旧街道入り口と石仏群

街道は綺麗に整備されているのでとても歩きやすかったです。この日は草刈りしてくれていました<(_ _)>。

街道整備と刈り残してくれていたクリンソウ

接待(和田峠施行所)

山道となった旧街道をさらに進むとその先の旧国道142号に出た所に接待があります。

当時の江戸の呉服町の豪商が中仙道の難儀に幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した。その金の利子百両を碓氷峠の坂本宿と和田宿に五十両づつ下付し、1828年に設置された施行所の1つである。

11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行した。

1851年に山崩れで焼失した後1852年にこの場所に再建されて明治3年まで続けられた。

👆説明版より

国道142号と接待
接待の様子と水場 接待の湧き水

東餅屋

再度、旧街道の山道に入り、途中で広原の一里塚(👈一里塚の項)を通ります。接待からのこの区間は長坂と呼ばれていたそうです。その先で再び旧142号に出た場所に東餅屋跡があります。

東餅屋

東餅屋には五軒の茶屋があり餅を売っていた。寛永年間(1624年~1643年江戸初期)より一軒に一人扶持(一日玄米五合)を幕府から与えられ難渋する旅人の扶助にもあたっていた。幕末には茶屋本陣もおかれたが鉄道が開通すると共に往来も途絶え五軒の茶屋も店をたたみ、今は(ドライブイン以外に家は無く)石垣を残すのみである。説明版より。

確かに向かいにドライブインで餅を売っているかもしれない、営業しているか不明なお店がありました(;^_^A。

 

和田峠頂上

東餅屋の先でさらに旧街道に入るのですが、この辺りはビーナスラインと言う高原の自動車道路が走っており、その道路が旧街道を横切っている為人が通れるほどのトンネルがあるのですが、そこが通行止めになっていました。

この区間ビーナスラインで迂回するのですが、道を間違えてしまっています(;^_^A。通行止めの先で旧街道に無事に戻り、この先からは車道から離れて和田峠に向かいました。和田峠の頂上手前は結構急な傾斜ですので、はぁはぁ(*´Д`)言いながらでした。

中山道 和田峠 (標高1531m)

この辺りまでの旧街道は綺麗に整備されています。旧中山道和田峠で標高が1531mあり、和田宿の本陣辺りで標高が820m程なので、標高差は711m。

今回は民宿みやさん(標高約700m)からスタートしたので、和田峠頂上までの標高差は831m。時間は4時間40分距離17.1㎞でした。登山です。はい。

※今回の和田峠超え(民宿みやさんから中仙道と甲州街道合流点まで)の距離は28.9㎞、休憩含む時間は8時間33分でした。出発6時2分、到着14時35分。

和田峠の山頂には御嶽山の遥拝所があります。生憎この日は雲で展望はありませんでしたが、お天気の良い日には展望も良く御嶽山も眺めることが出来るのでしょう。

御嶽山 遥拝所

和田峠は、明治9年(1876年)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋にへ下る紅葉橋新道が開通した為、この峠を通る人は無くなり、古峠の名を残すのみである。とありました。かつては五街道の1つである中仙道で多くの人々が通った道は、とても静かな歴史道となっていました。

紅葉橋新道は今でもあるのかなと、Googlemapで旧トンネル付近を観てみましたが、旧トンネルの上を抜ける道は無くなっている様で、旧トンネルを抜ける旧142号になっている様です。

 

水場(和田峠下諏訪宿側)

和田峠を越えて少し急な山道を下った先に水場がありました。当時の旅人にとってはとても貴重な水場であった事だと思うと共に、汗をたっぷりかいている私にとっても貴重な水場で、美味しく水を頂きました。

峠を少し下った場所にある水場

和田宿から下諏訪宿に向かってはここが最後の水場になります。マイボトルにもたっぷりと補給しました。

ここまでの区間は山道であるので自販機はありませんが、水場が何か所かありますのでで、山水に抵抗が無く上手に補給すれば水に困ることはありませんでした。

 

西餅屋跡

西餅屋は和田峠下諏訪宿側にある「立場」(人場が休息する場所)でした。茶屋本陣二軒を含む四軒の茶屋がありました。幕末の合戦で焼失しましたがすぐに再建されたという。現在は曲の手(まきのて)と呼ばれる垂直な曲がりと茶屋跡が残っています。

西餅屋跡 向こうに国道142号が見えています

下諏訪宿までの道のり

浪人塚(和田嶺合戦跡)

峠越え 下諏訪宿側最初のトイレ

樋橋茶屋跡

木落し坂

諏訪大社の有名な御柱祭のクライマックスでもある木落し。その木落しが行われる木落し坂が旧中仙道脇にあります。

ご神木ではなく模擬御柱と急な斜面の木落し坂

御柱際に使われるご神木と同じ樹齢100年の樅の大木が設置されています。

 

ようやく見えた諏訪湖

和田峠をしきりに降りて、かなり進み民家が多くなってくるあたりに着た頃、ようやく諏訪湖が見えました。思わず声が出てしまいます。江戸時代の旅人も同じように声が出たのではないかと思う程の喜びを感じます。

諏訪湖と湖畔(下諏訪町)の街並み

 

一里塚

49里 芹沢の一里塚

国道142号が向こうに並走している、旧中山道和田宿の江戸寄り、街道の南東側に石碑があります。

芹沢の一里塚 長野県小県郡長和町和田上組

(和田宿)

50里 鍛冶足の一里塚

和田宿を京都側に抜けた先、国道142号を北西から南東に渡った場所に石碑があります。

鍛冶足の一里塚 小県郡長和町和田鍛冶足

右:諏訪街道、左:松澤歩道と石碑にあり、少し?と思いよく見てみると、この場所で旧中山道が国道142と交差しており、ちょっと間隔がある五差路になっています。江戸時代に国道はまだありませんので、地図で見ないようにすると同じ場所で道が二手に分かれており、確かに右が中仙道であり諏訪に向かっており、左はこの辺りの集落に向かう道になっています。

 

51里 唐沢の一里塚

唐沢の一里塚は中仙道が途中で一部路線変更したことにより山中に取り残されたもので、1831年(天保2年)には絵図面で路線から外れていたとあります。

植えられていた木は残っていませんが二基とも原型をとどめている貴重な一里塚です。

唐沢の一里塚 小県郡長和町和田唐沢
南側の塚と北側の塚
近くの石碑とお社 国道142からの入り口(京都側)

国道142号の南西側、国道からの分岐の江戸側、京都側それぞれに一里塚への看板などがあり、山中の整備された登山道を進んだ先、街道の両側に塚があります。

52里 広原の一里塚

ここも山の中に残る一里塚で片側の塚のみ残っています。どちらの塚か不明。冬の降雪期には峠から吹雪が吹き下ろし、一面雪の原になって埋もれてしまうと言われるこの辺りでは貴重な目印になったであろうと。

国道142号に沿う本格的な山道を進み、接待を過ぎて東餅屋との間、街道の南西側に1基の塚が残っています。

片側の一基が残存している広原の一里塚

(和田峠)

53里 西餅屋の一里塚

近くに茶屋が出来た事もありあまり利用されませんでした。明治時代には農地となり場所は特定されていませんとありました。

和田峠を下諏訪側に降り、国道142号を縫うように残っている旧中山道の山道の西餅屋を過ぎて、国道142号を渡り南西側になる旧中山道の山道を進み街道の北東側に石碑があります。写真の上に写っているガードレールが国道142号

西餅屋の一里塚 諏訪郡下諏訪町

54里 樋橋の一里塚

明治維新に取り壊されたとあり、現在は石碑があります。

しかし、ここはかなり解りづらい場所にありました。この辺りは道路が整備されており中仙道は国道142号になっています。その道路沿いではなく、脇道の会社に入る私道を進み、あぜ道のような道を進んだその先にありました。道が間違っていないか不安になりますが所々に会社の物であろう看板が設置されています。そして、国道からかなり離れるのと道が下っているので、ここまで歩いてきて疲れているにもかかわらず頑張れる体力が必要でした(;^_^A。

この辺りの旧街道は道路整備によりなくなってしまっている様子です。

樋橋の一里塚(住所不明)と国道142号の入り口

中仙道歩きのデータはこちら👇

yamap.com

中仙道⑩後編に続く…

記事が長くなってしまったので、全編と後編に分ける事にしました。

後編もよろしくお願いします<(_ _)>👇👇👇

kechico.hatenablog.com

 

中仙道⑨ 塩名田宿、八幡宿、望月宿、茂田井間の宿、芦田宿、長久保宿 (長野県佐久市~長和町)

 

 

中仙道歩き2泊3日の旅。2日目は長野県佐久市にある佐久平駅前のホテルを朝8時前に出発しました。

岩村田宿を超えると公共交通機関が無くなる

中仙道歩きをすると、今まで並走していた道路や鉄道が佐久平を最後に無くなります。次に主要幹線道路や鉄道の駅があるのは約60㎞先の下諏訪宿になります。かなり遠いです。

途中に峠がありますが、一日に30㎞歩くとして2日はかかりますし、途中で電車も高速バスも無いため、宿泊することになります。この区間の後半には五街道の難所とまで言われた和田峠が控えているので峠に一番近い場所で泊まりたいと計画をしたいのですが、この区間は道路も鉄道も無いという事は人の流れが無いので、宿泊できる宿は限られます。

 

この区間での宿泊

一つ目は長久保宿を和田宿の間にある民宿みや。もう一軒は長久保宿にある浜田屋旅館です。浜田屋旅館さんはコロナ渦で営業をお休みされた経緯があるそうなので確認が必要と思います。この辺りの徒歩圏内で他に宿はなさそうなので、面倒でも必ず予約をした方が良いです。お宿の方は中仙道歩きの方によく利用されているようなので、対応もとてもスムーズです。

 

23 塩名田宿

日本橋から23番目の宿場である塩名田宿は、現在の長野県佐久市塩名田にあります。

千曲川の東側にある宿場で比較的規模が小さい宿場ですが、千曲川の増水により川止めになることが多く、連泊を余儀なくされる為、重要な宿場でもありました。

宿場の江戸側の入り口 高札場は現在でも現役です

当時の風情がある街道

本陣2、脇本陣1、旅籠10

本陣丸山喜兵衛家 問屋本陣

二件あった本陣の内の一軒は食料品のお店になっている様で、もう一軒は焼失したとありました。本陣、脇本陣、問屋などの重要な職は丸山家一族で行われたとあり、江戸時代を感じます。

お滝通り

千曲川の東岸にある塩名田宿は下宿、中宿、河原宿と三か所に分かれて呼ばれており、本陣などの要所は江戸側の下宿にあったようです。千曲川の氾濫を考えての事かな?

下宿と中宿は千曲川の川岸より小高い場所にあります。現在は高い場所をつなぐように国道が付けられているのですが、旧中山道千曲川を渡って向い岸に抜ける為、河原に向かって降りていきます。少し下った場所に河原宿と呼ばれる集落があり、その集落を抜ける旧中山道をお滝通りと呼ばれている様です。

中山道は河原宿に向かって下る

正面の角屋さんは茶屋だったそうです。木造の三階建ての住宅が並ぶこのエリアも風情があります。明治時代には花街で賑わったそうです。

塩名田宿の河原宿お滝通り 松が風情あります

お滝通りの名前の由来となったお滝があり、当時は豊富な清水が湧き出ていたそうで、旅人にとってもとても貴重な清水でした。この水を利用して佐久鯉の養殖もおこなわれていたそうです。

清水が湧いていたお滝

明治時代には花街や鯉の養殖等で賑わった場所であることは、立派で風情がある住宅が残されている事を納得させられます。

河原宿を先に進むと千曲川にでます。江戸時代の旅人はここからは、架けられていれば橋を渡り、橋が無ければ船の渡しで千曲川を渡り、先に向かいました。

塩名田宿から見る千曲川と日本百名橋である中津橋

千曲川に橋が架けられたこともありましたが、洪水の度に流されたとあります。明治時代には、船をつないでその上に舟橋をかけたとあり、船をつなぐ際に使った船繋ぎ石が残っているそうです。

 

24 八幡宿(やわたじゅく)

24番目の八幡宿は前宿である塩名田宿から千曲川を挟んで京都側に約1里の場所にある川止めになった時の待機宿でもありました。また、千曲川沿いの米の集積地でもあった為、江戸時代初期に整備されている宿です。現在は長野県佐久市八幡になります。

大日如来

千曲川を京都側に渡りしばらく歩くと、街道より少し入った場所に大きな大日如来の石仏が祀られています。

大日如来 向こうには浅間山見えます

仏像と浅間山の構図を観ると何かしら関係があるように思いますが、詳細は解りませんでした。江戸時代初期の様です。

 

八幡神社

八幡宿に入ると北側に宿場名の由来となった八幡神社が祀られています。

八幡神社と隋神門

かなり立派な隋神門であり、建立は1843年(天保14)年の江戸末期で、小諸藩主によって建てられている。この辺りは千曲川下流である小諸幡になるのですね。

 

本陣1、脇本陣4、旅籠3

八幡宿内は宿場の面影が殆ど残っていませんが、本陣門は残っていました。

本陣の住宅跡外観と本陣門

八幡宿を出ると京都側に碑があり、県道から分岐しています。先の笠取峠までは11.9㎞と、まだまだ先です。

八幡宿京都側の碑 ちょっと珍しい祝言夫婦道祖伸

その少し先に道祖伸が祀られています。街道歩きをしていると古くから祀られて大切にされている石仏を観ることが多くあります。

この、道祖伸は夫婦道祖伸なのであり、安曇地域の道祖伸は日本神話の神様の衣装を着ている事が多いのですが、宮廷貴族の衣装を着ている珍しい道祖伸とありました。

 

25 望月宿

望月宿手前の方まで来ると、国道142号線が旧中山道に沿うようになってきます。

瓜生坂

望月宿と書いた真新しい常夜灯を過ぎる辺りより、瓜生坂に入ります。瓜生坂を登るとすぐに一里塚があります(👈一里塚の項)。瓜生坂は標高700-800m程ある尾根の低いであろう場所を抜けていますので坂道でありますが標高差で100mもありませんので普通に歩いて抜けられます。

瓜生坂の石碑 瓜生坂を超えた京都側にある長坂の石仏群

道路は車道に整備されていますが、京都側は旧中山道が山道として残っており歩いて抜けられます。

 

本陣1、脇本陣1、旅籠9

望月宿も比較的小さい宿場でありますが、古い町並みが残っています。

本陣と脇本陣 資料館もあります

宿場内に資料館が作られており、少し入った所に観光トイレもあります。

 

 茂田井間の宿

望月宿と芦田宿の間に茂田井間の宿があります。宿場間の距離は1里8町とそんなに離れてはいないのですが、1742年(寛保2年)の大洪水で望月宿が大きな被害が出たため、望月宿に加宿を申し出たが却下された経緯があるそうです。当時は中仙道の大通行の際に休憩所として機能しました。

 

酒造業

この地域は良質な米の産地でもあった事より、1688年(元禄2年)創業の蔦屋、現:大澤酒造、1868年(明治元年)創業の叶屋、現:武重本家酒造が現在でも酒造業をされています。

大澤酒造と武重本家酒造

武重本家酒造さんは映画「たそがれ清兵衛」のセットが作られたそうです。

高札場と石割坂

茂田井間の宿には二か所の高札場跡が残っています。

また、宿場を抜けた先の坂は、中仙道を通すときに大きな岩があった為、岩を割って街道を通したことより石割坂と呼ばれています。石割坂に茂田井の一里塚があります(👈一里塚の項にあります)。

高札場

26 芦田宿

江戸から26番目の芦田宿は、長野県北佐久郡立科町にあります。

宿場内に当時の面影は強く残っていませんが、本陣の他に茶屋6軒、商科2軒、医師3軒、髪結2軒、按摩1軒と細かく説明版に書かれていました。

芦田宿の江戸側の常夜灯

本陣1、脇本陣2、旅籠6

立派に残っている本陣
二軒あった脇本陣跡と庄屋跡

笠取峠

街道を歩く人々にとって難所であった峠。笠取峠は標高900mであり、峠の頂上からの浅間山が絶景で笠をとって仰ぎ見たや、夏の暑い時期は疲れと暑さで思わず笠をとった等、所説あるようです。現在の笠取峠の頂上は、国道を通すときに山を削ったので、当時の頂上ではないとあり、見晴らしは良く無いです。

峠を挟む宿場の間の道は、現在では国道142号線が通り抜ける峠道になっています。旧中山道は芦田宿(江戸)側は笠取峠の松並木に沿って歩き、長久保宿(京都)側は国道142号線を縫うように歩きます。

笠取峠の頂上 国道142号線脇にある石碑

国道に沿うように歩きますが、国道ではない旧中山道を歩くこともあるのか、この区間はお店も自販機も無かったと思います。当時の茶屋跡が二件残っており、松並木にある茶屋跡は東屋のみですが、峠を越えてた先には現在もお店があり、旧街道を歩いていて食事が出来そうなお店はここだけだったように思います(;^_^A。

松並木にある東屋、茶屋跡と現在も営業していたお店

 

笠取峠の松並木

芦田宿から笠取峠にかけて約2㎞、幕府により約753本の赤松の苗を植えられました。国道が整備されましたが、脇にずれたためほとんどが当時の趣で残っており、現在でも約150本の樹があるそうです。

街道沿いに植えられた赤松 樹齢300年になる樹もある

中仙道笠取峠だけでなく、幕府は各街道を改修した際に松や杉を植えて並木を作っています。夏は旅人に木陰を作り、冬は雪でも歩きやすくしたとあり旅人への配慮を感じます。実際、日差しが強かったこの日では、日陰の有難さを身に沁みました。

 

27長久保宿

27番目の宿場である長久保宿は長野県小県郡長和町にあります。この日のここまでの宿場もそうですが、この辺りは明治に入り日本が近代化する際に主要道路や鉄道が通らなかった地域であり、現在でも地方国道である142号線しか通っていません。

その為もあるのか、長久保宿では当時の貴重な品々が残されており、無料で一般公開されています。これまでの中仙道歩きの中では一番の見どころだとと思いました。

本陣1、脇本陣1、旅籠43

宿場の規模は比較的大きく、その理由は難所である和田峠と笠取峠の間にあることがあります。宿場の形にしては珍しく途中で直角に曲がっているのは依田川の氾濫にて宿場の一部が被害を受け、再建する際に川岸より離れた場所に作った為とあります。

本陣 岩合家住宅

中山道中で現存する最古の本陣遺構とも言われているそうで、構築は17世紀後半と推定されているそうです。また岩合家4代目当主に真田幸村の娘が嫁がれているとの事👀。

脇本陣跡と高札場、長久保宿京都側の碑

長久保宿の資料館(無料)のblogはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

一里塚

 (岩村田宿)

43里 平塚の一里塚(発見できず)

ここはWikipediaには記載されていないのですが、GoogleMapには平塚の一里塚跡で乗っていました。実際にその場所に行くと、宅地造成されているので、区画整理されてしまったのかもしれません。

GoogleMapの場所の向かいに荘山稲荷神社があり、その場所が少し小高く盛り上がっているのが気になりました。芭蕉の句碑もあります。しかし、このすぐ近くに中部横断自動車道が作られているので、その影響でなくなってしまったこのもあるかもしれないです。

佐久平塚荘山稲荷神社 小高い場所にありすぐ後ろに高速道路があります。

 (塩名田宿)

44里 御馬寄の一里塚

木の碑があります。長野県佐久市御馬寄

 (八幡宿)

45里 瓜生坂の一里塚

瓜生坂の一里塚南側 長野県佐久市望月

北側は道路で半分削られています。

 (望月宿)

 (茂田井間の宿)

46里 茂田井の一里塚

長野県北佐久郡立科町茂田井 この塚は作ったのかな?

両方の塚に榎の根があったと天保の記録にあるそうです。

 (芦田宿)

47里 笠取峠の一里塚

笠取峠の松並木同様に一里塚にも赤松が植えられています。

かなり大きい松の木であり、大木が当時の面影を残しています。現存しているものとはっきりと書かれていませんが、48番目の一里塚の看板に笠取峠に当時の一里塚が一基現存していると書かれていました。赤松が植えられており、現存している大変貴重な一里塚です。

48里 四泊の一里塚

国道142号わきに看板があります

ここには地元の人々に親しまれた榎の大木がありましたが、国道の改修工事により1960年(昭和35年)に伐採されたとありました。

 (和田宿)

 

街道沿いのあれこれ

公衆電話

岩村田宿の先の街道沿いの立派なお屋敷の門の脇にあった公衆電話。

公衆電話

作られた当時には大変貴重な物だったのだろうと思う。衆の字が少し違うのは気のせいかな。

 

犬神家の一族で使われた旅館

犬神家の一族での那須ホテル 芦田宿内

食事🍴🍺と宿泊🛏️

朝食は、宿泊していたビジネスホテルの無料朝食を頂き、昼食は簡単にパンで住ま線ました。夕食は民宿でビールと共に頂きました。

食事🍴

お宿とお布団

布団の寝心地が良かったです。民宿の為、音などホテルと違う配慮は必要でした<(_ _)>

中仙道歩きのデータはこちら👇

  • 出発7:45 到着16:11
  • 所要時間 8時間28分 距離27.6㎞
  • 平均歩行時速 約3.4㎞

yamap.com

 

宿泊と使ったお金💰

宿泊 民宿みや(長野県小県郡長和町大門653)

  • 宿泊料金(1泊2食) 11500円+🍺2本1540円=13040円
  • コンビニ(飲料、軽食等) 948円 
  • 自販機 110円
  • 合計 14098円

中仙道⑧ 追分宿、小田井宿、岩村田宿(長野県軽井沢町~佐久市)

 

 

そんなこんなで前置きblogを書いていい訳ばかりしている変なおばさんなのですが、中仙道歩きを一年3かけ月ぶりに再開しました。

言い訳ブログはこちら👇

kechico.hatenablog.com

前回、軽井沢の少し先にあるしなの鉄道で二駅先の信濃追分宿で終了していたので、今回も信濃追分宿からスタートしました。

軽井沢駅からしなの鉄道に乗る 240円

今回は二泊三日の計画にした為、一日目は中軽井沢にある追分宿から佐久市にある小田井宿にしていたのですが、現地まで歩いてみると宿泊先と次の宿場の位置関係が、岩村田宿まで歩いたほうが効率が良さそうでしたので、急遽、岩村田宿まで歩きました。

距離は約17㎞であり、所要時間は約5時間、時速約3.4㎞であり、江戸時代の一里が約3..927㎞に対して少し遅い速度でした。

 

20 追分宿

追分宿は江戸から20番目の宿場で、現在では長野県軽井沢より長野方向に国道18号に並走されて進んだ先にあります。江戸側の19番目の沓掛宿からは1里3町、京都側の21番目の小田井宿までは1里7町です。

鉄道では、軽井沢駅よりしなの鉄道で二駅です。

軽井沢周辺でもあるこの辺りからは浅間山がとても美しく見えますが、浅間山は活火山で噴火を繰り返している山です。江戸時代にも噴火しており、大きい噴火の1つに1783年8月5日(天明3年7月8日)天明の大噴火があります。浅間山の噴火により軽井沢宿、沓掛宿追分宿は被害を受けたとあります。

中仙道より観る浅間山 2021年3月10日

宿場は国道18号より北側に入ると宿場の入り口に比較的新しい常夜灯があります。

 

本陣1、脇本陣2、旅籠35

本陣は残念ながら残っていませんが、本陣の裏門が宿場内にある堀辰雄文学記念館に移設されていいます。

移設されている本陣の裏門

脇本陣である油屋さんは当時の建物を利用して文化事業をNPO法人として行われている様です。

その他に当時の茶屋である、つるがやが残っています。宿の入り口に桝形の道と土手を作りその中に建てられた茶屋が残っています。桝形にしたのは三代将軍家光が、大名に参勤交代を指示した為、宿場内の警備の為とあります。現在では桝形であったことが解るものが残ってないです。

脇本陣油屋と茶屋つるがや

宿場内の街並みと高札場

現在の宿場内は綺麗に整備されており、浅間山が近いためか、たっぷりの綺麗な水が用水路を清々しく流れています。

宿場内の高札場は寛永10年(1633年)の当時の資料により昭和58年に復元されたものとあります。高札も木で復元されたものが掲げられいますが、本物は郷土資料館に展示されているとありました。

水が流れる宿場内の風景と復元された高札場

信濃追分

追分(おいわけ)とは

元は牛馬を追い、分ける場所をいみしたとありますが、追分(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所を指す言葉である。街道の分岐点を意味している。Wikipediaより。

中仙道の追分は

本郷追分、:中仙道と日光御成街道の分岐。現在の東大農学部正門前(東京都文京区)

平尾追分:中仙道と川越街道の分岐。現在の板橋郵便局前交差点

追分宿:中仙道と北北国街道(ほっこくかいどう)の分岐信濃追分に作られた宿場

垂井追分:中仙道と美濃路との追分。現在の岐阜県不破郡垂井町

と、Wikipediaにあります。

追分宿は宿場の名前であり、追分の名前が信濃追分の様ですね。

 

分去れ(わかれされ)の道しるべ

右:従是(これより)北国街道(ほっこく街道)

左:従是(これより)中仙道

とありますが、石碑の文字は読めないかな…。

分去れの碑 国道18号沿いにあります。

ここより街道が二手に分かれ(追分)、中仙道より分かれるのが北国(ほっこく)街道です。

北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道であり、北国脇往還や善行寺街道とも呼ばれています。信濃追分より善光寺を経て北陸道に合流しているそうです。

 

信濃追分の先、取り残された中仙道

中仙道は、江戸東京日本橋より始まり、ここまでは主に国道18号線に沿うように(沿われるように?)通っていますが、国道18号は信濃追分より北国街道に沿って行きます。中仙道は御代田町から佐久市に向かっていますがこの間に沿う国道は無くなり、旧中山道は県道でもない道となり、道路は車が通れるように整備されていますが、当時の風情を思い浮かべることが出来るような旅になります。

当時の主要な道路であった中仙道ですが、江戸時代から明治時代になり、交通手段が歩くことから車や鉄道へと変わりました。それに応じて線路や道路も整備されていますが、多くの鉄道や道路は人々が多く住む当時の街道沿いの宿場を縫うように作られています。しかし、ここから先は下諏訪宿まで幹線道路も鉄道も沿わなくなっています。時代の変化と共に人々の流れが大きく変わった地域です。

しかし、人の流れが無くなった為に当時の物が良く残っている地域になっている様にも思えます。

鉄道もしなの鉄道と離れてしまい、佐久市の新幹線が停まる佐久平駅の近くを通りますが、その先は下諏訪宿中央本線まで鉄道はありません。

中仙道旅をしゃくとり虫🐛方式で歩くには結構大きい難関である区間になります。

 

21 小田井宿

小田井宿北佐久郡御代田町にある、江戸から21番目の宿場にです。江戸側の20番目の追分宿からは1里10町、京都側の22番目の岩村田宿までは1里7町です。

参勤交代で大名が追分宿で宿をとる為、小田井宿は姫君や側室が泊まる事が多くあり、姫の宿と呼ばれたそうです。皇女和宮降家の際にはお昼食休みをされたそうです。

宿場の繁栄期には199戸、人口524人であったようですが、宿場としては規模が小さく、伝馬が主な役割だったとあります。

小田井宿の歴史は古く、慶長年間(1595-1615)には宿駅として機能していたとあり、江戸時代前から初期にかけての時代で、中仙道が整備される以前からあった事になります。徳川が中仙道を整備する前には、東山道が通っていました。

 

本陣1、脇本陣1、旅籠5

宿場内に立派な本陣(安川家住宅)が残されています、脇本陣跡、問屋跡(屋台家住宅)が残っています。街並みも江戸時代の宿場を思えるような風情があります。

本陣と脇本陣
本陣門と風情を感じる宿場町
問屋跡と旅籠かな?

22 岩村田宿

昭和レトロな街並み

岩村田宿は長野県佐久市岩村田にある、江戸から22番目にある宿場です。江戸川の21番小田井宿からの距離は1里7町、京都側の23番目塩名田宿までは1里11町とあります。

本陣は大破したか焼失したか不明とあります。現在の中仙道沿いの街並みは昭和な感じの商店街が立ち並ぶアーケード街の様になっており、当時を思わせるような建物や史跡はほとんど見当たらないです。

昭和レトロな商店街

昭和の風情がある街並みを抜けた先で中仙道は直角に曲がっています。江戸時代の街道は防衛の為にわざと直角にまげて作られた経緯があります。甲州街道での八王子にはそういう場所があるのですが、八王子には八王子城があったよなぁと思いつつ、この辺りにわざわざ街道を直角にまげて防衛する必要があったのかなぁとも思います。

高度経済成長期に町が変貌する中で一斉に区画整備をされ、道路整備の影響かもしれません…。良く解らないです(;^_^A。

相生町交差点で中仙道は直角に曲がっています 相生の松

龍雲寺

岩村田宿より江戸側に龍運寺と言うお寺があります。中仙道を歩いていると多くの立派な建物を観ることが出来、だんだん目が肥えて来るのですが、街道から少し入った場所にある龍雲寺の門がとても立派なので目に留まりました。

龍雲寺の門

かなり、立派な門です。

岩村田宿の本陣が無いため、本陣門がここに移されたのではないかとか、龍雲寺が本陣の役割をしたのかとネットではありますが、場所が宿場であったであろう場所から少し離れていいるので定かではないです。

このお寺は武田信玄にゆかりがあるそうです。

 

住吉大社

岩村田宿より江戸側にある龍雲寺よりもう少し江戸側に戻った先の街道沿いに住吉大社があります。ここのご神木と常夜灯が凄かったです。

かなり凄いご神木と、溶岩で出来た?常夜灯



 

一里塚

39里 追分の一里塚

追分の一里塚は江戸から京都方向に向かって追分宿手前、国道18号を挟むように塚が残っています。

追分の一里塚北側と国道18号を挟んで南側の塚
長野県北佐久郡軽井沢町追分

一里塚は一里毎に街道の両脇に作られていますが、両塚の間の距離が狭いところと広いところがあります。街道のでのひとの賑わいによって違うと思っていますが、江戸時代に作られた一里塚が、現在の片側一車線の国道の幅に収まっている事に感動し、もし、間隔が狭かったならば一里塚は無くなっていたのだろうなと思いました。残っていいるって素晴らしいですね。

(20 追分宿)

40里 荒町一里塚は残念ながら発見できず<(_ _)>。

41里 御代田の一里塚

追分を過ぎて旧中山道を歩いていると街道沿いに標識が建てられています。旧街道が今の場所に変更されたため、街道より北側に少し入った場所にあり、当時に植えられた木も現存している大変貴重な一里塚です👀。かなり凄い👀。1635年以前には作られていたとあるので387年以上前のものという事になります。

樹齢400年弱もある樹が残っている一里塚
北佐久郡御代田町御代田
街道沿いに標識があります。 北側の一里塚も残っています。

(21 小田井宿)

42里 鵜縄沢の一里塚

ここはWikipediaには詳細が書かれていない一里塚ですが、看板はありました。

鵜縄坂の一里塚の説明版 住所不明

小田井宿を過ぎた先で、中仙道は県道9に合流します。その先にある山👀のような場所の麓に説明版がありました。GoogleMapにも載っていますが、場所がその小高い山になっているようです。登り口は解りませんでした。

この辺りにあるようなのですが解りませんでした<(_ _)>。

(22 岩村田宿)

ちょっと寄り道

何故かシャーロックホームズの銅像

信濃追分から少し中仙道から外れた先に庚申塚がある公園があり、その公園にシャーロックホームズの銅像がありました。

庚申公園とシャーロックホームズの銅像(有志でつくられた様子)

中仙道記念館

信濃追分の先の旧中山道沿いにあり、個人が運営されているような感じです。開館日が限られている様で平日は閉館していました。可愛い中仙道歩きができるように作られている場所もありました。

中山道記念館

中仙道歩きのデータはこちら👇

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日程と昼食と宿泊、使ったお金💰

二泊三日で計画した今回の中仙道旅の一日目は佐久平で宿泊することにしました。そうすると、一日目の距離は約17㎞となり、都内の自宅からはゆっくりと出発し、高速バスに乗り軽井沢にお昼過ぎに到着しました。

都内のターミナル駅から軽井沢に高速バスで移動

それから佐久市岩村田宿まで歩き、佐久平駅にあるイオンで買い物をしてビジネスホテルに宿泊しました。

お昼はしなの鉄道でのんびり鮭おにぎり🍙 宿泊は佐久平にあるビジネスホテル
  • 地下鉄 168円
  • 高速バス 2200円
  • しなの鉄道 240円
  • イオンで夕飯と飲料他 1057円
  • 宿泊費 7700円
  • 合計 11365円

 

 

これまでの中仙道歩きのblogはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

甲州街道はこちら👇

kechico.hatenablog.com

中仙道歩き再開とブログの無い中仙道⑥安中宿~横川駅 ⑦横川駅から碓氷峠、軽井沢~信濃追分

 

 

楽しみの一つである中仙道歩き。

江戸東京日本橋を出発したのが2020年12月の事で、その後頑張って軽井沢手前の碓氷峠を超え、信濃追分まで進んでいましたが、それから1年3か月も放置してしまいました<(_ _)>。

しかも、以下の中仙道⑥と⑦はblogにアップしていないという有様です<(_ _)><(_ _)>。

取り急ぎ、⑥と⑦に関してのデータはYAMAPにUPしています👇

中仙道⑥安中宿から横川駅

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中仙道⑦横川駅から追分宿

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中仙道を歩き始めて、都内から都心を抜け楽しく歩き進んでいた私の初めての難関は碓氷峠越えでした。碓氷峠は江戸時代にも難所と言われている峠なのですが、現在でも難所であります。

kechico.hatenablog.com

 

現在の碓氷峠は、国道18号が通っていますし、碓井バイパスもあるので車では簡単に超えられる峠になっています。しかし、この間に鉄道は新幹線しかないのです(T_T)。

都内の自宅から通称しゃくとり虫🐛方式で歩いているので、どうした物かなぁと色々考えて何とか計画を立てて碓氷峠を超える事が出来ましたヽ(^。^)ノ。そして、その先の(信濃)追分宿まで進みその日は終了しました。

 

峠越えをなめてはいけない…。

 

その後、その先の中仙道を確認しながら峠を観ていると、和田峠があることに気付きました。中仙道だけでなく五街道最大の難所と言われた峠です。

碓氷峠で少し学んだ私は、峠越えにかかる時間を考えて逆算するように計画をしようと思いました。そしてある事実に気が付きます。

 

中仙道は軽井沢を抜けると佐久市に向かい立科町、長和町に続くのですが、佐久市佐久平駅を最後に、この間に鉄道は走ってなく、次に駅に近くなるのが中央本線下諏訪駅になるのです。

道路はどうかと思うと、軽井沢先の追分宿までは国道18号が並走しているのですが、追分宿の先は分かれた街道である北國街道(善行寺街道)に国道20号は並走し、長野市方面に北上していきます。一生に一度は善行寺参りとも言われていますので、江戸時代にも多くの旅人が歩いた道ですが。

取り残された中仙道は県道にもなっていなく、並走する道路も無い昔ながらの風情を楽しめる街道となります。江戸時代には主要道路である中仙道を多くの旅人が歩き、宿場は栄えたのですが、今では交通が無く取り残されてしまったかのような場所になっています。

しかし、取り残されてしまった為、運よく色々な物が残されている場所でもあるので、江戸時代に興味関心があればとても魅力的でもあります。

資料館に展示されていた合羽やみの、けさ 初めて本物を見ました👀

両方の塚が綺麗に残っている👀 51番目の唐沢の一里塚

 

長野県まで来ると日帰りのしゃくとり虫🐛をするには時間も交通費もかかるようになるので、宿泊したほうがよさそうだなとなってきます。しかし、この先で都内に戻る交通機関と思うと、やっぱり下諏訪まで抜けるしか方法はなさそうです。

佐久平から下諏訪まで約60㎞。

しかも、主要交通が通っていないとなると、人の流れが無いので宿泊するにも宿を探すのに難航します。

 

そういう事に気付いてしまい、計画を立てるのが後回しになってしまいました。計画を立てるのも楽しみの一つなのですけれどね(;^_^A。

 

現実逃避するかの様に甲州街道を歩いてみたり(;^_^A👇

kechico.hatenablog.com

kechico.hatenablog.com

 

でも、やっと中仙道を再開したいとウズウズするようになり(*^-^*)、

やっと先に進むようになりましたヽ(^。^)ノ。

 

中仙道⑧のblogとYAMAPのデータはこちら👇

kechico.hatenablog.com

yamap.com

 

まだ、先の記事が書けていないので、とりあえずYAMAPのデータです👇(;^_^A

yamap.com

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秩父三十四観音霊場 20番から24番



 

秩父三十四観音霊場巡りをしています。

総距離約100㎞ある秩父三十四観音霊場で、車やバイクで回る人、バスなどの公共交通機関で回る人もおり、皆さん様々な形で霊場巡りをされています。

そんな中、出来る限り昔の様に歩いて巡礼しています。

三十四か所を通して回れれば良いのですが、まだ仕事をしているのでまとまった休みを取るのは難しいのと、都内に住んでいるので秩父は日帰りで行けることもあり、通称しゃくとり虫🐛方式で歩いています。

江戸から秩父までの街道を歩くのも良いのですが、現在、五街道歩きにも挑戦しているので、そちらが落ち着いたら歩いてみようかなとも思っています(;^_^A。

 

これまでの記録はこちら👇

秩父三十四観音霊場と狛🐺犬探し城峰神社、道の駅万葉の里 - ケチ子おばさんの空色ハット

秩父三十四観音霊場 二番から九番 - ケチ子おばさんの空色ハット

秩父三十四観音霊場 十番から十九番 - ケチ子おばさんの空色ハット

 

秩父三十四観音霊

👇前回のblogと同じ内容です(;^_^A

秩父三十四観音霊場は1234年(2021年より787年前)室町時代に作られたとも言われています。

江戸時代に入ると、観音霊場巡りは伊勢参りと並ぶ庶民に人気の旅になったと言われます。街道が整備されたこともあり、善行寺参りや成田山新勝寺などへの参拝も盛んに行われて旅行ブームだったともあります。しかし、ひと月以上もかかる旅は費用もかかり裕福でないと難しかったようです。

秩父三十四観音霊場は江戸からほど近い距離にあったこともあり、多くの江戸庶民の観音信仰巡礼の聖地として賑わいました。

秩父方面にドライブすると、宿場町であった場所を観ることが多くあり、宿場があったという事は、街道があり、その道を通る人が多くいた。多くの人々が訪れた秩父霊場巡り。江戸時代は今の様に電車や車もありません。人々は歩いて秩父に向かい、約100㎞ある三十四観音霊場を参拝した。多くの人々が信仰してきた観音様。私も観音様にお参りしよう。歩いてお参りしよう。今回霊場巡りをしようと思ったきっかけでした。

何故、秩父だったのだろうかと思う事もあります。川越でも良かったのではないかとか…。江戸の五街道では甲州街道と中仙道の間にあり、交通の便があり、少し足を延ばして行くという距離でも無かったであろうし…。そもそも、秩父地域は盆地であり四方を山で囲まれていて、何処から行くにも峠を越えなければいけないという、難所と言えば難所だと思います。しかし、人々を引き付ける魅力が秩父にはあったのだろうと思います。

秩父地域はジオパークだったことを思い出しました。秩父は複雑な断層が重なっていたり、それが観える場所に露出していたり、武甲山石灰岩でできているし。関東平野の奥にある盆地なのですが、地形がとても複雑だったりします。それが結構楽しいです。

 

※実際に行った日は春の良く晴れた温かい4月7日でしたので、綺麗な写真が沢山取れたのですが、御朱印帳を忘れるというとんでもない事をしでかしてしまいました(;^_^A。

ようやく御朱印を頂いてきましたのでようやく投稿することが出来ました。

 

秩父三十四観音霊場巡り二十番から二十四番

二十番 法王山 岩之上堂

20番岩之上堂

この岩之上堂に行くと、場所が荒川の河岸段丘の崖の上にあることが解ります。結構な絶壁の上に建てられているので岩之上なのかなと思いました。しかし、本堂の向こう側を観ると、このお寺も9番の龍谷寺と同じような感じの岩の上に建てられているのが良く解ります。

 

花が満開の本堂と御朱印

二十一番 要光山 観音寺

21番 観音寺

 

二十二番 華台山 童子

22番 童子

通行量が多い道路より少し入った場所にあります。

お寺の正面の仁王門の仁王様がとても印象的です。また、とげぬき地蔵、身代わり地蔵も祀られています。広々とした境内はとても気持ちが良く、こちらで休憩してお昼を頂きました。

仁王門とその奥が御本堂  通りの入り口のお地蔵様の後ろには武甲山が観える
身代わり地蔵 不動明王 御朱印

 

二十三番 松風山 音楽寺

23番 音楽寺

音楽寺は秩父ミューズパークがある山の上にあるので、結構な高さを登ります。登った先に納経所があり、そこで御朱印を頂くのですが、本堂はさらに上にあります。

秩父盆地の眺めはとても良く、時間が合えば秩父SLの警笛が聞こえてきます。

音楽寺と名前を聞くと何か音楽に聞こえる物がある?と、思えば、ここは風の音、風に心地よく吹かれる木々の音、鳥の声が聞こえてきます。この山の松風の音を聴いた時に菩薩の音楽が奏でられている様だったから音楽寺となったそうです。

御朱印と梅雨の季節の十三体地蔵
十三体地蔵

秩父34観音霊場を作ったと言われる十三賢者との事です。

音楽寺本堂からさらに山道を歩いて山を登った先にあります。この場所からも秩父違いを一望でき、向こうに武甲山が聳え立っています。

十三体地蔵(春)

二十四番 光智山 法泉寺

24番 法泉寺

法泉寺も山に建てらえており、かなりきつい階段をたっぷり登った上にあります。立派な本堂があり、本堂に向かって右側にあるご神木に圧倒させられます。

長い石段と御朱印

交通手段と巡礼道

前回同様に車で道の駅秩父に行き、拠点にしました。

公共交通機関を使われるならば初めと終わりの霊場で最寄りのバス停もありますし、秩父鉄道に乗ることも出来ます。

 

江戸巡礼古道長尾根道

二十一番観音寺から二十三番音楽寺と二十四番法泉寺の間が江戸巡礼古道長尾根道であり、江戸時代の古道があります。ここは普通の山道ですので、舗装もされていませんので、当時の江戸時代の雰囲気が良く解る道でもあります。

念仏坂 江戸の巡礼者が極楽往生を願い念仏を唱えながら坂を登った

私は登山もするので、山道を歩くのは比較的慣れていますし、道迷いをしないようにGPSと地図も持参しているので古道を歩きましたが、一般的には道路に降りて歩かれる様です。

沢を渡る場所もあります(;^_^A

 

立ち寄ったお店

コロッケを買ってお昼に食べた。一個90円

 

今回の記録

歩行距離 15.5㎞

時間 4時間59分

詳しいデータと写真はこちら👇

yamap.com

昼食と何故か馬🐎

 

使ったお金💰

  • ガソリン代 約900円
  • コロッケ 90円
  • 合計 990円
  • 御朱印代 1500円

浅間山

 

 

 

長野県と群馬県の境にある浅間山

日本百名山でもある浅間山は活火山で登山した時も少し煙を上げていました。

浅間山

遠くから見て、あれ、富士山の様に綺麗な山が見える👀。と思った山が浅間山でした。成層火山特有のきれいな裾野を広げているのですが、よく見るとなんか違う。西側に広げている裾野の山頂が無い(;^_^A。

中仙道追分宿付近から眺める浅間山 2021年3月10日

山頂が無くなった山の名前は黒斑山。大噴火により山体崩壊し外輪山の形となり、北側が無い馬蹄形になっています。その馬蹄形外輪山の最高峰が現在の黒斑山(くろふやま)標高2404m。トーミの頭や仙人岳、蛇骨岳も馬蹄形の外輪山にあります。

浅間山山頂は2568mとありますが、活火山でもある山頂の火口付近は立ち入り禁止になっており、噴火警戒レベル1で行けるのは火口を取り囲む外輪山の前掛山(標高2524m)で浅間山の標高より44m低い外輪山の最高地点です。前掛山の周囲に穏やかなカルデラが広がり、その外側が黒斑山やトーミの頭がある馬蹄形の外輪山です。火口を中心として外輪山が二か所あり、浅間山独特の山容となっています。

 

火口に近い前掛山の斜面はザレ場と呼ばれレキと思われる石で覆われており、麓のカルデラには噴石と思われる直径50㎝~1mの岩がゴロゴロしています。黒斑山がある外側の外輪山は溶岩が固まっている場所があり、鋭く切れ落ちている崖があるのも溶岩の影響かなと思います。浅間山は一つの山の様に見えますが、年代の違う(実際は3つとウキペディアにあります) 火山の噴火によって出来た山だという事が山の表面にも現れている事が解ります。溶岩で出来ている外側の外輪山は荒々しい山容です。

 

登山

浅間山の登山口は主に二か所あります。

標高が高く約2000mの高峰高原ビジターセンターがある車坂峠から外輪山を登り、トーミの頭を超えてカルデラである湯の平にいったん降りて火口近くまで行ける前掛山に登るコース。

もう一つはもう少し標高が低い1400m付近にある浅間山荘から登り、外側の馬蹄形の外輪山は登らずに切れている間を抜けて湯の平に入り前掛山に登るコースです。

私は、高峯高原ビジターセンターがある車坂峠から登りました。

 

車坂峠からトーミの頭まで

車坂峠からは外輪山にあるトーミの頭を目指すコースは2コースあります。

トーミは遠見(とおみ)?等と思ってしまいましたが良く解りません(;^_^A。この場所から見る浅間山は絶景ですヽ(^。^)ノ。

トーミの頭

南側の表コースと北側の中コースです。南側の表コースは木で整備されている場所が多くありますが、途中で車坂山(2055m)と槍ヶ鞘(標高2260m)の山頂を通るので登り下りがあります。北側の中コースは谷を登る(下る)コースの為アップダウンはありませんが、登山道がえぐれている部分が所々あります。ずるずる滑らなければ危険な場所は無いように思いました。

トーミの頭から賽の河原

トーミの頭を過ぎて少し下ると湯の平への分岐があります。

湯の平

分岐から湯の平に降りるには結構な急斜面をおります。小石が多いので少し滑りますので注意しておりました。徐々に樹木帯に入ると共に傾斜も緩やかになり、気持ちの良いハイキングコースになります。途中、浅間山荘からのコースと合流し賽の河原を目指します。賽の河原は噴火警戒レベル2の時に行くことが出来る場所になります。

もう一つはトーミの頭から古期外輪山(外側の外輪山)を黒斑山、蛇骨岳、仙人岳、Jバンドと歩き、岩の斜面を降りてカルデラ内を歩き賽の河原に行く登山道もあります。

 

賽の河原から前掛山

賽の河原を過ぎると徐々に樹木帯を抜け、浅間山の山頂下の斜面が見えてきます。レキのような石がゴロゴロしている斜面(ザレ場)になり、ひたすら登ります。ただ、ひたすら滑らないように登ります(;^_^A。山の斜面が良く見える事に火山であることを実感します。山の北側に回り込むように登山道があり、登った先で火口に向かわないように立ち入り禁止の看板があります。看板からは火口に向かって右側に回り、火口周囲の外輪山でもある前掛山に向かいます。

樹木帯を抜けて火山に向かう

前掛山山頂

活火山である浅間山は1972年より火口付近への立ち入りが禁止されているので、行くことが出来る山頂に一番近い場所が前掛山山頂になります。前掛山は浅間山の火口を取り囲む外輪山であるので、内側から見ると溶岩で層になってできているのが良く解ります。

ここより先は立ち入り禁止区域

独立峰である為、火口がある山頂では360℃の展望だと思いますが、前掛山は火口の南西になるので、山頂から北東方面は山頂になるので眺めはありません。しかし、とても眺めがよく冬なのでは遠くまで見渡せる景色を眺めることが出来ます。

前掛山山頂 標高2524m 向こうに火口が見えます

前掛山山頂に行く途中の穏やかな場所にシェルターが設置されているのも火山特有の光景です。ここで休憩される方もいて、私もここでお昼を食べました。

火口付近の外輪山と火山シェルター
外輪山の一番高い場所が前掛山

下山

前掛山から登山道を引きかえし、賽の河原まで戻ります。賽の河原からは湯の平へ戻り、トーミの頭に登り返し車坂峠に戻るか、湯の平から外輪山へ登り返すことなく火山館経由で浅間山荘に下山するコースもあり、グレートトラバース日本300名山一筆書きの田中陽希さんが下山時にこのコースを使われた記録があります。

賽の河原からのもう一つのコースがJバンドに登り返し、古期外輪山(外側の外輪山)を仙人岳、蛇骨岳、黒斑山と歩きトーミの頭に戻る方法もあります。

古期外輪山にあるJバンド

車坂峠からのコースであれば、トーミの頭を挟んで賽の河原までは各2コースあるので、周回コースの様に歩けるのも楽しみが増えます。私は周回コースで歩きました!(^^)!。

 

活火山である浅間山

浅間山は活火山であり、噴火を繰り返している山でもあります。成層火山なのに何だかいびつな山容を呈しているのに気づけば、過去存在した黒斑山が山体崩壊する程の大噴火を起こしたことにも大きなエネルギーを感じます。直近での噴火は2019年(令和元年)8月に2回噴火しており噴火警戒レベル3になり入山規制が行われました。

そして、大きな災害として歴史に残る噴火の1つが天明の大噴火。1783年(天明3年)に起こった噴火であり、2022年のわずか239年前であり、天明の大飢饉の原因の一つでもあります。

この噴火の影響は、主に浅間山の北側に起こっています。流れ出た溶岩は北側へと流れ火口付近の外輪山も、古期外輪山もカルデラも溶岩で流されています。流れ出た溶岩である鬼押し出し溶岩、火砕流や土石流で一瞬にして埋まってしまった村。日本のポンペイと呼ばれる鎌原村があります。

鎌原観音堂 (2019年12月)

浅間山には側火山があり、浅間山の裾野にある小浅間山は勿論ですが、軽井沢にある離山も側火山であることを知りました。離山は軽井沢の中心地を歩いていると良く見える山で、浅間山より約10㎞も離れていますが(だから離れ山なのか…)溶岩ドームで出来た山という事です。

 

車坂峠登山口までの交通機関と駐車場

車坂峠までに交通は新宿のバスタからのバスがあるようです。本数が限られているのと季節運航でもある為、時刻表は要確認です(;^_^A。

車で行くには小諸市から浅間山に続くチェリーパークラインをひたすら登ります。登山口付近広めの無料駐車場があります。また、高峰高原ビジターセンターがあり、綺麗な建物でトイレも使わせて頂けました。自動販売機もあります(高原価格です(;^_^A)。

高峰高原ビジターセンター(改装工事中)と登山口にある山の神様

昼食は山頂付近で

昼食は山頂付近のシェルター近くで頂きました。お天気は良い日でしたが、標高2500mある為風が強く吹くので寒く風対策は必須でした。

お手製の豚汁とお稲荷さん、トマトサラダでお昼ご飯。スープジャーで温かく持参した豚汁最高に美味しかったヽ(^。^)ノ。お稲荷さん5個は多すぎで(;^_^A、3個食べて残りは帰りの車で食べました(*^-^*)。

 

詳しい山歩きのデータはこちら👇

  • 距離 13.6㎞
  • 時間 7時間50分
  • 累積登り 1307m

yamap.com

 

使ったお金💰

  • ガソリン代 約2600円
  • 高速代 3250円
  • ジュース 110円
  • 合計 5960円

初めての活火山登山で緊張しましたが、楽しく有意義な山での時間を過ごすことが出来ました<(_ _)>。

そこに山があるからだ

 

 

なぜ山に登るのですか?

そこに山があるからだ

 

この言葉はイギリスの登山家ジョージ・マロリー氏の言葉がもとになっているという。

哲学的でロマンチックな都合の良い言い訳で、相手を煙に巻くセリフとしても使われている。

北アルプス常念岳から見る大天井岳

私も山が好きで登山をするのですが、先日、職場の同僚が「何故山に行くのですか?そこに山があるからだ」と、会話の最中に一人で自問自答され面食らってしまう事があった。私はそこに山があるからだとは言っていない(-_-)。

 

 

何故、山に行くのだろう

考えてみるけれど、答えが出てこない。私は何故山に登るのだろう。

山登りはとても体力が必要で、未だに毎回はぁはぁ言いながら山に登り、下山後は筋肉痛になるのがお約束。現代社会ではありえない体力を使って、便利さが皆無で不便な山に行く。当然コンビニも自販機もない。途中で疲れてもバスもタクシーもない。

便利な社会から離れてあえて不便な山に行く。必要なのは体力と最低限の衣食住に必要な物。

 

他のスポーツでは聞かれるのか?

何故、野球をするのですか?そう聞かれないわけではないと思うけれど、野球をして楽しいと思う時は?大変だった事は?等の問いかけが多いのではないだろうか。

 

そう思うと、他のスポーツではスポーツをすること自体が受け入れられており、スポーツをするに際し楽しい事や大変な事を聞かれている。半面、登山に関しては登山すること自体に何故と聞かれている。答えが見つからない事もなんとなく解ってくる。

登山をして楽しい事は?と聞かれると案外すんなりと答えが出るのではないか。景色が美しいから。山ご飯が美味しいから。実際、登山すると山から見える景色は美しいし、山ご飯は最高においしい。自分の力だけで頑張ったことは何より嬉しい物です。

 

登山と他のスポーツでは受け入れられ方に違いがあるのかと思うけれど、登山も他のスポーツと同様に受け入れられているのではないかと思う。ここ最近では中高年の健康志向と重なり、みんな元気に山を登っているのは良いことだと思う。

 

それなのに何故、登山だけが聞かれるのか?

何故、山に登るのですか?そこに山があるからだ。この言葉の影響が大きいのではないか。哲学的でロマンがあり、目的が雲隠れしている。答えとしてはかっこよいと思わざるをえない。

言葉だけが先行しているのであれば、問いかけの答えには名台詞を答えてほしいという問う側の密かな期待もあるのかもしれない。そう、この質問をする人は、きっと、そこに山があるからだと、登山者に答えてもらいのではないか。

 

しかし、何故山に登るのですか?と聞かれて自分の答えを真面目に考えると答えが見つからない。もしかすると、何故、野球をするのですか?も同じではないかと。なので、聞かれると返答に困ります(;^_^A。面倒だなぁとも思ってしまいます(;^_^A。

 

実際にジョージ・マロリー氏への質問「何故、あなたはエベレストに行くのですか?」と問われた際に、しつこく食い下がられたのに対してあしらうように答えたと言われているという。

 

何故、山に登るのかと問われると

そこに山があるからだと答えよう

 

相手はこの答えを期待しているかもしれないし、期待されていなくても明確な答えは無い。決め台詞で良いのではないか(^_^)v。

 

荒船山と荒船神社里の宮の狛犬

 

 

 

数年前、長野県にドライブに行った際、

松本市国道254号線の看板が目に入り、このまま254号線で都内の自宅に帰ろうと、ただひたすら車で走った事がありました。

今思うと、何でそんな事をしたのかなぁとも思いますが、ストレスが溜まっていたのかなぁと…(;^_^A。

荒船山

国道254号線は長野県松本市より佐久市に抜けて群馬県下仁田町に抜けていて、下仁田町に入ると目の前に特徴のある山が見えます。

荒船山 標高1423m

荒波を割って進む船の様に見えるので荒船山。確かに船に見えます👀。

日本二百名山でもある荒船山は、山頂は南北約2㎞、東西は約400mの安山岩で出来た台地で、北端は荒船山を船に見立てた時に船尾にあたり、高さ約200mの岩壁が垂直に切れ落ちています。

頂上部は緩やかな台地で笹原とありますが、穏やかに樹が生い茂っています。頂上部の南端に経塚山があり、最高地点となっています。

荒船山 山上の草原?森? ゆるい傾斜しかなくほぼ平地が広がっている

強く印象に残った荒船山にいつか登りたいと思っていました。

荒船山の標高

荒船山は文字通り山頂の台地を示すようで、最高地点は1356mとあり、山上の台地の南北の北3/1程の場所にあるようです。私は気付かずに通り過ぎました(;^_^A。北端の艫岩で1350mで、なだらかな台地であることは良く解ります。

経塚山山頂とお社

荒船山の台地の上に経塚山があり標高は1422.7m。経塚山の標高を観ると、1422mであったり1423mとなったりしているのは0.7mの表記による誤差の様です(;^_^A。

経塚山と言う名前は、弘法大師が経文を埋めたという伝説があるそうです。弘法大師の伝説って本当にあちこちにあります(*^-^*)。

 

荒船山の神様の話

山には神様が祀られている事が多く、荒船山も神様が祀られている山です。

神社と神様の話

荒船山の神社は、群馬県側に荒船神社と、長野県側に荒船山神社と二社の神社が祀られています。

群馬県側の荒船神社はGoogleMapに一宮貫前神社境外摂社と書かれています。日本百霊山の中に荒船神社の群馬県側の神社は富岡市の一宮貫前神社と書かれているので、摂社として荒船神社が祀られているのかもしれないです。また、国道254号線の脇に真っ赤荒船神社一の鳥居があるのですがお社はありません。地図で位置関係を観てみると一宮貫前神社から荒船神社一の鳥居を結んだ先に荒船山があります。少しその直線からずれますが荒船神社奥の院もあります。偶然かもしれませんが(;^_^A。

荒船神社奥の院

 

荒船神社の神様は夫婦神と言われており、上野国抜鉾大明神の美しい末娘が父親の敵から逃げて荒船山に着いて住んでいた。そこに諏訪大明神(諏訪神社の神様)が日光にいる母神に会いに行く際に出会い夫婦になったという。

 

👉諏訪神社の神様については、長野県側に祀られている荒船山神社の祭神が建御名方命とあり、諏訪神社の祭神でもあります。母は高志沼河姫とあり主に糸魚川市近辺に祀られています。日光と結びつかない。

日光に祀られている神社と思うと、日光二荒山神社かなぁと。すると、男体山の神様は大国主命であり👀建御名方命の父神です。女峰山の神様は田心姫命(たごりひめのみこと)とあり夫婦神です。日光にいる母神は大国主命の妻でしたが、大国主命は何人も妻がいました_| ̄|○。神様は一夫多妻制なのか…。

 

荒船神社のご神木の夫婦杉 樹齢は500年を過ぎていると

群馬県側の荒船神社の奥の院荒船山の相沢登山口を入ってすぐの場所に祀られています。荒船神社の里の宮は、荒船の湯の近くに祀られていますが、祀られている場所に行くと荒船山を背にしてお参りします。荒船神社の本社は一宮貫前神社であり、現在荒船神社里の宮となっている神社は一宮貫前神社境外摂社と考えれば納得。

長野県側の荒船山神社の本社は荒船山山上の台地のほぼ中央辺りに石の祠で祀られています。

経塚山山頂と、荒船山北側の沢近くにも石のお社が祀られていますが詳細は解りませんでした。

 

古事記の神様の話

荒船山の山上に説明が書かれた紙がありました。

天照大神は野菜魚以外を殺生してはいけないと言われていた。信州諏訪神社の神は寒さが厳しく海が無い信州では生きていけないと訴え、猿や鹿を食べても良いかとだずねたが、ならぬの返事。仕方がないので海の方に領地を拡大しようと準備していたところ、香取神宮の神と鹿島神宮の神がその事に気付き、信州諏訪神社の神を迎え打ちにしようと荒船山に陣を構えたという。これらを知った天照大神はににぎを使いにし和解したという。

昭和に立てられたという石碑と説明

もともと、天照大神の言い出したことなのにねぇ(*^-^*)。

古事記の神様って何気に人間っぽいところがあると思う( ^^) _旦~~。

荒船山妙義山の形

荒船山妙義山とともに第3世紀にできた本宿カルデラの一部である。地学用語でいうところの溶岩台地ではなく、侵食によって固い部分が残ったもので、こうした差別浸食でできた地形のことをメサという。Wikipediaより。

 

荒船山は同じ群馬県にある妙義山と同じ成り立ちとあり、何故強烈な凸凹の山とまっ平なテーブルマウンテンが同じ成り立ちなのかと疑問になる( 一一)。

本宿カルデラとあり、そのカルデラ妙義山荒船山もあるらしい。本宿カルデラって何?そうすると日本のカルデラWikipediaがリンクしたので見てみると、日本はカルデラだらけだと解る(+_+)。

 

本宿カルデラ群馬県下仁田町にある直径約10㎞のカルデラで、荒船山妙義山もこのカルデラにあると👀。約950万年前に直径約10㎞の陥没があり、その陥没が本宿カルデラとあります。カルデラが形成された後も火山活動は続き、妙義山荒船山もその頃の火山活動によってつくられ、その後の風化浸食で現在の形になったとの事です。

柔らかい部分が削られて固い部分が残る。そう考えると固い岩と柔らかい岩の見分け方が知りたくなります(*^-^*)。

 

荒船山は差別侵食で出来たメサであるとあります。メサを調べると上位に硬い水平な地層で、下位に侵食されやすい柔らかい地層です。荒船山の頂上の台地部分は700万年前(本宿カルデラ形成後)の火山活動で地面に平らに流れた荒船溶岩が残ったと考えられているそうです。下仁田ジオパークHPより。

となると、950万年前の本宿カルデラが作られたころの溶岩は比較的柔らかく750万年前の溶岩の方が固くて、荒船山はメサの形になったことになります。

 

そう考えると妙義山は?と思います。妙義山にまだ登ったことは無いのですが、麓まで行ったことはあり、その際に妙義山の成り立ちを看板で観た事がありました。確かカルデラを形成しそうな山の上部が割れて縦に崩れ落ちた説明だったような…。詳しい成り立ちは解らないとあります。残念_| ̄|○

もしかしたら、妙義山荒船山と同じように上部が固い地層の台地のメサであったのが風化侵食され過ぎで崩れて落ちたのかなぁと。そうすると固い丈夫の地層が縦方向になり、妙義山特有の山体になったと言えるかな(*^-^*)。

 

ちょっとだけメサの話に寄り道

荒船山を調べていてメサと言う地形を知りました。日本のメサの山は、屋島(香川県高松市)、万年山(はねやま:大分県玖珠郡玖珠町)、琴平山(香川県仲多度郡琴平町)とあり、あれ、中央構造線に近いなぁと思いました。荒船山近くには下仁田ジオパークもあり、この辺りにも中央構造線が通っています。あれ、地形と中央構造線が関係するのかと思いました。

メサがさらに侵食されてビュートと言う地形になるとあり、調べてみるとやはり西日本は中央構造線近くにありました。が、しかし、青森県八甲田山付近と十和田湖近くにもあるようです。

 

登山道と登山口と駐車場

私が登った相沢登山口へは車でしかアクセスが難しいようですが、駐車場はありませんでした。相沢登山口からは危険個所なく山上直下には手すりや階段も整備されています。ここから登るのが一番累積の上りがありそうですが、私のデータで1130mでした。冬季の氷瀑があるコースの様です。

登山口と新緑とつつじのオレンジ色が綺麗な登山道

信仰の山でもある荒船山ですが、内山峠からのコースには修験道の行場があるようですし、また別の登山口である荒船不動尊には弘法大師が刻んだという1本3体の荒船出世不動尊も祀られているそうです。

 

絶壁の上で休憩をする

荒船山の絶壁である艫岩上に展望台のような広場があり絶景を観ることが出来ます。しかし、手すりなどは一切ないので結構怖いです。非難小屋もありますが、トイレは使えませんでした。

艫岩の上からの絶景と非難小屋

詳しい山歩きのデータはこちら👇

yamap.com

荒船神社里の宮の狛犬

荒船神社里の宮の狛犬が可愛いとSNSで観た事があります。私は狛犬でも狼信仰である狛狼🐺犬が好きなのですが、神社にお参りする機会が多くなったので何気に狛犬に合う機会も増えました。

じゃ~ん😊

荒船神社里の宮と狛犬

 

狛犬って、向かって右側が阿形(口を開けている)で左側に吽型が祀られているのですが、何故か反対👀。

向かって右側の何故か吽型から😂

唇が気になる…(;^_^A。獅子をモチーフにしたのか、何を目指したかったのか良く解らない。後ろ足がちょっと残念というか、短くてバランスが悪そうに見えるのは私だけ?結構古そうですけれど。でも、可愛いと思う。愛され狛犬かな。


向かって左側の狛犬さんは🤣

口元が凄い。肉食の動物ではなく草食系の歯並びだわヽ(^。^)ノ。唇も気になる。鼻の穴も大きすぎる(笑)。でも、可愛い(*^-^*)。そして、こちらの狛犬も後ろ足を折りたたんでいるように見える。

尻尾のはしょられ感が(;^_^A…。お尻に尻尾が描かれているように見える👀。2体とも背中に哀愁あり(*^-^*)。ちょっと切ない(*^-^*)。

いろいろな狛犬を観たけれど、一番哀愁漂う狛犬さんでした<(_ _)>。

昼食とお約束のおやつ

艫岩の広場から少し離れた場所での絶壁ランチとおやつのアイス

使ったお金💰

  • ガソリン代 約1900円
  • 下山後のアイス🍦  151円
  • 合計 2051円でした。

GW期間だった為休日割引が無かったので、高速道路は使いませんでした<(_ _)>。

 

 

 

 

 

 

 

両神山 八丁尾根の上級者向けコース

 

 

 

両神山は埼玉県小鹿野町秩父市の境にある山で、標高は1724m、日本百名山にも名を連ねています。

のこぎりの歯の様にギザギザした山容が特徴で、秩父盆地から眺めても目立っている存在感のある山です。

 

両神山に登山するには、日向大谷口から登るのが一般的で、私も2020年12月に登ったことがありました👇。

yamap.com

 

遠くから両神山の特徴あるギザギザした山容眺めると、ギザギザした尾根を歩きたくなった事や、ギザギザした尾根道に龍頭神社の奥宮があることを知り、いつか行きたいと思い、お天気が良い日に行ってきました。

両神山

秩父盆地から眺めてもすぐに解るほどのギザギザな山容をしている両神山で、日本百名山の著者である深田久弥氏は「巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している」と書いています。

通常、両神山と言えば山域全体の総称です。

私は、奥秩父山域で、狼が眷属として祀られている狼信仰に関心があり、狛犬として祀られている狛狼🐺探しを楽しんでいます(*^-^*)。三峯神社や武蔵御嶽神社等が狼信仰で有名です。

龍頭神社里の宮と狛狼🐺犬

狛狼探しをして、以前訪れた龍頭神社(りゅうとう・りょうかみ)(埼玉県小鹿野町河原沢)で気になる石碑がありました。

龍頭神社前の八日見山入り口の石碑

両神山の事を八日見山とも呼ばれるそうで、竜神山(りゅうかみさん)、鋸岳ともあります。

山の名前に諸説あることはよくあるのですが、少し気になっていました。後に、別の本(日本百霊山 とよた時著)には、両神山と言えば剣が峰から東岳、八日見山は西岳付近を指し、竜頭山は龍頭神社の奥宮がある峯(東岳北西側の峰)とその付近と名称がわかれていたとあります。これ、結構、興味あり👀。八日見山は存在したんだ…。

龍頭神社から両神山に登る登山道は現在ありませんが、龍頭神社奥宮が両神山東岳と西岳の間に祀られています。登山用の地図を観ると、龍頭神社奥宮は両神山東岳と西岳の間のやせ尾根にある小高いピークに祀られています。この辺りの尾根は切れ落ちているので、登るには西岳経由だったのかと思い、八日見山と言われる西岳に尾根が続いています。

龍頭神社奥宮 竜頭山



両神山は信仰の山で、一般的に多くの登山者が登る日向大谷口からの登山道が表参道になり、300体以上と言われる沢山の石碑や石仏があります。両神山を開山したのは役小角(役行者)と言われており、奈良時代になります。その後、修験道の山として信仰され多くの修験者が行場であったとあります。

剣が峰と東岳両神山と言うならば、両神山には両神山両神神社と、両神山御嶽神社の二社が祀られています。これも、とても関心があります。なんで、二社祀られているのかなぁ。(👈後日、blogに書きたいと思い、色々調べています(;^_^A)

参考)日向大谷口からの登山

yamap.com

 

 

八丁尾根は上級者向けコース

日本百名山の山ですが、多くの人は日向大谷口より登るので、八丁尾根は登山者が全くいないわけではないですが少ないです。道迷いは、私は時々するので何とも言えませんが、注意して登ります。他の人のログで、龍頭神社奥宮で迷われた事が書かれていました。確かに、龍頭神社奥宮は登山道より少し奥に入った場所に祀られています。

沢山ありすぎる鎖場は、使わなくても登れる場所もありますが、使わないと登れないほどの急斜面もあります。足場も少ないように感じました。

東岳手前より西岳と向こうに続く八丁尾根を見渡す。

尾根道は鋭く切れ落ちている崖の上で、落ちないように注意して進みます🙃。道中、甲斐駒ヶ岳の刀渡りのような岩場があるのですが、八丁尾根の方が難しいと思いました。私が甲斐駒ヶ岳黒戸尾根に行った時はテント泊装備だったのですが…(;^_^A。

コースの累積標高差は800m程なのですが、岩場の鎖を登っては下るの繰り返しなので、かなり体力を使います。私は比較的標準タイムか少し早い位の時間で登山することが多いのですが、八丁尾根は50-70%のゆっくりペースで、時間も6時間37分かかっています。そして、下山後はお約束の筋肉痛になり、両腕が結構辛かったです。

余裕は全くなく、緊張感のある山歩きでしたが、何故か、又行きたいなと思う、魅力がある登山になりました。上級者向けのコースなので、簡単にお勧めできませんが、行かれるならお天気が良い日を狙うと良いと思います。

岩場に足場が少ないので、雨でぬれると滑りやすく難易度が上がると思います。

 

山頂

両神山山頂の剣が峰は絶景が待っています。お天気が良ければ富士山も観れますが、山頂は広くなくゆっくり休憩できるスペースはなく、少し戻った場所にテーブルやベンチがあります。八丁尾根では東岳山頂にテーブルとベンチがあります。

両神山山頂 剣が峰に祀られている両神神社奥社

 

 

八丁峠に向かう登山口までのアクセス

八丁峠に向かう登山口はR299からとR140からの二か所あるようです。私はR140号より中津川経由で行きました。二か所の登山口は長いトンネル(八丁街道)で繋がっている様ですが、私が行った日は登山口の先で通行止めになっていました。冬季閉鎖のような感じ。

R140号から中津川方面に入り、道なりにどんどん進み、、途中で右に曲がる場所から工事中や通行止めの看板がありますが、どんどん先に進み、登山口までは車で行けました。普通の車で大丈夫です。

途中で工事関係?の方がいたので、登山口まで行けるかを聞きましたが、登山口が結構奥にあるので知らないようでした。登山口までたどり着けるか不安になる程の山道でしたが、GoogleMapに書いていない駐車場もあり、15台程は停められます。

登山口駐車場 (トイレはありません)

 

昼食は東岳で贅沢な山頂ランチ

両神山山頂は広くなく、登山者が写真を撮るほどのスペースしかありません。八丁尾根はやせ尾根ですが、東岳に1か所テーブルとベンチがあり、タイミングよく座ってお昼を食べることが出来ました。まさに、山頂レストランですヽ(^。^)ノ。

お昼ご飯はランチジャーでお弁当を持参

山にいて、絶景を眺めながら、美味しくご飯を食べている時はいつも「私って贅沢だなぁ」と、思う(*^-^*)。

詳しい山歩きのデータはこちら👇

yamap.com

お約束のおやつ

下山後はお約束となっているアイス🍦です。登山口がかなり山深いので、国道140号をひたすら秩父に戻り、道の駅大滝温泉にあるコンビニで購入しました。

コンビニアイス🍦198円

 

使ったお金💰

  • ガソリン代 約1700円
  • アイス 198円
  • 合計 1898円

でした(*^-^*)。

甲州街道② 府中宿~小原宿

 

 

 

甲州街道歩き二日目は、府中宿を出発し、日野宿、八王子宿、駒木野宿から小仏峠を超えて小原宿を経て、与瀬宿手前の相模湖駅まで歩きました。

 

距離は33.0㎞

歩行速度 4.7㎞/h(休憩時間33分含まず)

9時18分スタート

16時51分到着

小仏峠は3回目ですが、

今回は小仏峠から東京都心を眺め、スカイツリーや高層ビルも良く見えました。

江戸時代はどんな風景が広がっていたのか。

江戸から出てきた人、これから江戸に向かう人。

当時の旅人はどのような思いでこの場所を歩いたのか…。

 

府中宿から日野宿

甲州街道の府中宿では、武蔵国の総鎮守である大國魂神社参拝をして、少し先の府中街道との交差点に高札場があります。そのまま現在も広めの道路になっている旧甲州街道を進み、新府中街道手前で国道20号に合流します。

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番場宿と弁慶坂

 

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本宿交番前の常夜灯

そのまま国道20号を歩きます。

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熊野神社天満宮

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新鮮野菜の販売所もありました

国道20号日野バイパスに左折していますが、甲州街道はそのまま直進。日野市に突入し日野橋交差点で旧甲州街道は少し脇道にそれ、遠回りをしている様に見えるのですが、この辺りは多摩川を超える日野の渡しの場所でもある為かと。

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脇道にある旧甲州街道の標識と多摩川の渡しの石碑(実際の場所はここではないと)

日野宿~八王子宿

現在では多摩モノレールに沿って多摩川を渡り、少し歩くと日野宿に到着します。

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多摩モノレールが走る立(立川)日(日野)橋  日野宿本陣門

日野宿 本陣・脇本陣

日野宿は江戸から10番目の宿場町です。本陣と脇本陣があり、特徴は建物が大きく立派であった事とあります。脇本陣も建物が大きく本陣と名乗った経緯もあるとの事。

1849年(大政奉還の18年前)の火災で本陣・脇本陣共に焼失し、現在の建物は脇本陣1864年(大政奉還の3年前)に完成した建物とあり、築後158年にもなります(2022年現在)。

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現在の日野宿脇本陣(建物の中は拝観料大人200円)

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日野宿 問屋場、高札場跡

日野宿を過ぎJR日野駅を過ぎら、少し線路沿いに歩き中高高速道路の高架下を渡ります。実は高速道路などの大きな構造物が好きなのと、何時もビューンと走る中央道を下から見て、街中を走っているなぁと…。

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中央高速高架と日野自動車

道路沿いに大きな会社があるなぁと歩いていると、日野自動車でした。日野市でした。

♪ど~こ~までも、どこ~までも~♪??あれ(。´・ω・)

違った(;^_^A

♪トントンとんとん日野の2トン♪ 正解ヽ(^。^)ノ

 

11番目の一里塚 竹の鼻(八王子市新町5)

その後八王子市内に入り、旧甲州街道が道路からそれているのに気づき、入ると一里塚がありました。11番目の一里塚で日本橋からの距離は(3.92㎞×11里=)約43.12㎞です。

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竹の鼻一里塚と永福稲荷神社

八王子駅東に出て、国道20号に合流します。商店街を抜けた先に追分がありました。

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左が甲州街道、右が陣馬街道

陣馬街道は、先に進むと登山でおなじみの陣馬山の登山口である和田峠を抜け、神奈川県上野原市に降り国道20号甲州街道に再び合流します。私は走ったことが無いですが。

銀杏並木を歩いていると、国道20号の50キロ地点を過ぎて、銀杏並木が終わることに高尾駅前を通ります。

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国道20号50㎞地点と高尾駅

駒木野宿

駒木野宿は甲州街道12番目の宿場で、高尾駅から高尾山口の間の国道20号から旧甲州街道に入った先にある宿場です。甲州街道の難所の1つである小仏峠を超える為賑わった宿場でもあるようです。

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駒木野宿 高尾山道の石碑

場所は解らなかったのですが、駒木野に甲州街道13番目の一里塚で、小仏峠が14番目の一里塚、15番目が神奈川県相模原市与瀬とあるので、小仏峠を超えようとすると2里あることになります。2里は約7.8㎞になり、小仏峠はがっつり山道なので時間に余裕をもって歩いたほうが良いです。私は午後になってしまいましたが、出来れば、峠越えは午前中にするほうが良いです。

小仏峠を超えて小原宿

小仏峠は、中央道で渋滞する小仏トンネルが走っている辺りです。小仏バス停の先をずーっと歩けば途中で道路は行き止まりになり登山道になります。

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小仏バス停  小仏峠に向かう登山道

小仏峠の名前の由来は小さな仏様が祀られていたとあります。当時の石仏かは解りませんが今でも峠には石仏が祀られています。

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小仏峠からは都内を一望できます。スカイツリーも見えます👀。

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小仏峠からの眺め

江戸時代、小仏峠を超える人々はどのような思いであったのか。これから江戸に向かう人、江戸から出られてきた人。色々な思いでこの峠から江戸を眺めたのだろうな。

江戸時代はどのような眺めであったのか。

 

山道を降りる途中より中央自動車道の下を歩きます。小仏峠は渋滞するので、解消の為の工事が行われていますが、冬季はお休みとの事。完成は令和7年らしい。

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東海自然歩道にもなっている 中央道は渋滞解消の工事中

林道を歩き、国道20号と合流した先で甲州街道13番目の宿場、小原宿に到着します。

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夕方で、拝観時間は終了していた_| ̄|○

 

この日は相模湖駅まで歩いて電車に乗って帰宅しました。

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詳しいデータはこちら👇

yamap.com

お昼ご飯とおやつ

お昼は八王子で以前から気になっていた黒カレーを頂きました。美味しいヽ(^。^)ノ。熱々をパクっと食べて口の中をやけどした(*´з`)。福神漬けの代わりに紅ショウガを食べると結構おいしいヽ(^。^)ノ。調子に乗ってたっぷり入れたら、最後の方は紅しょうがの味しかしなかった( 一一)。何事もほどほどが大事だと学んだ。

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吉野家黒カレー547円  おやつのパン149円

おやつのパンは小仏峠で食べました。美味しかった。

 

使ったお金💰

  • 電車代 1946円
  • 昼食 547円
  • おやつ 149円
  • 合計 2642円  でした

残雪の赤城山(黒檜山・駒ケ岳)

 

 

グレートトラバース日本三百名山一筆書きで赤城山を観た事がありました。その中で、赤城山(黒檜山)の山頂は雪の季節は雪で1m程高さが高くなるので、山頂からの景色が良く見えるとの内容がなんとなく頭に残っていました。

 

私は山歩きは好きですし、冬の山歩きも空気が澄むので好きなのですが、寒いのは苦手です⛄。

昨年(2021年)末に甲武信ヶ岳にテント泊登山をした時に寒かったので、心が折れてしまい、高い山から足が遠のいていました。

kechico.hatenablog.com

 

そんなこんなでしたが、今年(2022年)も春になり、桜が咲き始めて温かくなってきました。とは言っても、高い山にはまだまだ雪が残っています。しかし、お天気が良く、風も少なければ意外に温かい事もあるので、お天気が良い日を狙って残雪期の赤城山(黒檜山から駒ケ岳)に行きましたヽ(^。^)ノ。

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ストックをさしてみた

雪はまだたっぷり積もっていましたが、日差しが暖かく寒くありませんでした。そして、雪山の美しさに感動しました<(_ _)>。綺麗でした~。

日本百名山 赤城山

日本百名山でもある赤城山は、関越自動車道を新潟方面に走っていると右側に見える美しい裾野が大きく広がっている山です。関越道を走る時には何時も綺麗だなぁと思う山で、いつか登ってみたいと思っていた山でした。

日本百名山の著者である深田久弥氏は「見事なのは、のびのびと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは他に例が少なかろう」と書かれています。

大きく広がる裾野から火山であることが解かる赤城山は、裾野の広さが富士山に次ぐ二番目の長さとWikipediaに書かれています。確かに。

 

赤城山に登りたいと思い、他の方の登山記録を観ていると累積登り標高差が600m程です。赤城山は周辺の山の総称とあり、一番高い山が黒檜山で標高は1828mなので、標高1300m程に登山口があることになり、ずいぶん高い場所まで行けるなぁと思っていました。赤城山は火口湖である大沼に観光施設や赤城神社があることは全く知りませんでした(;^_^A。

 

赤城山

実際に赤城山に行くと大きく緩やかな傾斜の裾野はずーっとまっすぐに山頂に向かっています。ゆるい傾斜をずーっと登る感じで、その先には山道らしいくねくね道になり、お約束のヘアピンカーブもあります(*^-^*)。くねくね道をどんどん上れば、道は少し下ります。??と思いますが、火口の中に入る為だと解かるとそうかぁとなります。

赤城山山頂付近は、火口湖の大沼を取り囲む外輪山があり、赤城山最高峰の黒檜山、お隣の駒ケ岳は外輪山とあります。

又、山頂カルデラ周辺には丸みを帯びた山頂を持つ山もあり、それらは溶岩ドームで出来た山とあります。電波塔が建てられている地蔵岳も溶岩ドームとあります。

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地蔵岳 手前が大沼 向こうにある小さい火口湖が小沼
小沼の方が標高が高い

 

赤城山(黒檜山~駒ケ岳)に登る

赤城山とは、火山全体をさして言われており、赤城山と言う峰は無いとの事です。最高峰は黒檜山で標高は1828mです。周辺には1200m-1800mの山々がカルデラの周囲に並んでいます。

一般的に赤城山に登ると言えば黒檜山に登ることを指すことが多いようですが、周辺の山も登山道が整備されている様です。関東ふれあいの道群馬県35でもあります。

火口湖付近の登山口からは比較的急な登りが続きますが、標高差が600m程なので頑張って登ります。無雪期ならば難易度は比較的低いかもしれないですが、積雪期では積雪量が多く雪が深いので多少なりとも雪山歩きを経験されてから登る方が良いかもしれません。

黒檜山山頂

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黒檜山山頂 標高1828m

一方、日本百名山でもあるので、登山者が結構多いと思われます、比較的道迷いが少ない山であろうことと、登山道が整備されているので、登りやすい山だとも思います。

黒檜山山頂の先にある絶景ポイントからは上州(群馬県)の向こうに越後山脈を見渡すことが出来ます。絶景ですヽ(^。^)ノ。

黒檜山山頂奥の絶景スポット

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雪の越後山脈 黒檜山から

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谷川岳も見える😺

グレートトラバースで見た光景を観れました。

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埋まっている標識 積雪どれくらいかな

黒檜山~駒ケ岳(標高1685m)は尾根歩きで約1時間です。積雪期は雪で滑るので慎重に歩き進みます。

御黒檜大神

黒檜山山頂より少し駒ケ岳寄りに御黒檜大神と祀られています。

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御黒檜大神 

駒ケ岳山頂

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駒ケ岳山頂 標高1685m

この日は霞がかかっていましたが、関東平野が一望できる素晴らしい眺め👀。

駒ケ岳からは火口湖の観光施設辺りに下山する登山道で下山しました。急なのですが、随所に階段が整備されているので比較的安全に下山できます。

 

山は標高が高いので、多分、日中最高気温は5度も無かったのではと思っています。下山後に車の温度計は2度でした。しかし、お天気が良く、温かい日差しがたっぷりでしたので、寒い事は無く、時折汗ばむほどでしたので、ウエアの調節をしながらの山歩きでした。

まだ、登山道のほとんどに積雪があるので、軽アイゼンかチェーンスパイクは必須です。滑ります。

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自撮りしてみた(*^。^*)

山の道路と駐車場

赤城に向かう道路は標高が高くなるにつれ、道路わきに雪が残っていますが、きちんと除雪され整備されているのでノーマルタイヤで十分走れました。

まだ寒いこの季節では観光客や登山者で混むことはありませんでした。

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登山者用駐車場 ノーマルタイヤで大丈夫

山歩きの記録はこちら👇

yamap.com

お昼ご飯と下山後のおやつ

お昼ご飯は代り映えしませんが山頂でうどん。絶景を眺めながら温かいうどんを食べる。贅沢だなぁと何時も思う。

おやつはコンビニでパンを買って食べました。美味しかったです。

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山頂での昼食とおやつのパン

使ったお金💰

  • ガソリン代 約2000円
  • 高速代 1080円(一般道も走る)
  • おやつのパン 150円
  • 合計 3230円

 

おまけ

赤城神社

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凍っている火口湖(大沼)に浮かぶ赤城神社

赤城と言えばイニシャルD

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観光駐車場から見る黒檜山と駒ケ岳

黄色いRX-7👀 

甲州街道① 日本橋~府中宿

 

 

五街道歩きを楽しんでいるのですが、歩き進んでいる中仙道は軽井沢先の追分宿で約1年間も停滞してしまっています。お恥ずかしい(;^_^A。

 

何故か甲州街道も歩きたくなり、歩き始めることにしました。

中仙道と甲州街道上諏訪宿で合流し、京都三条大橋に向かっているので、両方を歩き進んで合流してから京都に向かうのも良いかななんて思っています。

五街道の起点は東京・江戸日本橋。今回も日本橋からスタートします。

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日本橋

日本橋に関しては中仙道の時のblogで👇

kechico.hatenablog.com

 

甲州街道

甲州街道は江戸日本橋から甲斐国(山梨県)を経由し、信濃国(長野県)で下諏訪宿で中仙道に繋がる距離53里24町(約211.3㎞)、44次あり五街道の1つです。

五街道日本橋から京都三条大橋に行くには東海道や中仙道が使われることが多かったにもかかわらず、甲州街道が作られたのは、江戸城陥落の際の将軍の避難路であったとの事です。甲州街道江戸城半蔵門より将軍が江戸城を出て、四谷に鉄砲隊を配置し、親藩でもある甲府城まで逃げる設定で作られたそうです。

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半蔵門と四谷にある江戸城外堀

しかし、甲州街道は中仙道や東海道の様に多くの旅人に利用される事も無く、参勤交代で利用する大名も少なく、物価も高い。インフラの整備もそれほどでは無かった事もあり、次第に宿場は衰退したとの事です。距離が短いにもかかわらず宿場の数は多いようです。東海道53次に対して距離が半分以下の甲州街道には44次もありますし。

 

甲州街道国道20号

五街道として整備された甲州街道は、現在では国道20号(甲州街道)に伝承されています。日本橋を起点とし国道1号と並走しながら桜田門交差点で分岐し、新宿、八王子、神奈川県相模原市山梨県大月市甲府市、長野県茅野市諏訪市に続いています。

そして、高速道路では首都高4号新宿線、中央道とも並走しています。中仙道は埼玉方面から群馬、長野に抜けていく際に長く並走する道路はありませんが、甲州街道は継承されており、現代では親しみのある道路の様です。

 

都心の史跡が少ない気がする

甲州街道日本橋を出ると皇居内堀を通り、半蔵門から西に進んでいます。旧街道なので、街道沿いに寺社仏閣、石碑等があると思いますが意外に少ないというかほとんどない…。街道沿いで初めて石碑を観たのは次の宿場である下高井戸宿付近でした。

中仙道では結構見どころが多かった都心の街道沿いなのになぁと思います。東京大空襲の影響かと思うと、この辺りの被害は無い訳ではないようですが、大きな被害でも無いようで、関東大震災かなとも思うのですが、良く解りませんでした。

江戸城半蔵門から四谷を抜け宿場である内藤新宿に繋がる甲州街道は、新宿通り(麹町大通り)とも呼ばれています。江戸時代には大名屋敷や旗本が暮らしていた為栄えていたそうですが、大政奉還後に徳川が静岡に引き上げた際、旗本や大名も引き上げたとあり、有楽町線麹町駅が作られるまでは大きな発展が無かったそうです。現在はビルが沢山建っているオフィス街になっています。

甲州街道最初の宿場であった内藤新宿は、現在の新宿御苑付近であったと言われています。現在は国道20号は地下を通り抜けており、旧街道は御苑近くをなんとなく抜ける感じになっていました。

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四谷4丁目、新宿御苑近くの石碑

一里塚バス停は甲州街道一里塚跡ではない?

新宿南口のバスタ新宿前を通りJRの線路を超え、代々木をかすめた辺りから首都高4号新宿線と合流し、高速道路の下を歩きます。

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新宿駅南口、環7との交差点手前

環7を超え、明治大学を過ぎ、杉並区に入る辺りのバス停の名前が一里塚とあります。甲州街道の4番目の一里塚かなと思い調べてみると、4番目の1里塚は杉並区下高井戸壱丁目41付近とあり、場所は環8を過ぎた辺りで、3番目の一里塚に戻ると渋谷区笹塚にまで戻ります。甲州街道の1里塚跡ではないようです(;^_^A。

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甲州街道の一里塚跡ではないと思われる一里塚バス停

街道沿いの史跡

高井戸宿の跡

甲州街道の2番目の宿場下高井戸宿、3番目の宿場上高井戸宿の跡は、恐らく国道20号(甲州街道)が環8交差点を過ぎすぐに旧甲州街道に分かれる場所の上り沿いにある杉並区立上高井戸宿公園が跡地と思います。ここより甲州街道より旧甲州街道に分かれ、旧街道を走るバス停の名前に中宿や下宿などがあります。しかし、甲州街道の高井戸宿には中高井戸宿は無いのですが…。

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中宿バス停 次は烏山下宿

4番目の一里塚

高井戸宿であったと思われる旧甲州街道沿いに一里塚跡の石碑があります。

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長泉寺入り口にある4番目の一里塚跡と石仏

 

近藤勇生誕の地

長谷山西光寺(調布市上石原)に、新選組近藤勇生誕の地として銅像が祀られています。周辺に旗が沢山掲げられているので気付きやすいです。

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新選組 近藤勇生誕の地

小島一里塚跡 6番目の一里塚

甲州街道沿い、調布市小島町1丁目に6番目の一里塚が石碑として残っているそうです。GoogleMapに乗っているのですが、見つけられませんでした(T_T)。白いフェンスに囲まれている様で見つけにくいとありました。残念_| ̄|○

 

武蔵国八幡宮

武蔵国八幡宮大國魂神社末社とされている神社ですが結構歴史がある神社の様に思います。詳しく調べられていなくてすみません(;^_^A。

この神社の参道は旧甲州街道沿いにあるのですが、参道は南方向に長くあるとの事で、参道は途中で京王競馬場線が通っているそうで踏切まであるとの事。二の鳥居は京王電鉄が奉納されているそうです。

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武蔵国八幡宮

大國魂神社

武蔵国の総鎮守。出雲大社に祀られている大国主の命が主祭神である大國魂神社。大きな神社なので名前を聞く機会も多い神社です。甲州街道を歩く計画を、いつも通り大雑把に立てていたのですが、府中に行くなら大國魂神社にも行きたいなと思っていました。そうすると、願いが叶ったのか(👈そんなはずはない(笑))旧甲州街道沿いに大國魂神社が祀られていました👀。さすが、街道沿いだわとおもいますが、神社のたたずまいを観て、その迫力に圧倒されました<(_ _)>。沢山の人々に大事に信仰されてきた神社だと感じます。

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大國魂神社
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隋神門と本社
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人形に自分の悪い部分を託し、川に流す

武蔵国府跡

大國魂神社を過ぎて、この日の甲州街道歩きを終了しました。自宅に帰ろうと府中本町駅に向かうと、駅前に武蔵国府跡がありました。

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武蔵国府跡 現在は広場になっています

そして、武蔵国府跡は徳川家康の府中御殿跡でもあったそうです。甲州街道が整備されるわけだなぁと思うと同時に、私が一日かけてヒーヒー言いながらここまで歩きましたが、江戸時代の人間は今よりもっと体力や精神力があったと思います。そうすると、家康が江戸城より甲州街道を逃げてきたとすると、おつきの人や荷物もあると考えれば、ここまでが一日の移動距離となるかもしれません。そうすると、自分の御殿を立てておく意味があると。

庚申塔と石碑

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五街道歩きの細かいデータはこちら👇

yamap.com

 

使ったお金💰

  • 電車代 984円
  • 食事  588円
  • 合計1572円

昼食とおやつ

昼食はなか卯の鶏天うどん(430円)。しかし、お腹が空いてしまい、途中のコンビニでパンを購入(158円)。

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高尾山から陣馬山 関東ふれあいの道東京都2 鳥の道

 

 

 

 

2022年の冬は寒い⛄

山に積もった雪は直ぐには解けないだろうなぁと思っていましたが、やっぱり山に行きたい!ので、以前から行きたいと思っていた高尾山~陣馬山への関東ふれあいの道に行きました。

関東ふれあいの道東京都2 鳥の道

山歩きを始めた当初は関東ふれあいの道を歩いていました。理由はコースが整備されている事や、指導票や看板が多いので道迷いの心配がない事でした。

その頃に、このコースの随所は歩いていたのですが、通して歩いたことはありませんでした。車で移動することがほとんどなので、どうしても駐車場からの周回コースやピストンで歩くことが多いです。なので、関東ふれあいの道の様に公共交通機関を使って尾根を歩き反対側に降りるというコースは中々難しいのです。

鳥の道のコースは高尾山口駅からスタートし、高尾山、小仏城山、景信山、堂所山、陣馬山を経由して陣馬高原下バス停に降りるコースで、陣馬高原下バス停からは高尾山駅にバスがあります。

 

結構距離が長い

このコースの設定は、関東ふれあいの道の設定で、距離19.4㎞、所要時間7時間5分となっています。ふれあっているのか…と心の中で呟く(笑)。登山では長いコースだと思いますが、ハイキングコースとしてはありなのかな…。

尾根歩きのコースなのですが、比較的アップダウンが少ないように思います。体力があれば結構スピードが出せそうです。

高尾山で標高599m、一番高い陣馬山で857mと比較的低い山なのですが、累積標高の登で1383mとなりましたので、登りごたえもあり、お約束の筋肉痛にもなりました(*^-^*)。

 

雪解け期の登山道はずるずる滑る

私が行った2022年3月2日には、登山道にはまだまだ雪が残っていましたが、数日前からの暖かさで溶け始めている場所もありました。

解けた雪解け水が凍っている場所には注意。高尾山から小仏城山にあったような。

溶けた雪解け水で登山道がぬかるみずるずるに滑る場所も多くありました。

高尾山から小仏城山、陣馬山から和田峠までの区間は木の階段が整備されているので凍結に気を付ければぬかるみは避けて歩けます。

小仏城山~陣馬山間はすべてがぬかるんでいる訳ではないのですが、随所でぬかるんでいるので結構滑ります。無事に転ばなくても泥だらけになります。

ここ連日暖かくなってきているので、登山道の雪は解けるのでしょうが、登山道のぬかるみが乾くまでもう少しかかるかもしれないです。

チェーンスパイクや軽アイゼンを使う事はありませんでしたが、早朝冷え込むことも三月ではあると思うので、お守りに持っていたほうが良いと思います。

登山道が滑らなければとても歩きやすい登山道です。

 

高尾山

平日朝の高尾山は空いていて良かったです。お天気も崩れる前だったので写真もきれいに撮れました。高尾山は人が多いというイメージなので行くことが少ないのですが、ゆっくりと歩いていると修験道の山だなぁとしみじみ思います。

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岩屋大師

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びわ

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眺めは素晴らしい

高尾山薬王院

真言宗智山派大本山である高尾山薬王院真言宗智山派の本山は成田山新勝寺川崎大師平間寺高尾山薬王院とあります。ご本尊は薬師如来とありますが、それより有名なのが神格化された天狗様です。

高尾山では天狗が神格化され、飯縄大権現様の眷属として信仰されています。お寺なのに神格化?とも思われますが、日本の信仰の歴史を思えば神様も仏様も分け隔てなく大切に進行してきた事もあるので、気にする必要は無いかなと。

 

高尾山薬王院参拝は二回目です。

人が少なくゆっくり参拝して奥の院まで来て気付きました👀

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奥の院

何だか天狗様が狛犬の様にご本尊を守っている様だなぁと。

高尾山の天狗様は眷属なので一人解決して納得する。天狗信仰かぁ。この山には天狗いそうだなぁ(*^^*)。

 

高尾山から陣馬山

高尾山

高尾山薬王院参拝後奥に進めば高尾山山頂に到着します。

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丹沢山系の山々が良く見えるのですが、生憎雲がかかっていました。

 

小仏城山

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高尾山から小仏城山までは木道階段が作られています。ぬかるみが無いので比較的サクサク歩けますが、朝の冷え込みが厳しければ場所によっては雪解け水が凍る事もありそうなので、気を付けて歩きます。

小仏城山山頂は広く、テーブルやベンチもたくさんあり、売店もあります(平日は営業していないかも)。ハイキングの季節には人だらけになります(;^_^A。体力が心配ならばここで引き返すも良し、相模湖方面に降りることも出来るようです。

 

小仏峠

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小仏峠 狸

小仏城山から小仏峠に進むと狸の置物がありました。ここから下山することも出来ます。

 

景信山

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小仏峠に下り、再度登り返したら景信山に着きます。ここもテーブルやベンチが沢山あり売店もあります(営業日に注意)。私は、ここ景信山からの眺めが一番好きかな。都心を一望できますし、、反対方向に富士山も見えます。

 

堂所山

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ぬかるんでいますが、これはまだ良いです(;^_^A

このコースは眺めがとても良いのですが、堂所山山頂からは周りの山しかみえません(;^_^A。小仏城山~陣馬山間を歩くのであればまき道があるのでそこを歩くのも良いと思います堂所山山頂直下は少し急登でもあります。

堂所山山頂からは八王子城山に降りることも出来そうです。

堂所山を過ぎ陣馬山方面に進めば先はどのコースも陣馬高原バス停に降りることになりそうです。

 

明王

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売店跡とトイレ(ぼっとんだったと思う)があり、ベンチもたくさんあります。

 

陣馬山

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明王峠を過ぎるころになると、もはや黙々と歩いており、何かの修行のような気分になります(;^_^A。黙々と歩き、歩き、陣馬山到着。

雲が出て白い馬が綺麗に映らずちょっと残念。

陣馬山山頂は高原になっておりとても気持ちが良いです(寒く無ければ…)。レジャーシートを広げて寝転びたい気分になります。寒く無ければ。

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テーブルやベンチもたくさんあり、トイレもあります。

売店は3軒あり、この日も1軒営業されていました。

陣馬山から和田峠に降りる道は木の階段が整備されており、比較的楽に降りれます。

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林道を歩き陣馬高原バス停へ

和田峠に降りると林道に出るので、林道を下り和田峠バス停に向かいます。陣馬山から和田峠を通らずに、この先の林道に降りる山道もあるそうなので、登山道のコンディションが良ければそのコースも良いだろうなぁと思いました。

ひたすら林道を下り、民家が見えてくるその先にバス停があります。

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陣馬高原バス停 トイレ、登山靴洗い場あり

バスは1時間に1本程です。待ち時間があったので、登山靴の泥を落として、コーヒーを入れて飲みました。温まります。

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この辺りは結構山奥なので、道路の幅は広くないのですが、バスは普通の大きい乗り合いバスでした。対向車が来るとどうするのかなぁと思っていると、運転手さんと助手さんは道幅が広くすれ違える場所を熟知されている様で対応早い👀。時にはバスがバックするのに驚きました。路線バスがバックするのを初めて知ったかも。

夕焼け小焼けを少し降りた頃に道幅が広くなり、先のバス停まで来ると助手さんはおりました。この場所より八王子行きのバスもあるので、それに乗り換える人もいました。

陣馬高原下バス停より終点の高尾山駅までは約35分。出発した高尾山口駅までは徒歩20分程で、車を置いていた高尾山口駅まで戻りました。

 

山歩きの記録はこちら👇

yamap.com

 

お昼ご飯と下山後のアイス

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寒い季節は温かいうどんが美味しい。けれど、下山後はアイスが食べたくなる(;^_^A。

 

使ったお金💰

  • ガソリン代 約830円
  • 駐車場代 800円
  • バス代 567円
  • 高速代 530円
  • アイス 150円
  • 合計 2877円

梅の花と美味しい水(日本水)と長瀞散策

 

 

 

まだまだ寒い日が続いていますが、樹を観るとつぼみが見え始めてきました。そろそろ樹に花が咲く季節だなぁなんて思い、梅の花を観に行こうと思いました。

 

春、樹に咲く花のつぼみを観ると何だか生命力を感じます(*^-^*)。

 

関東地方の梅林を検索すると、三大梅林と通称されるのが水戸偕楽園越生梅林曽我梅林とあり、何処も満開の季節には混みそうだなぁと(;^_^A。

その中の越生梅林を調べると、今年(2022年)はコロナウィルスの影響があるものの、2月11日から3月21日まで梅まつりが行われており、平日休みに出かけました。

私が出かけようと準備していると、愛犬あきさんが「私も行く」と👀で訴えるので、梅林なら大丈夫だろうと一緒に行きました🐕。

梅の花

いそいそと、愛犬あきさんとおばさんコンビで(笑)、埼玉県にある越生梅林に行きましたが、2月中旬で、今年は寒い事もあるのか、梅の花は1分咲き?と思う程で残念(T_T)。今年は梅まつりが縮小されているとあり、入場料は無料ですが、駐車場代が500円なので後日出直そうかなぁと。

越生には何度か来たことがあるのですが、梅林には初めてきました。公園(約千本)含め周辺にもたくさんの梅の木(約2万本)が植えられており、関東三大梅林の一つに言われる事も納得させられます。梅の花が咲いたら綺麗だろうなぁ。

 

私が好きな越生町の隠れた名所はこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

梅林はそのまま通過し、美味しい水を汲みに行こうと日本水の水くみ場に向かいました。日本水の水くみ場は山を登った場所にあるのですが、車で行けます。日当たりが良い場所の為かここでは梅の木に花が咲いていたので、愛車のS子さんと記念撮影📷。

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日本水水くみ場近くの蠟梅

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春を感じる(*^-^*)。

 

日本水(やまとみず)

名水100選にも選定されている日本水(やまとみず)は埼玉県寄居町にあります。山をかなり登った先にありますが、車で行けます。

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日本水 水くみ場

日本武尊が東征の折、戦勝を祈願し御剣を岩壁に刺したところ、たちまち水が湧き、この冷たさに一杯しか飲めなかったとの伝説から「一杯水」の別名があるそうです。剣を刺した場所はこの山の山頂少ししたであり、今はいけないかもしれませんが山頂少し下に噴出地があるそうです。

日本武尊の剣って、スサノオの草薙の剣?ふと思いましたが、詳しく調べられていません(;^_^A。

この日本水が出ている山は釜伏山で、山頂に釜山神社が祀られています。この神社は日本武尊に由来する神社であり、狛犬が狼の神社です。

日本水に関してはこちら👇

環境省選定 名水百選/詳細ページ

ここのお水は煮沸したほうがよさそうですが、お茶やコーヒーを入れるととても美味しいですヽ(^。^)ノ。

 

長瀞散策

ここまで来たらもう少し足を延ばして、長瀞に行きました。きっかけは以前にみたブラタモリで、先日図書館で本を借りてきました。

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もともとジオパークが好きなのですが、タモリさんの様に豊富な知識は無いです(;^_^A。しかし、秩父長瀞の地形って興味があります👀。

私は登山もするので、秩父の象徴である武甲山にも上ったことがあります。そして、何故石灰がとれるのかが不思議だったのです。この本の秩父武甲山について書かれており、1人で納得して喜んでいます(*^-^*)。

 

長瀞で有名なのは岩畳と川下りを思います。数年前に行ったことがあるのですが、色々知ると再度行きたくなります。

川下りはコロナの影響もありしていないだろうし、おばさん一人では敷居が高いし、料金も高そうだし(-.-)乗らない事にしました(;^_^A。実際に行ってみるとコロナの影響でしていなかったのですが…。

 

駐車場

長瀞宝登山神社があったり、川下りや岩畳もある事や、長瀞駅前で無料駐車場は無いようです(たぶん…)。観光地の駐車場はお高いイメージが強いので(;^_^Aどうしようかなと考える。

色々見ていると長瀞ゆうゆうハイキングマップに岩畳一周コース2時間15分とあり、これ良いなぁと。スタート・ゴールは岩畳になっていますが、一周する為どこでも良いので無料駐車場がある長瀞自然の道駐車場を起点にしました。

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長瀞自然の道入り口

ポットホール

紅簾石片岩(こうれんせきへんがん)とポットホール | ジオパーク秩父

これを観たかったのですヽ(^。^)ノ。ポットホールはこちら👇

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ポットホール

自然の力って凄いです👀。しかも綺麗に削られていますし、圧縮されてできた岩の地層が綺麗に出ているし。芸術だ~。こういうのを観ると、人間なんてちっぽけだし、自然の力にかなわないと思う。しかし、自然が作り上げた物って美しいと思う。

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岩畳を散策すると小さなポットホールがあちこちにあります。

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川の流れが変わった場所

ブラタモリの中で、長瀞の川の流れについて書かれています。その場所と同じような場所がありました。

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青い矢印は元々の川の流れ。何事も無ければ川はまっすぐに流れるので不自然に流れることはありません。しかし、川は黄色い矢印の根元で急に流れを変え、その後さらに反対に流れを曲げています、流れも速くなり白くしぶきを立てて落ちています。

 

元々の流れが変わった理由はがけ崩れで川がせき止められた。川は流れを変えるしかないので、流れやすい方向に変えた理由は岩畳にあるとの事。納得👀。自然って凄いなぁ。

荒川橋梁

大正3年に作られたレンガ作りの橋梁で、今でも秩父鉄道が走っています。SL[も走るので、電車マニアにとっては写真撮影スポットの様です。

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秩父に鉄道が走ったのは、武甲山の石灰を運ぶためだったのかなと思う…。

秋さんお散歩

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岩畳に向かい川岸を秋さんとお散歩していると、リードを放してしまい、秋さん私に気付かずにどんどん先に行ってしまう(;^_^A。秋さんは逃げないので、何時気付くかなぁなんて思いながら後ろを歩いていると、ようやく気付いたら自分から戻ってきた。秋さんも楽しそう。

 

自然に癒される

この日の長瀞はお天気が良く温かかったです(*^-^*)。荒川沿いを歩いていると、岩畳の規則のある大地に自然の力の大きさを感じ、岩壁の上に家が建っていたり、白い鳥(サギ?)がいたり、カモが泳いでいたり。自然に癒されます。

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使ったお金💰

  • ガソリン代 約1300円
  • アイス 180円
  • 合計1480円

お昼ご飯とおやつ

お昼ご飯はスープジャーにお茶漬け(;^_^Aを入れて持参し、東屋で食べました。外で食べると美味しい(*^-^*)。贅沢だなぁ。

しかし、お茶漬けだけではお腹が空いて、帰りに道の駅よりいでアイスを買って食べましたヽ(^。^)ノ。

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温かいお茶とお茶漬けは美味しいけれどお腹が空くのが早い

 

大山(神奈川県)と大山阿夫神社

 

 

 

大山阿夫神社

2200年以上前に創建された相模国総鎮守の神社です。水の神、山の神として祀られ、海洋守り神、大漁の神として信仰されてきた神社です。

古くは奈良時代神仏習合の神社として栄え、江戸時代には大山参りと古典落語で語られ、2016年(平成28年)には大山参りが日本遺産に認定されています。

 

大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)

大山大神は富士山の御祭神のサクヤコノハナ姫の父であり、大山は富士山とのお参りも一緒に行われる両社参りも盛んにおこなわれたそうです。

富士に登らば大山に登るべし、大山登れば富士に登るべし

山頂の本社に祀られているのですが、写真を撮り忘れてしまいました(;^_^A。

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大山阿夫神社(下社)

 

高龗の神(たかおかみのかみ)

水神様であり、高は山、龗は龍で龍神と言われているそうです。お社は下社より美晴台に続く登山道の途中にある二重社。

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二重社

二重社の脇に滝があり、古くより禊が行われていたとありますが、滝は枯れていました。

この場所にかつて生えていた杉の木?に、丑の刻参りがされた説明が書かれていました。木は現在は無いそうです。下社から二重社を超えて歩いた先に大きな木にしめ縄がされていました。確かに大きな木は信仰の対象にされていることが多いのですが。

 

大雷の神(おおいかずちのかみ)

雷の神様との事で、神社の奥社で祀られています。火災・魔除け・盗難徐けの神様とあります。

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山頂に祀られている奥の院

獅子山

下社の鳥居をくぐった左手に富士山の岩に獅子が祀られています。大山獅子と言われているそうです。実は狛犬好きです。周りの十二支の親子の干支があり、自分の干支の親子をなでなでさせていただきました<(_ _)>。

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獅子山

大山登山

大山登山は麓から下社、下社から大山山頂の本社までに分けられます

下社から本社のある山頂まで

下社の奥にある入山祓所で(自分で)お祓いし(100円)、登拝門より本社に向けて登ります。私は裏側から登り、表参道に降りてきたので、事後承諾となりました(;^_^A。

登山道は比較的整備されている場所もありますが、大半は岩がゴロゴロしています。

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登拝門

麓から下社まで

大山にはケーブルカー🚠があり、麓から下社までケーブルカーで登ることが出来ます。ケーブルカーを使わなければ、ケーブルカーの麓より男坂と女坂の二か所参道がありますのでそこから登る方が多いと思います。自力でも、ケーブルカーでも登れる山ですヽ(^。^)ノ。

 

今回のルート

私はは男坂・女坂より空いているだろうと考え、日向渓谷に向かい隣の尾根から美晴台を経由し山頂に登りました。

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大きなお地蔵様と美晴台

山頂からは表参道で下社に下山し、関東ふれあいの道でもある二重社を経由して美晴台に抜け下山しました。

急な斜面に登山道が九十九折になっていると思いながら下山したら、つづら坂と書かれていました(*^-^*)。

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駐車場

日向渓谷にある市営ふれあいの森日向キャンプ場駐車場を利用しました。

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市営ふれあいの森日向キャンプ場駐車場(無料)


約50台ほどが停められる川沿いの駐車場です。

 

大山への参拝道付近(ケーブルカーや男坂女坂がある)にも市営駐車場がありますが、有料の様です。

 

山歩きの記録はこちら👇

yamap.com

 

鹿🦌がいる👀

人なれしている?のか、人間が近くに居ても逃げない鹿さんに山頂と下社の二か所で会いました(*^-^*)。

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使ったお金💰とお昼ご飯

使ったお金

ガソリン代 約950円

コンビニコーヒー 100円

高速代 1070円

合計 2120円

お昼ご飯

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山頂での山ご飯はうどんですヽ(^。^)ノ。

寒い冬はうどんが美味しいし温まります。