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甲州街道④後編 笹子峠と旧甲州街道 駒橋宿、JR甲斐大和駅

 

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kechico.hatenablog.com

 

 

笹子峠越え

笹子峠は、江戸日本橋から甲州街道中山道と合流する下諏訪宿の中間地点であり、甲州街道の最大の難所と言われた峠でした。

山梨県大月市甲斐大和市の間にある標高1096mの峠で、この笹子峠を含む嶺の向こうは甲府盆地です。現在ではトンネルで通り抜けられるようになり、鉄道も車道も大きな交通の要ですが、交通が発達するまでは首都圏と山梨県の間にまたがる越えられない山でもありました。

 

江戸時代

江戸時代は歩くしか方法が無かったので、旅人は歩いて笹子峠を越えました。旧甲州街道は、県道212号を縫うように山道の旧甲州街道が残されています。江戸側より笹子峠に入る前で標高約350m程であり、峠の標高が1096mなので750m程の標高差を登ることになります。峠直下は急登ですが、それ以外は山道と思えば登れるような峠でした。峠を越える瞬間には甲府盆地が一望できるのかと期待しましたが、峠自体が山中に入り込んでいるので、残念ながら展望はありませんでした。

甲州街道 笹子峠を越える場所

江戸側より笹子峠までは、名所にもなっている矢立の杉があることもあるのか、大月市が山道や県道の整備をしてくれているようで、歩きやすくなっています。峠を越えた先の甲斐大和市側にも旧甲州街道が県道を縫うように残ているのは同じなのですが、場所によっては山道があれている場所もあるので、山歩きに慣れていない方は県道を歩いた方が良いかもしれないです。

甘酒茶屋跡 桃ノ木茶屋跡

矢立(やだて)の杉

笹子峠にある矢立の杉は、高さ28m、幹のまわり9mの杉で、幹は地上22mで折れており、樹の中は空洞になっているそうです。現在では木の保存の為、近づけないようになっています。樹齢千年を超えると言われており、平安時代には存在していたことになります。戦国時代笹子峠と通って合戦に行く武士が必勝を祈願してこの杉に矢を射ったことが名前の由来といわれています。

 

甲州街道 笹子峠の名所 矢立の杉

1602年に五街道が制定され、甲州街道が下諏訪まで通ったころより、街道には人々の往来が盛んになり、旅人たちの憩いの場になったようで、江戸末期には葛飾北斎歌川広重にも描かれました。

左:杉良太郎さん寄贈の身代わり両面地蔵菩薩
右:矢立の杉を観ながら休憩できるベンチ
28里:笹子峠矢立の一里塚?

笹子峠の矢立の杉近くに江戸から28番目の一里塚があったようですが、場所は解らないようです。

 

 

 

明治以降の笹子峠

江戸時代から明治となり、日本は近代化が進みます。東京都山梨県の間に大きくまたがる笹子峠は交通の難所でもありました。

 

明治36年に鉄道トンネルが開通

笹子峠に一番にトンネルを通したのは現在の中央本線で、1903年明治36年)開通した単線のトンネルで、長さは4656mでした。中央本線の笹子トンネルは、群馬県新潟県の間にある谷川岳を抜ける「上信越清水トンネル(9702m)」が造られるまでの31年間は日本で一番長いトンネルになりました。

中央本線笹子トンネルは、昭和41年(1966年)に新笹子トンネルが造られ、現在では上下線各一本のトンネルがあります。

余談

鉄道トンネルと道路トンネルを合わせて、日本で一番長いトンネルは青函トンネルで、長さは53.85㎞あり、世界で二番目に長いトンネルでもあります。

ここまで考えると、世界で一番長いトンネルは?となり調べてみました。一番長いトンネルだけだと、水路に造られた長いトンネルがあるので、鉄道トンネルと道路トンネルに限定します。そうすると、世界で一番長いトンネルは、2016年に開通したスイスにありアルプス山脈を抜けるゴッタルドベーストンネルで長さは57㎞です。笹子トンネルを通り抜けるとトンネルが長いと感じるのですが、その約12倍にもなります。

 

甲州街道と国道

甲州街道は明治当初は国道に制定されましたが、峠を越える街道に変わりはなく、昭和4年(1929年)には御坂峠を越えて富士吉田経由で大月市に繋がる、現在の国道139号、137号が国道になり、この区間の旧甲州街道は国道ではなくなりました。国道139号は、江戸より大月経由で富士山に向かう冨士道をして賑わっていた街道でもありました。

甲州街道には昭和13年(1936年)、標高1096mの笹子峠の直下になる標高1040m付近の場所に笹子隧道(※隧道=トンネル)が造られました。笹子隧道は長さが239mで幅が1車線です。車で通るには対抗車が無い事を確認して通る必要がありますが、現在でも旧甲州街道(県道212号)にあり、二本の柱が大変趣を感じる素敵なトンネルです。

笹子隧道 右側より旧甲州街道の山道で笹子峠を越えられます

笹子隧道が造られた後、昭和27年(1952年)に国道20号として甲州街道が国道に制定されるのですが、山梨県の特産物である果物や野菜などを東京の市場へ出荷するには中央本線による鉄道での貨物輸送だったそうです。一部で利用されていたトラック輸送も御坂峠と富士吉田市を経由するルートが使われていたという記録もあり、笹子峠を越える流通は難しかったようです。

 

新笹子トンネル 国道20号

昭和33年(1958年)新笹子トンネルである、現在の国道20号が開通しました。片側1車線で、長さが2953mの新笹子トンネルは当時は有料でしたが、笹子峠を越えることなく抜けられたため、御坂峠と富士吉田を抜けるコースよりも、距離約30㎞、時間は約1時間40分も短縮できるようになりました。予想した交通量を越える多さでああったため、料金回収が進み予定より早く昭和46年(1971年)に無償化されています。

国道20号新笹子トンネルの開通で、首都圏への果物や野菜、花の出荷量が増え、八ヶ岳周辺で生産される生乳や畜産物も流通し、地域に大きな経済効果がありました。

 

中央自動車道 笹子トンネル

鉄道は明治に開通し、昭和に入り国道20号笹子峠をトンネルで抜けられるようになりました。

高速道路である中央自動車道(以下、中央道)は昭和52年(1977年)、2023年の46年前に開通しました。2車線のトンネルを上り(4717m)と下り(4784m)で各1本のトンネルが2本造られています。中央道では岐阜県にある恵那山トンネルに続く2番目の長さとあります。しかし、トンネルの設計速度が時速80㎞であり、制限速度は70㎞に設定されている事もあり渋滞ポイントの1つでもあります。

余談

甲信地方に出かけて中央道上りで都内に戻ろうとするといつも混んでいるイメージがあります。かといって一般道である国道20号に変更しても、中央道が渋滞している時に考えることは皆同じで、高速から逃げてきた車と、相模湖から入ってくる車で車だらけになっている事があります。あまり長く渋滞していると国道411号(柳沢峠)や国道140号(雁坂峠)、大月市から国道139号(松姫峠)で峠越えをすることもあります。しかし、かなり遠回りになることに加えて山越えは運転も大変ですし、時間もかかるので状況判断が大事だと思っています。

渋滞解消のための工事もされているようなので、もう少しの我慢かもしれません。

小仏峠付近 渋滞解消のために新しく橋が造られています

笹子峠のトンネルの本数

江戸時代の旅人は歩いて越えた笹子峠ですが、現在では何本のトンネルがあるのか。

鉄道である中央本線は単線のトンネルが上下線各1本で合計2本、

高速道路の中央道は2車線のトンネルが上下線各1本で合計2本、

国道20号は片側1車線のトンネルが1本、

甲州街道にある県道212号にある笹子隧道トンネル、1車線で長さが239mが1本

合計6本でした。

 

34 駒飼宿

29里 駒飼?日影?の一里塚

笹子峠より駒飼宿に入る前の旧街道山道の脇に一里塚の木柱がある記録がありますが、見つけられませんでした_| ̄|○

 

笹子峠を降りた先、山の中腹になるような場所にある集落は、甲州街道の江戸から34番目の宿場の駒飼宿です。駒は馬のことであり、この地方は馬の放牧が多かったことから駒飼宿と言われたそうです。

二軒の本陣跡に木柱がある

甲州街道は車道を進みながら途中で脇道に入ります。

街道沿いの立派な家 笹子峠をトンネルで抜け谷を抜ける中央道


JR中央本線 甲斐大和駅

ゴールは甲斐大和駅です。中央本線にのって帰りました。

距離:26.1㎞

時間:7時間06分

 

yamap.com

 

お土産は笹子餅

笹子峠を越える前のJR笹子駅近くの国道20号沿いにに笹子餅を売られているお店があります。お店と工場のような建物が道路を挟んで両側にありますが、どちらも同じ様です。明治の鉄道開業と共に駅で販売されてきた大月市の名物で、粒あんが入っているよもぎの草餅です。甘さ控えめで美味しかったです。今では珍しい経木に包まれています。

笹子餅はとても柔らかいので、リュックに入れる時は気を付けないと、私のようにすへしゃげてしまいます_| ̄|○。消費期限が短いので早めに食べましょう。

笹子餅 5個入り500円