ケチ子おばさんの空色ハット

山歩き 街道歩き その他お出かけの記録

中仙道⑧ 追分宿、小田井宿、岩村田宿(長野県軽井沢町~佐久市)

 

 

そんなこんなで前置きblogを書いていい訳ばかりしている変なおばさんなのですが、中仙道歩きを一年3かけ月ぶりに再開しました。

言い訳ブログはこちら👇

kechico.hatenablog.com

前回、軽井沢の少し先にあるしなの鉄道で二駅先の信濃追分宿で終了していたので、今回も信濃追分宿からスタートしました。

軽井沢駅からしなの鉄道に乗る 240円

今回は二泊三日の計画にした為、一日目は中軽井沢にある追分宿から佐久市にある小田井宿にしていたのですが、現地まで歩いてみると宿泊先と次の宿場の位置関係が、岩村田宿まで歩いたほうが効率が良さそうでしたので、急遽、岩村田宿まで歩きました。

距離は約17㎞であり、所要時間は約5時間、時速約3.4㎞であり、江戸時代の一里が約3..927㎞に対して少し遅い速度でした。

 

20 追分宿

追分宿は江戸から20番目の宿場で、現在では長野県軽井沢より長野方向に国道18号に並走されて進んだ先にあります。江戸側の19番目の沓掛宿からは1里3町、京都側の21番目の小田井宿までは1里7町です。

鉄道では、軽井沢駅よりしなの鉄道で二駅です。

軽井沢周辺でもあるこの辺りからは浅間山がとても美しく見えますが、浅間山は活火山で噴火を繰り返している山です。江戸時代にも噴火しており、大きい噴火の1つに1783年8月5日(天明3年7月8日)天明の大噴火があります。浅間山の噴火により軽井沢宿、沓掛宿追分宿は被害を受けたとあります。

中仙道より観る浅間山 2021年3月10日

宿場は国道18号より北側に入ると宿場の入り口に比較的新しい常夜灯があります。

 

本陣1、脇本陣2、旅籠35

本陣は残念ながら残っていませんが、本陣の裏門が宿場内にある堀辰雄文学記念館に移設されていいます。

移設されている本陣の裏門

脇本陣である油屋さんは当時の建物を利用して文化事業をNPO法人として行われている様です。

その他に当時の茶屋である、つるがやが残っています。宿の入り口に桝形の道と土手を作りその中に建てられた茶屋が残っています。桝形にしたのは三代将軍家光が、大名に参勤交代を指示した為、宿場内の警備の為とあります。現在では桝形であったことが解るものが残ってないです。

脇本陣油屋と茶屋つるがや

宿場内の街並みと高札場

現在の宿場内は綺麗に整備されており、浅間山が近いためか、たっぷりの綺麗な水が用水路を清々しく流れています。

宿場内の高札場は寛永10年(1633年)の当時の資料により昭和58年に復元されたものとあります。高札も木で復元されたものが掲げられいますが、本物は郷土資料館に展示されているとありました。

水が流れる宿場内の風景と復元された高札場

信濃追分

追分(おいわけ)とは

元は牛馬を追い、分ける場所をいみしたとありますが、追分(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所を指す言葉である。街道の分岐点を意味している。Wikipediaより。

中仙道の追分は

本郷追分、:中仙道と日光御成街道の分岐。現在の東大農学部正門前(東京都文京区)

平尾追分:中仙道と川越街道の分岐。現在の板橋郵便局前交差点

追分宿:中仙道と北北国街道(ほっこくかいどう)の分岐信濃追分に作られた宿場

垂井追分:中仙道と美濃路との追分。現在の岐阜県不破郡垂井町

と、Wikipediaにあります。

追分宿は宿場の名前であり、追分の名前が信濃追分の様ですね。

 

分去れ(わかれされ)の道しるべ

右:従是(これより)北国街道(ほっこく街道)

左:従是(これより)中仙道

とありますが、石碑の文字は読めないかな…。

分去れの碑 国道18号沿いにあります。

ここより街道が二手に分かれ(追分)、中仙道より分かれるのが北国(ほっこく)街道です。

北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道であり、北国脇往還や善行寺街道とも呼ばれています。信濃追分より善光寺を経て北陸道に合流しているそうです。

 

信濃追分の先、取り残された中仙道

中仙道は、江戸東京日本橋より始まり、ここまでは主に国道18号線に沿うように(沿われるように?)通っていますが、国道18号は信濃追分より北国街道に沿って行きます。中仙道は御代田町から佐久市に向かっていますがこの間に沿う国道は無くなり、旧中山道は県道でもない道となり、道路は車が通れるように整備されていますが、当時の風情を思い浮かべることが出来るような旅になります。

当時の主要な道路であった中仙道ですが、江戸時代から明治時代になり、交通手段が歩くことから車や鉄道へと変わりました。それに応じて線路や道路も整備されていますが、多くの鉄道や道路は人々が多く住む当時の街道沿いの宿場を縫うように作られています。しかし、ここから先は下諏訪宿まで幹線道路も鉄道も沿わなくなっています。時代の変化と共に人々の流れが大きく変わった地域です。

しかし、人の流れが無くなった為に当時の物が良く残っている地域になっている様にも思えます。

鉄道もしなの鉄道と離れてしまい、佐久市の新幹線が停まる佐久平駅の近くを通りますが、その先は下諏訪宿中央本線まで鉄道はありません。

中仙道旅をしゃくとり虫🐛方式で歩くには結構大きい難関である区間になります。

 

21 小田井宿

小田井宿北佐久郡御代田町にある、江戸から21番目の宿場にです。江戸側の20番目の追分宿からは1里10町、京都側の22番目の岩村田宿までは1里7町です。

参勤交代で大名が追分宿で宿をとる為、小田井宿は姫君や側室が泊まる事が多くあり、姫の宿と呼ばれたそうです。皇女和宮降家の際にはお昼食休みをされたそうです。

宿場の繁栄期には199戸、人口524人であったようですが、宿場としては規模が小さく、伝馬が主な役割だったとあります。

小田井宿の歴史は古く、慶長年間(1595-1615)には宿駅として機能していたとあり、江戸時代前から初期にかけての時代で、中仙道が整備される以前からあった事になります。徳川が中仙道を整備する前には、東山道が通っていました。

 

本陣1、脇本陣1、旅籠5

宿場内に立派な本陣(安川家住宅)が残されています、脇本陣跡、問屋跡(屋台家住宅)が残っています。街並みも江戸時代の宿場を思えるような風情があります。

本陣と脇本陣
本陣門と風情を感じる宿場町
問屋跡と旅籠かな?

22 岩村田宿

昭和レトロな街並み

岩村田宿は長野県佐久市岩村田にある、江戸から22番目にある宿場です。江戸川の21番小田井宿からの距離は1里7町、京都側の23番目塩名田宿までは1里11町とあります。

本陣は大破したか焼失したか不明とあります。現在の中仙道沿いの街並みは昭和な感じの商店街が立ち並ぶアーケード街の様になっており、当時を思わせるような建物や史跡はほとんど見当たらないです。

昭和レトロな商店街

昭和の風情がある街並みを抜けた先で中仙道は直角に曲がっています。江戸時代の街道は防衛の為にわざと直角にまげて作られた経緯があります。甲州街道での八王子にはそういう場所があるのですが、八王子には八王子城があったよなぁと思いつつ、この辺りにわざわざ街道を直角にまげて防衛する必要があったのかなぁとも思います。

高度経済成長期に町が変貌する中で一斉に区画整備をされ、道路整備の影響かもしれません…。良く解らないです(;^_^A。

相生町交差点で中仙道は直角に曲がっています 相生の松

龍雲寺

岩村田宿より江戸側に龍運寺と言うお寺があります。中仙道を歩いていると多くの立派な建物を観ることが出来、だんだん目が肥えて来るのですが、街道から少し入った場所にある龍雲寺の門がとても立派なので目に留まりました。

龍雲寺の門

かなり、立派な門です。

岩村田宿の本陣が無いため、本陣門がここに移されたのではないかとか、龍雲寺が本陣の役割をしたのかとネットではありますが、場所が宿場であったであろう場所から少し離れていいるので定かではないです。

このお寺は武田信玄にゆかりがあるそうです。

 

住吉大社

岩村田宿より江戸側にある龍雲寺よりもう少し江戸側に戻った先の街道沿いに住吉大社があります。ここのご神木と常夜灯が凄かったです。

かなり凄いご神木と、溶岩で出来た?常夜灯



 

一里塚

39里 追分の一里塚

追分の一里塚は江戸から京都方向に向かって追分宿手前、国道18号を挟むように塚が残っています。

追分の一里塚北側と国道18号を挟んで南側の塚
長野県北佐久郡軽井沢町追分

一里塚は一里毎に街道の両脇に作られていますが、両塚の間の距離が狭いところと広いところがあります。街道のでのひとの賑わいによって違うと思っていますが、江戸時代に作られた一里塚が、現在の片側一車線の国道の幅に収まっている事に感動し、もし、間隔が狭かったならば一里塚は無くなっていたのだろうなと思いました。残っていいるって素晴らしいですね。

(20 追分宿)

40里 荒町一里塚は残念ながら発見できず<(_ _)>。

41里 御代田の一里塚

追分を過ぎて旧中山道を歩いていると街道沿いに標識が建てられています。旧街道が今の場所に変更されたため、街道より北側に少し入った場所にあり、当時に植えられた木も現存している大変貴重な一里塚です👀。かなり凄い👀。1635年以前には作られていたとあるので387年以上前のものという事になります。

樹齢400年弱もある樹が残っている一里塚
北佐久郡御代田町御代田
街道沿いに標識があります。 北側の一里塚も残っています。

(21 小田井宿)

42里 鵜縄沢の一里塚

ここはWikipediaには詳細が書かれていない一里塚ですが、看板はありました。

鵜縄坂の一里塚の説明版 住所不明

小田井宿を過ぎた先で、中仙道は県道9に合流します。その先にある山👀のような場所の麓に説明版がありました。GoogleMapにも載っていますが、場所がその小高い山になっているようです。登り口は解りませんでした。

この辺りにあるようなのですが解りませんでした<(_ _)>。

(22 岩村田宿)

ちょっと寄り道

何故かシャーロックホームズの銅像

信濃追分から少し中仙道から外れた先に庚申塚がある公園があり、その公園にシャーロックホームズの銅像がありました。

庚申公園とシャーロックホームズの銅像(有志でつくられた様子)

中仙道記念館

信濃追分の先の旧中山道沿いにあり、個人が運営されているような感じです。開館日が限られている様で平日は閉館していました。可愛い中仙道歩きができるように作られている場所もありました。

中山道記念館

中仙道歩きのデータはこちら👇

yamap.com

日程と昼食と宿泊、使ったお金💰

二泊三日で計画した今回の中仙道旅の一日目は佐久平で宿泊することにしました。そうすると、一日目の距離は約17㎞となり、都内の自宅からはゆっくりと出発し、高速バスに乗り軽井沢にお昼過ぎに到着しました。

都内のターミナル駅から軽井沢に高速バスで移動

それから佐久市岩村田宿まで歩き、佐久平駅にあるイオンで買い物をしてビジネスホテルに宿泊しました。

お昼はしなの鉄道でのんびり鮭おにぎり🍙 宿泊は佐久平にあるビジネスホテル
  • 地下鉄 168円
  • 高速バス 2200円
  • しなの鉄道 240円
  • イオンで夕飯と飲料他 1057円
  • 宿泊費 7700円
  • 合計 11365円

 

 

これまでの中仙道歩きのblogはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

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kechico.hatenablog.com