気が付いた時にはおばさんと言われる年齢になっていました。
思えば仕事に子育てに主婦業に。毎日慌ただしい生活を送ってきました。そして子供が高校卒業しました。まだ学生を続けますが子供はもう自分で色々な判断が出来る年になっていました。無事にここまで来れた事には感謝の気持ちしかありません。私の中での子育ては卒業した。
子育て卒業と同時に自分の時間が持てるようになった。
これまで頑張った自分にご褒美がもらえたように、私は自分の時間を持つことが出来た。この時間をどう使うか
自分の時間は 自分の為に使う
おばさんになるまでよく頑張ったと自分を誉めよう。そしてご褒美のように得られた時間は自分が楽しいと感じるように使おう
その頃、私は登山を始めていました。私の登山は一人で登るソロのみ。1人でいる事の良さを知ることが出来た。すっかり山が大好きになっていた私はふと思った。いつまで山に登れるのだろうか。おばさんになって得られた自分の時間はいつまで続くか解らない。確実に老いが迫ってくる。
登山家の中には70代、80代の元気な方もいるかもしれない。私も、もしかしたら70代になっても山に登っているかもしれない。しかし、おばさんになった今日この頃思うのは、老いに伴う変化であり、結構実感してしまっている。目は老眼になり、頭には白髪。老眼はコンタクトレンズを使い、白髪は定期的に染めてごまかしている。しかし、おばさんになるまで生きた私の体は確実に老化している。
人生80年ともいわれる世の中であり、元気にされている人が多くいることも事実。判断能力があり、運動機能も低下無く歩いたり登山出来たり、美味しくご飯が食べられるのであれば、長生きすることも良いと思う。しかし、自分自身はいつまで自分で判断能力を持って生きられるのかを考えた時に、70歳まで出来るだろうかと考えた。
今は特に生活習慣病も無く、元々足腰も丈夫なのでそんなに心配はないと思われるタイプですが、人間何事もなく、なんて保障は無いなぁと思っています。いつ癌になるかもしれないし、難病になるかもしれないし、事故にあう事もあるかもしれない。そんなもしもの事を言っていれば何も出来ないと思われそうですが、それを反対に考えました。
今、したいことをする そして今を楽しんだら良い
もしもの事を理由にするのではなく、自分自身が楽しんでも良いじゃないか。
これまで仕事に子育てに主婦業、頑張ってきてようやく卒業した。これから先、したいことが出来る時間がどれくらいあるかはわからないけれど、おばさんでは20年程ではないか。50歳なら70歳、55歳なら75歳。20年なんてあっという間だ。今から20年前を思うとつい先日の事の様に思い、若い頃でなくおばさんには一年が短く感じるので、おそらくあっという間に20年なんて過ぎるであろうと思う。そして、もし病気に罹ったり、事故やケガなどに合えば自分が楽しめる時間が短くなるだけだと気付く。短くなることはあるかもしれない。(長くなることには期待しない方が良い。結果的に長くなれば、自分へのご褒美と思おう。)
あっという間であったと言って、したいことをしないでいるのも自分。
あっという間であると思い、したいことを実行するのも自分。
どちらにするのかは自分次第。
人それぞれ、色々なしたいことがあると思う。それで良いじゃないか。
その人がしたい事はその人にとってとても大切な事。
私がしたいことは
私の心が嬉しいと感じる事
目で見るものに美しいと思い、風の音や鳥の声、好きな音楽を聴いたり、大好きな山や森の匂いを感じ、自然の日差しを受け、暑さ寒さで四季を感じ、自分が美味しいと思うご飯を食べる。
五感が嬉しいと感じる事
私は登山に加えて、五街道歩きにも挑戦している。五街道歩きはここ最近行けていないが、積極的に計画をしていかないと、あっという間に月日が経ちそうだ。
そして、霊場巡りもしてみようと始めた。
いろいろ、欲張りすぎかなとも思う。
でも、欲張ってもよいじゃないか。自分が楽しければそれでよい。自分の心が嬉しいと感じればそれでよい。いつまで(何歳まで)自分のしたい事が出来るかは誰にもわからない。それなら、出来るときにしたい事をしておく方がよい。そう思っている。