ケチ子おばさんの空色ハット

山歩き 街道歩き その他お出かけの記録

甲州街道④前編 26大月宿(JR大月駅)~33黒野田宿

 

 

前回の甲州街道歩きより半年ぶりとなってしまいました。その間数回の登山にはいきましたが、体力保持目的で、自宅近くの公園を徘徊?していましたが、徘徊しすぎて足を痛めるし涙。歳には勝てないと思うのは私も同じ…。

 

今回は甲州街道最大の難所と言われる笹子峠を目前にしたコースであり、前回終了後の大月駅からスタートして笹子峠を越える手前の笹子駅までは12㎞強であり、少し物足りない。かといって、笹子峠を越えて甲斐大和駅までを旧甲州街道笹子峠を越えるとさらに16㎞であり、合計すると28㎞だなぁと思い、以前に下見をしていました。

その時のblogはこちら👇。

kechico.hateblo.jp

 

ここ最近、バタバタと慌ただしかったこともあり、自分の悪い心を解毒できずにため込んでしまい(;^_^A、このままでは悪い人間になってしまうと焦りもあり、ゴールデンウィークのお天気が良い日に出かけてきました。夏日で日差しが強く暑かったです。

 

26 大月宿

甲州街道の大月宿は江戸から26番目の宿場です。大月宿から先で冨士道との追分(街道から道が分かれるところ)があるので、富士山への参拝客で賑わった宿場でした。

・本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠2

JR大月駅を出発し、旧甲州街道は、国道20号に出ないで手前より趣を感じる商店街の通りを進んだ先で国道20号に合流します。この辺りが宿場であったのか、鉄道の駅が出来たために栄えたのかはよくわかりませんが、代々溝口家が務めた大月宿本陣は国道20号に出た先の道路の南側にあります。

大月宿本陣溝口家 明治天皇の碑

・大月追分

富士山へ参拝する旅人はここから甲州街道と分かれて南に向かいました。現在では富士急行と国道130号が並走して走って富士吉田市に向かっています。

追分には常夜灯と道標がありますが、年代は良く解りませんでした。

甲州街道 大月追分(冨士道との分岐点)

道標の向こうに流れている川は桂川であり、源流はどこなのかと調べてみると、なんと山中湖でした。そして、この場所のすぐ下流でこれから並走する笹子川と合流した桂川は相模湖方面に流れていき、山梨県から神奈川県に入った場所で相模川に名前が変わり、相模湾に流れていきます。

甲州街道はこの先の笹子峠に向かい、笹子川に沿って上流に向かいます。

 

23番目:下花咲の一里塚

桂川に架かる橋を渡り進んだ先の国道20号の南側に石仏群と小さな塚があります。この日に見る限りでは一里塚と確認できるものは無かったのですが、大月市のホームページに(文化財一覧のPDF)「下花咲の一里塚」と記載があり確認できました。

下花咲の一里塚跡

道路工事や鉄道工事により当時の面影は残っていないと書かれていますので、脇にある小さな塚は実際の一里塚なのかはわからず、「復元されている」と、書かれている本もあります。もし、復元されているのであれば、一里塚だと分る石碑や説明版がありそうと思うと、もともとあった物かもしれないかも?(知らんけど👈無責任発言(;^_^A)

 

27 下花咲宿、28 上花咲宿

下花咲宿と上花咲宿の間は約600m程しかなく、人馬や荷物の引き継ぎ業務は半月ごとの交代で行っていたそうです。

現在では下花咲宿本陣建物が残っています。甲州街道で本陣建物が残っているのは相模原市にある小原宿本陣と、下花咲宿本陣の二か所のみです。日野宿に残っているのは脇本陣であった建物で、本陣が火災により焼失後本陣の役割をしたものです。

下花咲宿本陣星野家住宅(現在見学は休止)

本陣建物は、1836年に前の建物が焼失し再建されたものとあるので江戸末期の建築と思われます。以前は見学できたそうですが、この日は「しばらくの間、見学は休止させて頂きます」と書かれていました。

 

親鸞聖人旧跡太布名号

親鸞聖人太名号碑

親鸞聖人が甲斐の国とどのような縁があったのか解らなかったので、調べてみました

浄土真宗開祖親鸞聖人御旧跡めぐり<外部リンク>

 

 

甲州街道国道20号を進み、源氏橋で笹子川を渡り下初狩宿へ向かいます。

源氏橋の上より笹子方面を望む

 

25里:丸山の一里塚は場所が特定できていない

甲州街道の一里塚はWikipediaや、文献、個人のblogなどで順番が異なっているので、何番目かを特定するのが困難ですが、恐らく江戸から24番目の一里塚がこの近くにあったようです。

丸山の一里塚はこの付近にあった様子

29 下初狩宿、30 中初狩宿

初狩宿と中初狩宿も合宿でした。

左)下初狩宿の木柱、右)中初狩宿入り口

初狩宿本陣と山本周五郎生誕の地

甲州街道を下初狩宿より中初狩宿に向かって歩くと、旧街道から国道20号に出て少し歩くと「山本周五郎生誕の地」と書かれた石碑があり、石碑の奥に立派な建物があります。

山本周五郎明治36年1903年)生まれの小説家です。名前は清水三十六とあります。

初狩宿本陣と 山本周五郎生誕の地

石碑の奥にある立派な建物は中初狩宿本陣の奥脇家です(建築年代は不明)。明治40年に大雨により大水害が発生し、初狩村は壊滅的被害がでたとあるので、その後の建築かもしれないです。

 

宮川橋の一目富士

初狩宿本陣より少し進んだ先で、左手に富士山の頭が見える場所があります。

電柱と電線を消しゴムマジックしています

この辺りの地形は江戸時代と変わらないでしょうから、当時の旅人もこの場所で富士山を眺めたのでしょう。富士山が見えると何だか嬉しくなります。

この写真を撮ったすぐ先に笹子川の支流の宮川にかかる宮川橋があり、ここからちらっと見える富士山は「宮川橋の一目富士」と呼ばれていました。

 

国道20号は緩やかに高度を上げていきます。

初狩宿の小林本陣は街道の北側にあり、明治天皇の石碑があります。

初狩宿の木柱

初狩宿を抜けると、山間を抜ける国道20号に沿って進みます。途中でJR中央本線の下をくぐった先で笹子川に降りられる階段が造られていたので降りてみました。

この辺りには集落には用水路がひかれており、その取水している場所がありました。古くから田畑の農業用水や生活用水として生活の一部として欠かせない水路だったようです。笹子川の美しい水が豊富に流れていました。

 

26里:白野の一里塚

次の宿場が見えてくるあたりで、右側に中央本線の線路が見える場所で曲がって線路下をくぐり、やや急な斜面を登った先に走っている中央道の手前に江戸より25番目になる白野の一里塚があります。

中央道脇にある白野の一里塚跡

笹子川の急カーブに沿って斜面を削って国道20号が造られていますが、それ以前は川沿いを通れなかったのか、小高い斜面を進んで回り道を避けたのか、旧甲州街道は斜面を通っていたようですが、線路や高速道路の建設で現在では残っていないです。一里塚跡にも塚のようなものはありませんが夫婦道祖神の石仏と木柱があります。

一里塚の先は登山道になるので、国道20号に引き返します。

一里塚前からみる中央本線と特急電車

 

31 白野宿、32 阿弥陀海道宿、33 黒野田宿

白野宿と阿弥陀街道宿、黒野田宿はそれぞれが小さく3宿で人馬の引き継ぎ業務を分担していました。

白野宿

国道20号より北側に旧甲州街道を進むと白野宿です。

白野宿の木柱

白野宿を過ぎると、旧甲州街道国道20号に合流しますが、すぐに北側に分かれて中央本線の脇を通り阿弥陀街道宿に入ります。

阿弥陀街道宿

集落を進むと村社である稲村神社があり、向かいに親鸞聖人にまつわる供養塔があります。

親鸞上人念仏供養塔

葦(よし)が池伝説

この地の地頭の小俣左衛門の娘のよしが旅の僧侶への悲恋の末に池に身を投げて毒蛇となり、村人を苦しめるようになり、親鸞聖人に供養されたという伝説が残っているそうです。

親鸞聖人がよしを供養するために池に投げ込まれた経石も残っているそうです。そして、この伝説は「笹子追分の人形芝居」で現在でも演じられているそうです。

しかし、よしは江戸時代のこの地の実際の人物のようなのですが、親鸞聖人は鎌倉時代だったような。

宿場内を先に進みます。旧甲州街道は宿場の先まで続いており、Googleマップにも記載はあるですが、中央本線により分断されています。

看板は正しかった_| ̄|○

街道歩きをしていると、こういう場合は人が歩ける道が残ってる場合が多いのですが、この場所は本当に行き止まりでした。国道20号に向かって曲がります。

黒野田宿

国道20号を歩いていると、変わった形のお地蔵様に出会います。

甲州街道黒埜 宿笠懸地蔵

このお地蔵さまは安政2年(1855年)、江戸末期。1833年から1835年にわたる天保の大飢饉によるものと説明版に書かれています。

黒野田宿本陣(電線を消しゴムマジック)

国道20号沿いに黒野田宿本陣(天野家)があります。明治天皇の碑もありますが、その他には説明版のようなものもなく、建物も公開されていませんでした。

 

27里:黒野田の一里塚

国道20号が緩やかにカーブしている場所で、甲府方面に向かて右側に「普明院」というお寺があり、お寺の門の両脇に黒野田の一里塚の碑があります。

向かって左側の木柱は、他の一里塚の物と同じものであり、「一里塚跡 黒野田」と薄くなった文字が書かれているのみなのですが、右側にある石碑には「江戸日本橋より二十五里」と書かれています。が、多分「二十七里」です。どうして、二十五里と書かれているのかは分かりませんでした。

街道沿いの塚に馬頭観音を含む石仏が祀られている場所があり、先にある笹子峠ごえが難所であったことを感じながら、ゴールデンウィークであることを思い出させる、笹子川で元気に泳ぐこいのぼりを眺めながら先に進みます。新緑が奇麗です。

国道20号沿いの矢立の杉の大きな看板を眺めて、どれほど大きな杉なのだろうかと思いながら、国道20号のカーブより旧街道に入ります。

 

続きはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

 

参考<外部リンク>

大月観光協会 黒野田宿本陣見学とディープな笹子を知るウォーキング

https://otsuki-kanko.info/blog/view/28502