五街道を歩いてみたい と思っていました。
♪五街道の歌♪
海沿い通るは 東海道
山側通るは 中山道
真ん中抜けるは 甲州街道
いきなりですが、私は歴史が好きではありません(;^_^A。中学や高校でも、勉強をしたと思う事もありませんでした。山歩きを始めた私は、山頂に神社があったり、石仏があったりと歴史に触れる機会が多くなりました。そこで、解らない事があれば、解ったほうが、より一層山歩きを楽しめるのではないかと思っています。
1 江戸時代と五街道
歴史に興味が無かった私ですが、「江戸時代」には関心がありました。1603年から1868年まで、265年間も続いている事は本当にすごいと思いますし、それだけ続くことが出来た理由があるのではないかと思います。それに加えて東京に住んでいれば、意外と身近に江戸の歴史の跡に触れることが出来ます。
その江戸時代に整備された「五街道」。江戸時代より前は、京の都を中心として7つの街道がありましたが、時代は江戸となり、徳川家康が道路の整備をはじめ、五街道最後の完成は1772年(明和9年)10代将軍家治の時で、約170年間の歳月を要しました。幕府は完成後も道中奉行を置き道路の維持管理を行っていました。
街道は、参勤交代に使用されていますが、いずれにしろ、道路は物流・交通の要であることは、今も江戸時代も大きく変わらない事と思います。
現在になり五街道は少しの場所移動があっても「国道」として、物流・交通の重要な要として私たちも使っている、身近な道路になっています。私も、「中仙道」や「甲州街道」を車で楽しくドライブしていますが、江戸時代の人々と同じように歩いたことはありません。
じゃ、なかったらしたら良いヽ(^。^)ノ。
2 五街道の起点「日本橋」
日本橋にやってきました。ここまでの交通費は「定期ヽ(^。^)ノ」です(;^_^A。
地下鉄では東西線と銀座線、都営浅草線が走っていますが、東京駅からも十分歩いて行ける場所にあります。また、7つの国道の起点でもあり、昔も今も重要な交通の要となっています。
しかし、江戸時代には今のように電車もなく、車もありません。陸上の物資の移動は人間が担ぐか、馬になります。大量の運輸をするには、日本橋、橋…。そしたら川👀。「日本橋川」に架かる日本橋。何だか、橋が先で川が後のようです。日本橋川は神田川からの支流で、隅田川に流れていますが、地図を観ると、皇居の外堀のすぐそばの竹橋近くまで続いています。陸路や河川で日本橋が物流の要となると共に、江戸城にも物資を大量に運び込む事が出来ていたと思いました。
人間と物が多く集まる日本橋は、北詰めに「魚河岸」の跡が残っていたり、
通りには代々続いている商店が今でも軒を連ねています👀。
江戸時代から続いていると思われるお店の商品は、「鰹節」「海苔」。
鰹節屋さんの看板に目が留まり、だしを買いました。
150円ですが、テイクアウトすると消費税が8%になるので147円でした。絶品だしでしたヽ(^。^)ノ。私は東のだしを飲みました。江戸そばに合うように「そうだがつお」のだしだそうです。ちなみに西のだしは「あご」だしとの事でした。本当に美味しい出汁でした。
3 中山道を歩く
この日は午前中に用があった為、日本橋を13時頃に出発。最初の宿場である板橋宿まで歩きました。日本橋から板橋宿までの距離は二里。一里は3.93mで約4㎞なので約8㎞です。時速4㎞の速さで歩ければ、約2時間で到着するはずですが、YAMAPの記録では時間は3時間11分、距離は12.2㎞でしたので、時速約4㎞で歩いたことになります。街道歩きが目的なので、出来るだけ寄り道はしませんが、それでも色々史跡が目に入ると止まってしまいました。そして信号待ちも多く、中々スピードが出ない事も実感しました。
都内はあまり坂がありません。とりあえず歩く、ひたすら歩く。です。お弁当を持参しなかったので途中でお蕎麦でも食べようかとも思いましたが、中々タイミングよくお店に入れず、お腹が空きすぎてようやく東大の赤門前で「焼き小籠包」三個入り300円を購入。しかし、座って食べられる公園などが無く、巣鴨まで歩き道路のベンチでようやく食べました。美味しい~。
その後、中仙道はとげぬき地蔵通りとなるのですが、人が多すぎて17号に撤退。その間に新選組の近藤勇のお墓がありました。残念。
4 板橋宿
巣鴨の先は板橋宿です。本日の目的地です。
板橋宿で特に有名なのは「板橋」でもありますが、
もう一つ「縁切り榎」
縁切り榎は皇女「和宮」の話があります。「和宮」、14代徳川将軍家茂、京より中仙道をとおり、江戸城へ。時代は幕末。深いです。そんな時代にも関わらず、縁切り榎を遠回りして降嫁し、家茂と共に徳川将軍が埋葬されている道成寺に埋葬されている。深いです。
縁切り榎を過ぎれば板橋宿も通り過ぎ、少し歩けば都営三田線の板橋本町駅です。
楽しかったです。はい。
歴史は得意ではないので、調べながらですが、それでも楽しいです。神社やお寺。人々が長く信仰している。信仰し続けているには理由があるのではないかと。石像や石碑も長くその場所にある理由。石像の表情。石像も人間が思いを込めて作ったものであるならば、表情には思いが詰まっているのではないかと思います。
又、江戸時代には、今のような便利さは無いかもしれませんが、江戸時代には江戸時代の暮らしの豊かさがあったのではないかと思っています。
京の都、三条大橋。たどり着きたいです(*^-^*)。いつになる事やら。
5 五街道歩きの記録
中仙道歩きの記録はこちら👇
6 使ったお金
- 交通費 バス代220円(定期外の区間)
- 飲食費 焼き小籠包 300円
- 出し 147円
- 合計 667円でした。