またまた、中仙道歩きを続けましたヽ(^。^)ノ。
1、五街道 中仙道歩き3回目
中仙道歩き三回目は、二回目の終了地点の上尾宿より桶川宿、鴻巣宿を経て、8番目の熊谷宿まで歩きました。 相変わらず寒かったですがお天気が良く気持ちよかったです。
鴻巣宿~熊谷宿は4里6町余りある、16.6kmの長距離で、荒川の土手も長く歩く難所と言われていました。その為、宿と宿の間である「間の宿」として吹上村がにぎわったという事です。立場(茶屋)が賑わい、旅人はお茶を飲んだりお団子を食べたり、草鞋を橋買えたりと休憩をとった場所でした。 日本橋より合計すると、距離は69.4㎞、約17里23町46間あるきましたヽ(^。^)ノ。
2、上尾宿を超えて桶川宿
上尾宿を超えると次は約3.6㎞、一里足らずの距離を、先の桶川宿に向かいます。しっかり歩いて小一時間を歩く距離です。
桶川宿は本陣跡があり、古い屋敷が残っており、その説明もされているのでとても解りやすいです。中仙道ウオークにも力が入れられている様子で、真新しいきれいな観光トイレもありました。
①桶川宿本陣跡
②古い屋敷が残る趣のある街並み
武村旅館。1852年(寛永5年)建築。旅籠。
小林家住宅主屋。江戸時代末期頃、旅籠として建てられる。
矢部家住宅。穀物問屋であり紅花商でもあった。中仙道に面した土蔵つくりの店舗は明治38年建築。
③一里塚跡
歩道橋の鉄柱になっていました。1876年(明治9年)に取り壊されたそうです。日本橋より何番目か詳しく解りませんが、8-9番目かなぁ?(*^-^*)。
④観光トイレ
3、桶川宿を超えて鴻巣宿
桶川宿から鴻巣宿までは約8.3㎞。約2里余りの距離です。
①鴻巣に移動された本宿
中仙道が整備され始めた当初、ここに北本宿があったそうです。後に鴻巣宿に移転されている為、中仙道の正式な宿場に北本宿は無くなったようです。はい。しかし、真新しい石碑に北本宿と書かれている事より、地元の方々が大切に思われている事が感じ取れます。
②鴻巣宿本陣跡
今は、真新しい石碑があります。たまたま道路向かいに歴史がある住宅がありましたので一緒に撮影しました。ガラスが入っている戸があったり、建て方等より、結構昭和かな~という印象がありました。
③鴻巣宿にある真新しい石碑
鴻巣市内にはたくさんの真新しい石碑が造られています。これらはこれから未来に向けて中仙道という街道がここを通っていたことを伝えていけることはとても良いことだと思います(*^-^*)。
④街道沿いの神社・寺
写真は、右上:浅間神社、右中:鴻巣神社、右下:真言宗豊山派 龍昌寺、左上:氷川八幡神社、左下:八幡神社
4鴻巣宿を超えて熊谷宿
鴻巣宿から熊谷宿までは15.6㎞で4里近い長距離でした。間の宿として吹上村(後に吹上町となり、鴻巣市と合併)が賑わったそうです。中仙道では間の宿であったが、日光脇往還では正式な吹上宿として認められています。
①箕田追分
箕田追分で、中仙道と忍舘林道に分かれます。忍舘林道は八王子から続く日光裏街道でもあり、多くの人々の往来があったようです。
②一里塚跡
街道を歩いていると、この一里塚跡があります。ここは前砂の一里塚で日本橋より13番目とありますが、現在では残っていないとのことです。
しかし、この場所から少し日本橋よりのところに一里塚ぽい場所かありました。それがこの写真です👇。
この辺は平野ですので、盛り土をしているのは人工的に観えるのと、その盛り土の上に結構大きい広葉樹が植えられており、お地蔵様の祠があります。この高さと規模、そして樹齢でいえば江戸時代の末期かもしれない大きさの広葉樹。盛り土はいつでもできますが、その上に大きな木があるので、少なくともその木が植えられた時には盛り土がされていた様に思いました。その時が江戸時代であれば、一里塚であったと考えても不思議ではないとおもいました。しかも、現在一里塚であろうと思う場所から、私の足で10分。800m程しか離れていませんでした。 しかし、木が若いかな。
③間の宿:吹上宿と吹上神社
この場所は、今ではJRの線路が走っており、旧中山道を歩くなれば迂回します。間の宿は文字通りで宿場と宿場の間にありますが、宿場ではないので宿泊は出来ないと幕府より決められていたそうです。しかし、この宿場間は距離が長いため旅人たちは、お団子を食べたり、草鞋を履き替えたりと、休憩をしながら先に進んでいったそうです。今はこの真新しい石碑があります。
④榎戸村と榎戸堰公園と観光トイレ
中仙道を歩いていると、この石碑がありました。すぐ向こうは、元荒川の堰。風光明媚な場所であったとあり、江戸時代から人々の憩いの場であったようです。今も小高い丘に木が植えられており、休憩するには良い場所です。観光トイレもありました。
⑤お地蔵さまと庚申塔
中仙道もこの辺りは大きなお地蔵様が祀られています。結構大きいです。
その中でこのお地蔵様権八地蔵(物言い地蔵)様。「吾はいわぬが汝いうな」 汝は「なんじ」で、対等、それ以下の相手の人の称。意味深くお地蔵様を拝見させて頂きました。
⑥荒川土手
中仙道はこの辺りより長く荒川の土手を歩きます。この日は寒かったのですが日差しは温かい日でした。街道歩きは天候に大きく左右されるので、雨風の日はとても大変な道中になったと思いました。
お天気が良ければ、とても気持ちの良い街道歩きができます。
⑦馬頭観音
馬頭観音は仏教で菩薩であり、観音菩薩の変化身と言われています。江戸時代、馬が移動や荷物運びの手段として使われており大変貴重なものでした。大切な馬を祀る目的で馬頭観音が置かれたそうです。ですので、馬頭観音があれば街道であったり、街道の難所であったりすることが多いように思われます。
⑧熊谷宿直前の一里塚跡と庚申塔
荒川の土手を気持ちよく歩いていたら、中仙道の分岐を通り過ぎてしまい、少し遠回りになってしまいました( ;∀;)。中仙道に戻り熊谷宿に向かい歩いて行くと、一里塚跡がありました。
八丁の一里塚で、日本橋から16番目の一里塚です。奥にはお社と庚申塔も祀られていました。この日はこの場所よりほど近い熊谷駅で終了しました。
5、昼食
何食べようかなぁ~なんて考えながら街道歩きをしています。大体、道路わきにあるお店を観ると、あれも食べたい、これも食べたいなんて思うのです。はい。今回もお腹が空いて来た頃ちょうど街中を抜けてしまい、チェーン店等全くない場所になってしまいました。すると突然目の前に中華屋さんが現れました!まるで救世主の様でしたヽ(^。^)ノ。
ワンタンメン610円
美味しかったですヽ(^。^)ノ。
6、街道歩きの記録
街道歩きデータはこちら👇
7、使ったお金💰
- 交通費 約1660円
- 昼食(ラーメン) 610円
- 合計 2270円
※五街道 中仙道歩き、ケチ子は出来るだけ旧街道を歩きたいと思っていますが、時々旧街道より外れています。YAMAPで私の歩いた道をUPしていますが、正しい旧街道歩きではありません<(_ _)>。