ケチ子おばさんの空色ハット

山歩き 街道歩き その他お出かけの記録

甲州街道④後編 笹子峠と旧甲州街道 駒橋宿、JR甲斐大和駅

 

前回の記事はこちら

kechico.hatenablog.com

 

 

笹子峠越え

笹子峠は、江戸日本橋から甲州街道中山道と合流する下諏訪宿の中間地点であり、甲州街道の最大の難所と言われた峠でした。

山梨県大月市甲斐大和市の間にある標高1096mの峠で、この笹子峠を含む嶺の向こうは甲府盆地です。現在ではトンネルで通り抜けられるようになり、鉄道も車道も大きな交通の要ですが、交通が発達するまでは首都圏と山梨県の間にまたがる越えられない山でもありました。

 

江戸時代

江戸時代は歩くしか方法が無かったので、旅人は歩いて笹子峠を越えました。旧甲州街道は、県道212号を縫うように山道の旧甲州街道が残されています。江戸側より笹子峠に入る前で標高約350m程であり、峠の標高が1096mなので750m程の標高差を登ることになります。峠直下は急登ですが、それ以外は山道と思えば登れるような峠でした。峠を越える瞬間には甲府盆地が一望できるのかと期待しましたが、峠自体が山中に入り込んでいるので、残念ながら展望はありませんでした。

甲州街道 笹子峠を越える場所

江戸側より笹子峠までは、名所にもなっている矢立の杉があることもあるのか、大月市が山道や県道の整備をしてくれているようで、歩きやすくなっています。峠を越えた先の甲斐大和市側にも旧甲州街道が県道を縫うように残ているのは同じなのですが、場所によっては山道があれている場所もあるので、山歩きに慣れていない方は県道を歩いた方が良いかもしれないです。

甘酒茶屋跡 桃ノ木茶屋跡

矢立(やだて)の杉

笹子峠にある矢立の杉は、高さ28m、幹のまわり9mの杉で、幹は地上22mで折れており、樹の中は空洞になっているそうです。現在では木の保存の為、近づけないようになっています。樹齢千年を超えると言われており、平安時代には存在していたことになります。戦国時代笹子峠と通って合戦に行く武士が必勝を祈願してこの杉に矢を射ったことが名前の由来といわれています。

 

甲州街道 笹子峠の名所 矢立の杉

1602年に五街道が制定され、甲州街道が下諏訪まで通ったころより、街道には人々の往来が盛んになり、旅人たちの憩いの場になったようで、江戸末期には葛飾北斎歌川広重にも描かれました。

左:杉良太郎さん寄贈の身代わり両面地蔵菩薩
右:矢立の杉を観ながら休憩できるベンチ
28里:笹子峠矢立の一里塚?

笹子峠の矢立の杉近くに江戸から28番目の一里塚があったようですが、場所は解らないようです。

 

 

 

明治以降の笹子峠

江戸時代から明治となり、日本は近代化が進みます。東京都山梨県の間に大きくまたがる笹子峠は交通の難所でもありました。

 

明治36年に鉄道トンネルが開通

笹子峠に一番にトンネルを通したのは現在の中央本線で、1903年明治36年)開通した単線のトンネルで、長さは4656mでした。中央本線の笹子トンネルは、群馬県新潟県の間にある谷川岳を抜ける「上信越清水トンネル(9702m)」が造られるまでの31年間は日本で一番長いトンネルになりました。

中央本線笹子トンネルは、昭和41年(1966年)に新笹子トンネルが造られ、現在では上下線各一本のトンネルがあります。

余談

鉄道トンネルと道路トンネルを合わせて、日本で一番長いトンネルは青函トンネルで、長さは53.85㎞あり、世界で二番目に長いトンネルでもあります。

ここまで考えると、世界で一番長いトンネルは?となり調べてみました。一番長いトンネルだけだと、水路に造られた長いトンネルがあるので、鉄道トンネルと道路トンネルに限定します。そうすると、世界で一番長いトンネルは、2016年に開通したスイスにありアルプス山脈を抜けるゴッタルドベーストンネルで長さは57㎞です。笹子トンネルを通り抜けるとトンネルが長いと感じるのですが、その約12倍にもなります。

 

甲州街道と国道

甲州街道は明治当初は国道に制定されましたが、峠を越える街道に変わりはなく、昭和4年(1929年)には御坂峠を越えて富士吉田経由で大月市に繋がる、現在の国道139号、137号が国道になり、この区間の旧甲州街道は国道ではなくなりました。国道139号は、江戸より大月経由で富士山に向かう冨士道をして賑わっていた街道でもありました。

甲州街道には昭和13年(1936年)、標高1096mの笹子峠の直下になる標高1040m付近の場所に笹子隧道(※隧道=トンネル)が造られました。笹子隧道は長さが239mで幅が1車線です。車で通るには対抗車が無い事を確認して通る必要がありますが、現在でも旧甲州街道(県道212号)にあり、二本の柱が大変趣を感じる素敵なトンネルです。

笹子隧道 右側より旧甲州街道の山道で笹子峠を越えられます

笹子隧道が造られた後、昭和27年(1952年)に国道20号として甲州街道が国道に制定されるのですが、山梨県の特産物である果物や野菜などを東京の市場へ出荷するには中央本線による鉄道での貨物輸送だったそうです。一部で利用されていたトラック輸送も御坂峠と富士吉田市を経由するルートが使われていたという記録もあり、笹子峠を越える流通は難しかったようです。

 

新笹子トンネル 国道20号

昭和33年(1958年)新笹子トンネルである、現在の国道20号が開通しました。片側1車線で、長さが2953mの新笹子トンネルは当時は有料でしたが、笹子峠を越えることなく抜けられたため、御坂峠と富士吉田を抜けるコースよりも、距離約30㎞、時間は約1時間40分も短縮できるようになりました。予想した交通量を越える多さでああったため、料金回収が進み予定より早く昭和46年(1971年)に無償化されています。

国道20号新笹子トンネルの開通で、首都圏への果物や野菜、花の出荷量が増え、八ヶ岳周辺で生産される生乳や畜産物も流通し、地域に大きな経済効果がありました。

 

中央自動車道 笹子トンネル

鉄道は明治に開通し、昭和に入り国道20号笹子峠をトンネルで抜けられるようになりました。

高速道路である中央自動車道(以下、中央道)は昭和52年(1977年)、2023年の46年前に開通しました。2車線のトンネルを上り(4717m)と下り(4784m)で各1本のトンネルが2本造られています。中央道では岐阜県にある恵那山トンネルに続く2番目の長さとあります。しかし、トンネルの設計速度が時速80㎞であり、制限速度は70㎞に設定されている事もあり渋滞ポイントの1つでもあります。

余談

甲信地方に出かけて中央道上りで都内に戻ろうとするといつも混んでいるイメージがあります。かといって一般道である国道20号に変更しても、中央道が渋滞している時に考えることは皆同じで、高速から逃げてきた車と、相模湖から入ってくる車で車だらけになっている事があります。あまり長く渋滞していると国道411号(柳沢峠)や国道140号(雁坂峠)、大月市から国道139号(松姫峠)で峠越えをすることもあります。しかし、かなり遠回りになることに加えて山越えは運転も大変ですし、時間もかかるので状況判断が大事だと思っています。

渋滞解消のための工事もされているようなので、もう少しの我慢かもしれません。

小仏峠付近 渋滞解消のために新しく橋が造られています

笹子峠のトンネルの本数

江戸時代の旅人は歩いて越えた笹子峠ですが、現在では何本のトンネルがあるのか。

鉄道である中央本線は単線のトンネルが上下線各1本で合計2本、

高速道路の中央道は2車線のトンネルが上下線各1本で合計2本、

国道20号は片側1車線のトンネルが1本、

甲州街道にある県道212号にある笹子隧道トンネル、1車線で長さが239mが1本

合計6本でした。

 

34 駒飼宿

29里 駒飼?日影?の一里塚

笹子峠より駒飼宿に入る前の旧街道山道の脇に一里塚の木柱がある記録がありますが、見つけられませんでした_| ̄|○

 

笹子峠を降りた先、山の中腹になるような場所にある集落は、甲州街道の江戸から34番目の宿場の駒飼宿です。駒は馬のことであり、この地方は馬の放牧が多かったことから駒飼宿と言われたそうです。

二軒の本陣跡に木柱がある

甲州街道は車道を進みながら途中で脇道に入ります。

街道沿いの立派な家 笹子峠をトンネルで抜け谷を抜ける中央道


JR中央本線 甲斐大和駅

ゴールは甲斐大和駅です。中央本線にのって帰りました。

距離:26.1㎞

時間:7時間06分

 

yamap.com

 

お土産は笹子餅

笹子峠を越える前のJR笹子駅近くの国道20号沿いにに笹子餅を売られているお店があります。お店と工場のような建物が道路を挟んで両側にありますが、どちらも同じ様です。明治の鉄道開業と共に駅で販売されてきた大月市の名物で、粒あんが入っているよもぎの草餅です。甘さ控えめで美味しかったです。今では珍しい経木に包まれています。

笹子餅はとても柔らかいので、リュックに入れる時は気を付けないと、私のようにすへしゃげてしまいます_| ̄|○。消費期限が短いので早めに食べましょう。

笹子餅 5個入り500円

 

甲州街道④前編 26大月宿(JR大月駅)~33黒野田宿

 

 

前回の甲州街道歩きより半年ぶりとなってしまいました。その間数回の登山にはいきましたが、体力保持目的で、自宅近くの公園を徘徊?していましたが、徘徊しすぎて足を痛めるし涙。歳には勝てないと思うのは私も同じ…。

 

今回は甲州街道最大の難所と言われる笹子峠を目前にしたコースであり、前回終了後の大月駅からスタートして笹子峠を越える手前の笹子駅までは12㎞強であり、少し物足りない。かといって、笹子峠を越えて甲斐大和駅までを旧甲州街道笹子峠を越えるとさらに16㎞であり、合計すると28㎞だなぁと思い、以前に下見をしていました。

その時のblogはこちら👇。

kechico.hateblo.jp

 

ここ最近、バタバタと慌ただしかったこともあり、自分の悪い心を解毒できずにため込んでしまい(;^_^A、このままでは悪い人間になってしまうと焦りもあり、ゴールデンウィークのお天気が良い日に出かけてきました。夏日で日差しが強く暑かったです。

 

26 大月宿

甲州街道の大月宿は江戸から26番目の宿場です。大月宿から先で冨士道との追分(街道から道が分かれるところ)があるので、富士山への参拝客で賑わった宿場でした。

・本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠2

JR大月駅を出発し、旧甲州街道は、国道20号に出ないで手前より趣を感じる商店街の通りを進んだ先で国道20号に合流します。この辺りが宿場であったのか、鉄道の駅が出来たために栄えたのかはよくわかりませんが、代々溝口家が務めた大月宿本陣は国道20号に出た先の道路の南側にあります。

大月宿本陣溝口家 明治天皇の碑

・大月追分

富士山へ参拝する旅人はここから甲州街道と分かれて南に向かいました。現在では富士急行と国道130号が並走して走って富士吉田市に向かっています。

追分には常夜灯と道標がありますが、年代は良く解りませんでした。

甲州街道 大月追分(冨士道との分岐点)

道標の向こうに流れている川は桂川であり、源流はどこなのかと調べてみると、なんと山中湖でした。そして、この場所のすぐ下流でこれから並走する笹子川と合流した桂川は相模湖方面に流れていき、山梨県から神奈川県に入った場所で相模川に名前が変わり、相模湾に流れていきます。

甲州街道はこの先の笹子峠に向かい、笹子川に沿って上流に向かいます。

 

23番目:下花咲の一里塚

桂川に架かる橋を渡り進んだ先の国道20号の南側に石仏群と小さな塚があります。この日に見る限りでは一里塚と確認できるものは無かったのですが、大月市のホームページに(文化財一覧のPDF)「下花咲の一里塚」と記載があり確認できました。

下花咲の一里塚跡

道路工事や鉄道工事により当時の面影は残っていないと書かれていますので、脇にある小さな塚は実際の一里塚なのかはわからず、「復元されている」と、書かれている本もあります。もし、復元されているのであれば、一里塚だと分る石碑や説明版がありそうと思うと、もともとあった物かもしれないかも?(知らんけど👈無責任発言(;^_^A)

 

27 下花咲宿、28 上花咲宿

下花咲宿と上花咲宿の間は約600m程しかなく、人馬や荷物の引き継ぎ業務は半月ごとの交代で行っていたそうです。

現在では下花咲宿本陣建物が残っています。甲州街道で本陣建物が残っているのは相模原市にある小原宿本陣と、下花咲宿本陣の二か所のみです。日野宿に残っているのは脇本陣であった建物で、本陣が火災により焼失後本陣の役割をしたものです。

下花咲宿本陣星野家住宅(現在見学は休止)

本陣建物は、1836年に前の建物が焼失し再建されたものとあるので江戸末期の建築と思われます。以前は見学できたそうですが、この日は「しばらくの間、見学は休止させて頂きます」と書かれていました。

 

親鸞聖人旧跡太布名号

親鸞聖人太名号碑

親鸞聖人が甲斐の国とどのような縁があったのか解らなかったので、調べてみました

浄土真宗開祖親鸞聖人御旧跡めぐり<外部リンク>

 

 

甲州街道国道20号を進み、源氏橋で笹子川を渡り下初狩宿へ向かいます。

源氏橋の上より笹子方面を望む

 

25里:丸山の一里塚は場所が特定できていない

甲州街道の一里塚はWikipediaや、文献、個人のblogなどで順番が異なっているので、何番目かを特定するのが困難ですが、恐らく江戸から24番目の一里塚がこの近くにあったようです。

丸山の一里塚はこの付近にあった様子

29 下初狩宿、30 中初狩宿

初狩宿と中初狩宿も合宿でした。

左)下初狩宿の木柱、右)中初狩宿入り口

初狩宿本陣と山本周五郎生誕の地

甲州街道を下初狩宿より中初狩宿に向かって歩くと、旧街道から国道20号に出て少し歩くと「山本周五郎生誕の地」と書かれた石碑があり、石碑の奥に立派な建物があります。

山本周五郎明治36年1903年)生まれの小説家です。名前は清水三十六とあります。

初狩宿本陣と 山本周五郎生誕の地

石碑の奥にある立派な建物は中初狩宿本陣の奥脇家です(建築年代は不明)。明治40年に大雨により大水害が発生し、初狩村は壊滅的被害がでたとあるので、その後の建築かもしれないです。

 

宮川橋の一目富士

初狩宿本陣より少し進んだ先で、左手に富士山の頭が見える場所があります。

電柱と電線を消しゴムマジックしています

この辺りの地形は江戸時代と変わらないでしょうから、当時の旅人もこの場所で富士山を眺めたのでしょう。富士山が見えると何だか嬉しくなります。

この写真を撮ったすぐ先に笹子川の支流の宮川にかかる宮川橋があり、ここからちらっと見える富士山は「宮川橋の一目富士」と呼ばれていました。

 

国道20号は緩やかに高度を上げていきます。

初狩宿の小林本陣は街道の北側にあり、明治天皇の石碑があります。

初狩宿の木柱

初狩宿を抜けると、山間を抜ける国道20号に沿って進みます。途中でJR中央本線の下をくぐった先で笹子川に降りられる階段が造られていたので降りてみました。

この辺りには集落には用水路がひかれており、その取水している場所がありました。古くから田畑の農業用水や生活用水として生活の一部として欠かせない水路だったようです。笹子川の美しい水が豊富に流れていました。

 

26里:白野の一里塚

次の宿場が見えてくるあたりで、右側に中央本線の線路が見える場所で曲がって線路下をくぐり、やや急な斜面を登った先に走っている中央道の手前に江戸より25番目になる白野の一里塚があります。

中央道脇にある白野の一里塚跡

笹子川の急カーブに沿って斜面を削って国道20号が造られていますが、それ以前は川沿いを通れなかったのか、小高い斜面を進んで回り道を避けたのか、旧甲州街道は斜面を通っていたようですが、線路や高速道路の建設で現在では残っていないです。一里塚跡にも塚のようなものはありませんが夫婦道祖神の石仏と木柱があります。

一里塚の先は登山道になるので、国道20号に引き返します。

一里塚前からみる中央本線と特急電車

 

31 白野宿、32 阿弥陀海道宿、33 黒野田宿

白野宿と阿弥陀街道宿、黒野田宿はそれぞれが小さく3宿で人馬の引き継ぎ業務を分担していました。

白野宿

国道20号より北側に旧甲州街道を進むと白野宿です。

白野宿の木柱

白野宿を過ぎると、旧甲州街道国道20号に合流しますが、すぐに北側に分かれて中央本線の脇を通り阿弥陀街道宿に入ります。

阿弥陀街道宿

集落を進むと村社である稲村神社があり、向かいに親鸞聖人にまつわる供養塔があります。

親鸞上人念仏供養塔

葦(よし)が池伝説

この地の地頭の小俣左衛門の娘のよしが旅の僧侶への悲恋の末に池に身を投げて毒蛇となり、村人を苦しめるようになり、親鸞聖人に供養されたという伝説が残っているそうです。

親鸞聖人がよしを供養するために池に投げ込まれた経石も残っているそうです。そして、この伝説は「笹子追分の人形芝居」で現在でも演じられているそうです。

しかし、よしは江戸時代のこの地の実際の人物のようなのですが、親鸞聖人は鎌倉時代だったような。

宿場内を先に進みます。旧甲州街道は宿場の先まで続いており、Googleマップにも記載はあるですが、中央本線により分断されています。

看板は正しかった_| ̄|○

街道歩きをしていると、こういう場合は人が歩ける道が残ってる場合が多いのですが、この場所は本当に行き止まりでした。国道20号に向かって曲がります。

黒野田宿

国道20号を歩いていると、変わった形のお地蔵様に出会います。

甲州街道黒埜 宿笠懸地蔵

このお地蔵さまは安政2年(1855年)、江戸末期。1833年から1835年にわたる天保の大飢饉によるものと説明版に書かれています。

黒野田宿本陣(電線を消しゴムマジック)

国道20号沿いに黒野田宿本陣(天野家)があります。明治天皇の碑もありますが、その他には説明版のようなものもなく、建物も公開されていませんでした。

 

27里:黒野田の一里塚

国道20号が緩やかにカーブしている場所で、甲府方面に向かて右側に「普明院」というお寺があり、お寺の門の両脇に黒野田の一里塚の碑があります。

向かって左側の木柱は、他の一里塚の物と同じものであり、「一里塚跡 黒野田」と薄くなった文字が書かれているのみなのですが、右側にある石碑には「江戸日本橋より二十五里」と書かれています。が、多分「二十七里」です。どうして、二十五里と書かれているのかは分かりませんでした。

街道沿いの塚に馬頭観音を含む石仏が祀られている場所があり、先にある笹子峠ごえが難所であったことを感じながら、ゴールデンウィークであることを思い出させる、笹子川で元気に泳ぐこいのぼりを眺めながら先に進みます。新緑が奇麗です。

国道20号沿いの矢立の杉の大きな看板を眺めて、どれほど大きな杉なのだろうかと思いながら、国道20号のカーブより旧街道に入ります。

 

続きはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

 

参考<外部リンク>

大月観光協会 黒野田宿本陣見学とディープな笹子を知るウォーキング

https://otsuki-kanko.info/blog/view/28502

甲州街道③後編 矢坪坂の古戦場跡(山梨県上野原市)~駒橋宿(山梨県大月市)

 

 

荻野の一里塚を過ぎてから集落を通り抜けて談合坂SA(上り)手前で中央道を渡り矢坪地区に入ります。現在では中央道が貫いている場所なのですが、もともとは手前にあった長峰砦跡から矢坪地区までは尾根が続いていました。長峰砦は戦国時代に築かれた砦であるならば、この辺りは戦の歴史があります。

矢坪坂の古戦場跡

1530年(享禄3年)甲斐国の小山田が相模国を矢坪坂で迎え撃ち激戦となりました。戦いの末小山田は敗れ多数の死者が出たと伝えられており、付近では矢じりが掘り出されることもあったそうです。

 

甲州街道は山道になりますが、途中には戦に関係があるのだろうかと思わせられる場所が残っています。

山中を通り抜ける古道沿いの石碑と座頭転がし、天王様

20犬目宿

本陣2、脇本陣0、旅籠15

1970年の火事で焼失し、現在では宿場の面影を残すような雰囲気は残っていないです。

犬目宿 明治天皇御小休所の碑

犬目宿から見た富士山は犬目富士と呼ばれ葛飾北斎歌川広重にも描かれていますが、現在では同じような眺めを観ることは出来るのでしょうか。今回の街道歩きでは展望場所を見つけることはできませんでした。

 

犬目宿兵助

1836年(天保7年)の大飢饉に米を買い占めていた商人に直談判した義民とあります。兵助が起こした一揆は後に暴徒化してしまい天保甲州一揆にまで発展してしまいました。兵助は晩年に犬目に戻り家族とひっそり暮らしたそうです。

宝勝寺

甲斐88か所の6番札所、郡内33観音霊場の23番目の霊場でもあります。葛飾北斎富嶽三十六景歌川広重の不二三十六景はこの辺りで書かれたとあります。宿場を甲斐国側に抜けた先にあります。

宝勝寺

恋塚一里塚 21番目

犬目宿を抜けて山道の県道を進むと江戸から21番めの恋塚の一里塚があります。

21番目 恋塚一里塚

南側の一里塚が現存しています。平成18年の大雨により塚の西側斜面が崩れましたが復旧工事がされています。もともと付近は峰続きでしたが旧街道を作るときに掘割りしたため地形を生かして一里塚が作られたとあります。きれいな形が残されている一里塚であり、甲州で唯一当時の姿を残しています。塚には松が植えられていたそうです。

恋塚の一里塚を過ぎると山道である県道を進み下鳥沢宿へ向かいます。この辺りを過ぎると街道は標高をどんどん下げ国道20号に合流し桂川に沿うようになっていきます。

集落に祀られている山住神社と県道沿いにあった可愛いモニュメント

21下鳥沢宿・22上鳥沢宿

下鳥沢宿と上鳥沢宿は二つの宿が半月ごとの交代で宿場の役割を果たした合宿と言われる機能を果たしていました。

宿場らしい町並みは1906年明治39年)の大火で焼失していますが、街道沿いの宿場の雰囲気が残されています。

上鳥沢宿に残る問屋場の建物

上鳥沢宿の本陣跡は現在セブンイレブンがある場所とあります。すぐ隣には明治天皇の碑があります。

 

22鳥沢の一里塚

国道20号沿い北側の下鳥沢宿と上鳥沢宿の間に木柱があります。結構見つけづらい一里塚跡でした。江戸から22番目の一里塚です。

 

23猿橋宿

国道20号をひたすら進みます。その先には猿橋宿があるのですが、見所は日本三奇矯と言われる猿橋です。

猿橋

山口県岩国の錦帯橋、長野県の木曽の棧と共に三奇矯の一つの猿橋です。橋脚が使われず両岸から張り出した四層のはね木で支えられている特殊な構造だとあります。奈良時代に造られたとあり現在の猿橋は1851年(寛永4年)の資料を基に1984年に復元されたものです。

 

本陣1、脇本陣2、旅籠10

比較的大きな宿場で、江戸時代には芝居小屋もありました。猿橋の絶景を観るために宿泊や休憩をする旅人で宿場や茶屋が賑わう宿場でもありました。

猿橋日本橋から甲斐国側に渡った場所より宿場があったとあります。現在では観光場所となっており、宿場であったという面影はあまり残っていなかったです。

 

23猿橋の一里塚

猿橋を抜けて国道20号を進みJR猿橋宿を過ぎた先にある阿弥陀寺前に猿橋の一里塚の木柱があったと記事と写真がありましたが今回は見つけられませんでした<(_ _)>。

 

中央本線を渡る

猿橋の一里塚があったであろう阿弥陀寺の先で国道20号より旧街道に入り

ます。旧甲州街道東京電力水力発電所脇の細い道となり、進んだその先で中央本線を渡るのですが、立ち止まって写真を撮りました。

中央本線を渡る遮断機のない踏切

24駒橋宿

本陣0、脇本陣0、旅籠4

宿場の規模としてはかなり小さな宿場です。現在では宿場の面影はありませんが厄王大権現が祀られている場所に宿場と書かれている木柱が立てられていました。

 

大月駅

今回のゴール地点としたJR大月駅に到着しました。JR中央本線富士急行の駅であり特急も止まるターミナル駅です。駅は登山やトレッキングを終えて電車に乗ろうとしている客で賑わっていました。私もその一人です(*^-^*)。

JR大月駅とお土産に買った信玄万頭

夕方17時を過ぎており辺りは暗くなってきてしまい、駅構内で信玄万重をお土産に買って、中央本線に乗って帰路につきました。

 

今回のYAMAPデータはこちら👇

yamap.com

 

お昼ご飯🍚とおやつ

旧街道歩きをしているとタイミングよく飲食店やコンビニにたどり着く可能性が低い事もあるので、今回もお弁当を持参しました。スープジャーの中には天丼を入れています。談合坂SA上り線手前にある公園で頂きました。上野原で買った酒まんじゅうも美味しかったです。運動をして青空の元で食べる食事は美味しいです。

 

使ったお金💰

  • 電車代 1925円
  • コンビニでおにぎりとパン 278円
  • 自販機で飲料購入×2本 270円
  • 酒まんじゅう二個 220円
  • お土産の信玄饅頭 550円
  • 合計 3243円

でした(*^-^*)。

甲州街道③中編 18鶴川宿~19野田尻宿(山梨県上野原市)

 

 

甲州街道歩き③前編に続く中編です。

 

18番目の宿場である鶴川宿~野田尻宿前編はこちら👇

kechico.hatenablog.com

甲州街道歩きの記事はこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

 

谷を一気に抜ける中央道

上野原宿から国道20号を進み本町交差点の先で旧街道は南に分かれます。住宅街を進んだ先で旧甲州街道は北に向かい、北から南に向かっている国道20号を歩道橋で渡り鶴川宿へ進んでいきます。

国道20号を歩道橋で渡る

国道20号桂川相模川)に沿って中央本線と共に西に向かいます。旧甲州街道は中央道に沿うように談合坂方面を進むのですが、桂川にの支流である鶴川を越えなくてはならないのです。鶴川はそんなに大きな川ではないのですが、あたりの地形が幅が広い谷になっているのでいったん川岸に降りて再度登り返すことになります。そんな幅が広い谷になっている場所を中央道はどうなっているのかと思うと、

谷を橋で抜ける中央道

長い橋が架けられており一気に走り抜けます。橋は500m程もありそうです。詳しくは解りませんが500mと仮定して時速80㎞で走ったならば、所要時間は0.375分となり、22.5秒です👀。車で22.5秒で走り抜けられる区間を旧街道を歩くと約30分かかりました。文明を感じました<(_ _)>。

 

18鶴川宿

本陣1、脇本陣2、旅籠8

鶴川宿は小さな宿場でしたが、鶴川の川越を伴う場所にあるので宿泊に関しては充実していたとあります。1921年(大正10年)の大火で建物は焼失したとありますが、江戸側より鶴川を渡った先にある街並みは、一直線に通る街道とその両側に家々が立ち並ぶ宿場の雰囲気を残しています。

鶴川脇にある休憩所 鶴川宿の雰囲気が残る街並み
鶴川神社と当時を偲ばせる建物

甲州街道は宿場内を抜けると南に大きく曲がり山を登り尾根近くまで進むと中央道が沿うように通っています。

 

大椚の一里塚

間の宿である大椚宿に向かう途中に大椚の一里塚跡の石碑があります。

大椚の一里塚跡

説明版に、実際の一里塚の場所はこの場所から江戸側に戻った場所にあったとあり、現在ではその場所は残ってないですが江戸時代の絵図で確認できているそうです。Wikipediaには18里とありますが19里の様です。

 

間の宿 大椚宿

甲州街道は比較的宿場間の距離が短く作られているのですが、鶴川宿と野田尻宿の間(距離は1里3丁で約4,2㎞)に間の宿として大椚宿があったようです。間の宿は正式な宿場で無かった事もあるのか、Wikipediaにも記録がなく、資料となるものも見つからなかったのですが、旧甲州街道沿いに木柱があります。

大椚宿の木柱と廿三夜塔
我妻神社と樹齢600年の大杉

参考)我妻神社脇に公衆トイレがあります。

 

長峰砦跡

大椚地区を抜けると旧甲州街道は中央道脇になり、進んだ先に長峰砦跡があります。

長峰砦跡の石碑と説明版が置かれているポケットパーク
甲斐国側から撮影

長峰砦跡はやや小規模の中世の山城跡で、武田信玄の家臣丹後守が甲斐国の東口を相模国北条の侵略から守るために監視をしていたとありますが砦に関しては不明なことも多いとあります。この場所は当時の交通の要所であり、水にも恵まれていたことがこの場所に砦を築いた理由の様です。

砦があったであろう場所のほぼ真上を中央高速道路が建設され元の形を留めなくなってしまっていましたが、中央道の拡張工事が行われることになった際に平成7年から3年間にわたり発掘調査をされています。

当時の砦跡と甲州道中と中央道の様子

発掘された甲州道中

その際に江戸時代の甲州道中とみられる道路の跡が尾根筋を縫うように断続的に発見されました。道幅は1m余りと狭く、地形に沿って蛇行や起伏が激しい険しい道であったとあります。

説明版に当時の遺構と中央道を重ね合わせた図が書かれており、発掘された甲州道中も書かれています。長峰砦跡の遺構を縫うように甲州道中が発見されているのをみて、砦は江戸時代には必要なかったものと思いました。戦国時代が終わったことを実感させられます。

長峰砦跡を過ぎて、中央道を北に渡って野田尻宿に向かいます

 

19野田尻宿

本陣1、脇本陣1、旅籠9

野田尻宿も小さな規模の宿場でした。明治19年の大火でほとんどが焼失したとあります。

野田尻宿は現在の中央道の談合坂SA下り線のすぐ北側にありますが、宿場の方が標高が低いので高速道路の向こう側になるSAは見えないです。

野田尻宿の石碑と明治天皇の御小休所

お玉ヶ井

旅籠で働く美しい女中のお玉さんの恋物語だそうですが、お玉さんは竜であり、長峰池の主である龍神路結ばれたそうです。お玉さんは念願の恋が実ったお礼にと、水不足であった野田尻の一角に澄んだ水をこんこんと湧き出させたそうです。

お玉ヶ井の石碑 西光寺

西光寺

824年に建立された真言宗の寺院であり、後の鎌倉時代臨済宗に転宗した由緒ある寺院とあります。

 

萩野の一里塚

江戸から20番目の一里塚であり、甲斐国に入って塚場の一里塚、大椚の一里塚に続く3番目の一里塚です。北側の塚には平松という老松があったそうです。

萩野の一里塚の木柱と甲斐国側に進んだ先にある説明版

一里塚の木柱が立てられている場所が山道のカーブでもあるためか、説明版は甲斐国側に少し進んだ先にありました。

 

 

 

百観音温泉 埼玉県久喜市

 

 

趣味の一つである日帰り温泉巡りです。これまで訪れた日帰り温泉一覧はこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

 

埼玉県久喜市にある百観音温泉です。

この日帰り温泉の特徴はいろいろありますが、なんといっても源泉かけ流し、加温なし(源泉は57度)ですヽ(^。^)ノ。なかなか、加温なしの日帰り温泉は珍しいです。

 

温泉とお風呂

温泉はアルカリ性とあり㏗7.67です。泉質がナトリウム塩化物強塩酸泉とあり、少しぬるっとしたお湯で塩分が強めに感じます色は茶色がかっており鉱物が混じっているような感じがしますが、特に匂いはありませんでした。

 

源泉の湯量が1000ml/分とあり湯量がたっぷりあるため、露天風呂も内湯も源泉かけ流しになっています。

そして、源泉の温度が57度もあるため加温なしの珍しい日帰り温泉関東平野では結構貴重だと思います。露天風呂に結構珍しい立ち湯があり、そこの湯温が45度もあり、高温の源泉を生かされています。熱湯も好きな私も入りましたが、さすがに45度は結構熱いです(;^_^A。

なんで、関東平野なのに高温の源泉が出るのかなと考えました。根拠はないのですが、この辺りは中央構造線が通っているであろうとされている場所なので、その影響があるのだろうなと勝手に思いました(*^-^*)。

 

立ち湯の他にもたくさんのお風呂があるのもここの特徴ですが、たくさんあるお風呂のお湯は適温に調整されています。少し熱めの気持ちが良い温度であり、炭酸泉はぬるめの温度でした。

館内はかなり広く、内湯も広いですが、露天風呂がかなり広く作られています。それも、源泉の温度が高いから出来るのだろうなぁと思いながら、その広い館内に地元の人かなと思うお客さんが多くおり、家族や友人等複数で来られて楽しくお話をしながら入浴されている人が多いような印象でした。お風呂は広くて数もあるので込み合うような感じではありませんでした。

サウナもあり水風呂もあります。水風呂は温度が高めですが地下水とのことです。

色々なお風呂を楽しんで、寝ころび湯で寝ころびながら青空を眺めていました。気持ち良かったです。

百観音の由来

温泉施設の前に観音堂があります。中には百観音が祀られているとあり、百観音は秩父三十四か所、坂東三十三か所、西国三十三か所の合計で百観音温泉の由来とあります。館内に入ってすぐの場所にも大きな観音様が祀られており、信仰されているようです。

 

料金と交通手段

大人1人

平日 800円

土日祝 850円

車は広い駐車場があります。

電車ではJR宇都宮線東鷲宮駅より徒歩三分の便利な場所にあります。

百観音温泉 - 埼玉県東鷲宮 源泉かけ流し 美人の湯

 

寄り道して鯰の天ぷらと新鮮野菜を購入

東武動物公園にほど近い場所でもありますが、少し車で走りって道の駅加須わたらせに行きました。向かいにわたらせ遊水地があります。

ラムサール条約に登録されている湿地であったり、ハート形をしている事から恋人の聖地と言ったりしているようですが、反面、渡良瀬川上流にある足尾銅山足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に、渡良瀬川下流に造られた日本最大の遊水地であると、Wikipediaに書かれています。

道の駅加須わたらせで珍しいのは鯰の天ぷらが食べられます。イートインで定食がありますが、私はテイクアウトにしてベンチで座って頂きました。

テイクアウトした鯰の天ぷら(500円)

鯰は臭みは無く肉質はしっかりとした感じです。脂っぽい事は無くどちらかというとあっさりしているのか、揚げたてでもあり天ぷらがとても美味しかったです。結構、珍しい物を食べるのは好きです。

 

ここは結構見晴らしが良く、東に筑波山、西に富士山が良く見えました。

昔、神様が日が暮れてから富士山に到着し宿を求めたけれど断られ、今後お前の要る山は夏冬問わず雪に閉じ込めてやるぞと言い残して東に行くと筑波山に着いた。筑波山はあたたかく迎え食事を作りもてなした。神様はとても喜んで、そなたの要る山は日月ともに幸あれ。今後人々が集い登り飲食も豊かにささげるだろうと言ったという。

日本百名山より

甲州街道③前編 14与瀬宿~17上野原宿

 

甲州街道歩きの三回目は江戸より14番目の宿場である与瀬宿(神奈川県相模原市)から24番目の宿場の駒橋宿(山梨県大月市)までの34,8㎞を歩きました。

甲州街道は、江戸から甲府までを表街道、甲府から下諏訪までを裏街道と呼ばれていたとあり、表街道の区間に多くの宿場が置かれています。この日に歩いた距離は確かに長かったのですが、宿場は11か所にもなってしまったため、ブログは分けて書きました。

 

14与瀬宿

JR相模湖駅より出発し甲州街道国道20号に進みます。西に少し歩くと与瀬宿本陣跡があります。以前は与瀬宿本陣と書かれた木柱があったようですが、見つけられませんでした。この場所には明治天皇御小休所でもあり石碑があります。明治天皇所縁の場所でもあので、恐らく本陣だろうなろ思っていると、先の吉野宿にある説明版に与瀬宿本陣と書かれています。

与瀬宿本陣跡

 

本陣1、脇本陣0、旅籠6

甲州街道の宿場は全体に規模が小さく、与瀬宿も小さな規模の宿場だったようです。与瀬宿本陣は明治13年明治天皇が休憩された場所で、食事は先の吉野宿で取られたそうです。

 

慈眼寺と與瀬神社

与瀬宿本陣跡を敷地に沿って曲がると慈眼寺と與瀬神社の前を旧甲州街道は通るのですが、中央道が参拝道を横切っており、中央道にかかる歩道橋を渡るようになっています。

左)鳥居の向こうに歩道橋がある與瀬神社
右)旧甲州街道は中央道をくぐる

與瀬神社を過ぎると旧甲州街道は中央道をくぐるように崖に造られた歩道を通り山の方に向かいます。

 

貝沢橋と与瀬の一里塚

国道20号をかすり、旧甲州街道は山に向かう林道に入ります。この辺りは貝沢という沢で、その沢にかかる貝沢橋を渡り、与瀬の一里塚に向かうのですが、Googlemapにこの間の旧甲州街道が書かれていなく、どこから沢に降りるのかが解りませんでした。仕方がないので、いったん戻り先に進んで下諏訪宿方面より与瀬の一里塚に戻り先の貝沢橋にたどりつき、江戸側から沢に降りる場所まで戻りました。江戸側の林道から沢に降りる山道の入り口は結構解りにくいです(;^_^A。

林道の終点。石碑がります。ここより左にUターンするように林道を進み、沢側に設置されている緑の金網のフェンスが途切れた先5m程の場所に、沢に降りる山道があります。

左)貝沢橋 右)与瀬の一里塚跡

 

15吉野宿

山の中腹を緩やかに少し標高を上げながら西に歩きます。相模湖を眺め、途中に秋葉神社があったり、石仏が祀られている街道を進みます。この辺りから関野宿の手前まで間には比較的新しく甲州古道と地名が書かれた木柱があるので、それらを見つけながら歩くのも楽しいです。

相模湖  石仏  甲州古道の木柱

さらに先に進むと旧甲州街道は突然南に曲がり、相模湖に向かって下ります。中央道を渡り、現在では車道に整備されている関係で道路がくねくねしている場所には、山道でGooglemapに乗っていない旧街道が残されています。木柱が立てられているので比較的見つけやすいです。

中央道を渡ると写真を撮ってしまう(;^_^A。右は吉野宿高札場跡。木柱があります。

 

本陣1、脇本陣1、旅籠3

吉野宿に入る手前で旧甲州街道国道20号に合流します。国道20号の脇に本陣跡、旅籠などの史跡があります。

吉野宿本陣の建物は江戸末期に木造5階建てで偉容を誇っていたとあり、本陣の説明版に当時の写真が描かれていますが、明治29年の大火で焼失しています。大火を免れて現存しているのが本陣の土蔵であり、こちらは三階建てであり江戸時代に建築された可能性があるそうです。現在は国道20号のすぐ脇に建てられていますが、国道20号の歩道整備で曳家で現在の場所に移転されているそうです。

吉野宿本陣跡と現存する吉野宿本陣の土蔵

本陣跡の向かいには藤屋という屋号で旅籠がありましたが、明治29年の大火で焼失し、現在のふじやは明治30年に建築されています。再建後は農業と養蚕業をされたとあり、二階は蚕室とあり、建物は週末の日中に見学できます。

ふじや(見学可能)と、とても参考になる案内図

16関野宿

藤野の一里塚 江戸より17番目

国道20号脇に樹齢推定300年の榎があります。この辺りが17番目の藤野の一里塚の場所でもありますが、看板に説明はありません。吉野宿にあった看板を良く見直すと一里塚の記載と榎の写真があるので他も調べると藤野観光協会が発行されている甲州古道案内図にも書かれているので恐らくここで間違いないと思われます。場所が国道20号すぐ脇のガードレール外にあるので交通量が多いので気を付ける必要があります。

藤野の一里塚とJR中央本線を歩道橋で渡る旧甲州街道

甲州街道は進んだ先で古道が残っており、その先でJR中央本線を歩道橋で渡ると関野宿になります。

本陣1、脇本陣1、旅籠3

関野宿も宿場の規模は小さいですが、相模国最後の宿場であり、この先は諏訪番所を通り甲斐国である上野原宿になるので重要視されていたそうです。宿場は明治21年の大火とその後の二度の大火にて、宿場の面影は残されていません。本陣跡の看板があります。

関野宿本陣跡の看板と何故か軽トラの上にウルトラマン

諏訪関跡

甲州街道相模川に向かい標高を下げながら進みます。相模川の支流である境川にかかる境沢橋を渡り山梨県に入ります。すぐ先に桂川にかかる境川橋を渡ると神奈川県に戻ってしまうので(ややこしい(;^_^A)渡らずにUターンの様に県道520号の坂を登っていきます。坂は乙女坂と言うそうですが、この坂の上りは結構きついです(;^_^A。

坂を上っていくと周辺の山々と相模川、中央道が良く見え、中道道はすごい場所を通り抜けているのが良く解ります。

乙女坂からの景色

諏訪番所

諏訪は甲州の東端にあり相模国との境にあります。なんで、この辺りを諏訪と言うのかと思うと、この先に諏訪神社がありました。

諏訪関跡

江戸時代前の戦国時代、甲州武田氏と相模国北条氏の戦いが幾度となく繰り広げられており、その名残りが現在の旧甲州街道に残されています。

諏訪番所は戦国時代前期に設置されたと見られており、合戦時、甲州武田氏の防衛の機能を果たしたそうです。江戸時代以前は甲州武田氏と相模国北条氏が何度も対立を繰り返している為、両国の間を通る道はなかったとありますので、甲州街道の元になる道はありませんでした。

江戸時代に入り、甲斐国は徳川の親藩となり代々の城主は徳川家で、甲州街道甲府城までの将軍の避難路を想定して作られています。諏訪番所は戦国時代に防衛のために造られましたが、江戸時代以降は関所の役割として使われ、明治4年に廃止されました。

 

諏訪神社

1142-43年(鎌倉時代の少し前)にこの地の一族の氏神として創建されるが、1213年に一族が滅亡したとあります。その後、諏訪大社御霊の分霊をうけ再建されたのが諏訪神社諏訪神社なので、祭神は諏訪大社の神様である建御名方命

疱瘡神社と塚場の一里塚

さらに先に進み中央道を渡った先に疱瘡神社があり、奥に塚場の一里塚があります。

疱瘡とは天然痘の事で、歴史的に世界中で何度も大流行をしている死の病でしたが、1980年にWHOが根絶宣言をしています。神社は江戸時代初期に建立されており疱瘡の神様が祀られています。

疱瘡神社と奥にある一里塚と思われる塚

塚場の一里塚は江戸より18番目の一里塚であり、甲斐国の東端になります。塚の上にはカヤの木が植えられていたそうです。

 

17上野原宿

上野原宿は江戸から甲斐国に入った最初の宿場であり、規模が大きい宿場です。

江戸時代の1742年から1907年まで市が立つ賑わった宿場町でした。この辺りの地域である上野原市富士吉田市、西桂町、都留市大月市の農家では絹の生産が盛んであり、江戸をはじめ多くの商人が甲斐絹を買い付けに来たそうです。上野原宿も何度か大火に見舞われたそうですが、街道沿いには宿場の面影が残っています。

本陣門と国道沿いの屋号がある建物

本陣1、脇本陣2、旅籠20、商家250

国道20号を歩けど、本陣跡などは見当たらないです。脇本陣跡とされているのがホテルルートインの敷地あたりとありますが、特に何もありません。本陣は国道20号より少し入った場所にあり、現在は個人のお宅ですが本陣門があります。

 

上野原名物の酒まんじゅう

上野原宿を歩いていると酒まんじゅうのお店を数件見かけます。どうやら上野原名物のようなので購入してみようと老舗の風格が漂う永井酒饅頭店に少し並んで2個購入しました。他のお客さんは紙袋いっぱい購入されており、人気店のようでした。

店内には蒸しあがったたくさんの酒饅頭が出来ており、私は野沢菜とみそを購入。ふわっと日本酒の匂いがして、なんといっても生地が美味しかったです。結構、美味しい。地元の名物は食すべしと学びました(*^-^*)。

 

続きはこちら👇

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瑞牆山 みずがき山自然公園から周回コース

 

 

瑞牆山日本百名山にも選定されている山梨県北杜市にある標高2230mの山です。

花崗岩が重なり合って聳え立つ山容は、言葉なく見入ってしまう程の迫力を感じさせられます。

みずがき山自然公園からの瑞牆山の山容

 

瑞牆山

日本百名山、山梨百名山でもある山で、花崗岩が風化侵食を繰り返して出来た山とあります。山の名前には諸説あることが多く、瑞牆山も麓の村では瘤岩と呼ばれていたとあります。確かに大きな岩がごつごつした山です。

平安時代に弘法大使が瑞牆山を開山したとあり、現在は登山道に書かれていない場所に梵字大日如来不動明王と書かれている岩があります。カンマンボロン岩と呼ばれており、近くには弘法大師が修行されたと言われている洞窟も残っているそうです。

 

ゴツゴツした岩からなる瑞牆山ですが、登山道はあまり険しくなく比較的安全に登れる山です。登山道は岩場が多く、鎖場やはしごもない訳ではありませんが、登山初心者にちょうど良い山とあり、多くの登山者で賑わっている山でもあります。

 

秩父多摩甲斐国立公園にあり、山の稜線は金峰山甲武信ヶ岳雲取山と続いています。どの山も標高2000mを超える山々である為、瑞牆山の登山口に向かうには山塊をぐるっと回り込むことになるので、首都圏から向かうと距離は遠くなります。

瑞牆山の麓にある富士見平小屋は、金峰山の登山道との分岐地点にあるので、小屋に泊ったり、テント泊をして、二座登る方も多いです。

 

瑞牆山山頂

瑞牆山山頂は大きな岩からなる岩場で断崖絶壁でもあります(;^_^A。

瑞牆山山頂の碑

山頂はあまり広くないことに加えて登山者も多い山でもあるので混んでいることが多いようです。この日もたくさんの登山者で賑わっており、山ご飯を楽しんでいる方もいました。

私が登った日はお天気が今一つで、雲が麓からあがってきて視界が悪くなることもありましたが、雲が流れると目の前には絶景が広がりました。

瑞牆山山頂からの景色

お天気が良ければ金峰山はもちろん、山頂にある五丈岩も見えますし、富士山、南アルプス八ヶ岳の眺めもとても素晴らしいとあり、この日は観えなくて残念でした_| ̄|○

瑞牆山は紅葉で有名な山ですが、登山道にシャクナゲも群生しているので季節を変えて再度訪れるのも良いかなと思っています。

 

不動滝

瑞牆山を県営林道小川山線終点のカサメリ沢駐車場より登ると不動滝があります。

カサメリ沢駐車場

カサメリ沢駐車場は不動滝に一番近い駐車場であり、瑞牆山はクライミングが盛んな山でもあるのでクライマーの方も駐車しているようです。林道は凸凹がない訳ではありませんが、普通の車で走れそうです(スポーツカーはやめておいた方が良いかも(;^_^A)。

みずがき山自然公園からカサメリ沢駐車場まではとても歩きやすい遊歩道と林道を歩きますが、ここから先は登山道になります。山頂近くまで登れば岩場もありますが、ほとんどは普通の登山道です。

不動滝

不動滝は、大きな岩を水が流れ落ちています。この日は水量が少なかったようです。

滝と言えば華厳の滝(日光)や袋田の滝茨城県大子町)のような水が勢いよく落ちる迫力がある滝を思い浮かべますが、不動滝は大きな岩を流れ落ちる繊細な滝です。このような繊細な滝はあまり見ないような気がします。落差も十分あるので迫力もあります。滝が流れ落ちる場所には水で侵食された滝つぼのようなお釜もあります。

不動滝までは沢沿いに登ってくるのですが、沢の水が飲めそうなくらい透明でとてもきれいです。

 

不動滝から瑞牆山山頂

夫婦岩

王冠岩

登山道にあるの大きな岩

瑞牆山山頂から富士見平小屋

富士見平小屋から山頂までの登山道は標高が高くなるにつれて岩場になります。大きい岩もあり鎖を付けてくれている場所もありますし、浮石もない訳ではありませんので気を付けて歩きます。岩がごろごろしています。

岩場の登山道

大ヤスリ岩

・桃太郎岩という岩もあるのですが、気付かずにスルーしてしまいました<(_ _)>。

富士見平小屋とテント場

富士見平小屋を少し降りた場所に水場があります。ここの水は湧き水であり、とても美味しい水です。マイボトルに汲んで持ち帰りました(*^-^*)。

富士見平湧水




登山口

瑞牆山

瑞牆山に登るにはバス停がある瑞牆山荘よりピストンで登山するのが一般的のようです。こちらの登山道は登山者が多いです。駐車場は県営無料駐車場があるようです。

 

みずがき山自然公園

公共交通機関は無いようですが、大きな駐車場とキャンプ場があります。ここからは瑞牆山を周回で登るコースが一般的です。瑞牆山をぐるっと回り込んで不動滝を経由して山頂に登る登山道はとても静かに山歩きを楽しめます。反対に、途中で瑞牆山荘からの登山道と合流して富士見平小屋を経由して山頂に向かう登山等は多くの登山者で賑わっています。

今回は、不動滝を経由して山頂に向かい、下山は富士見平小屋に向かい、途中から遊歩道を歩き自然公園に戻る山歩きをしました。早朝の駐車場は半分程度の込み具合でしたが下山後は満車で脇に駐車している車もたくさんありました。

みずがき山自然公園駐車場

 

大面岩下ボルダー駐車場

みずがき山自然公園駐車場の手前にある10台程の駐車場があります。クライミングの方には人気があるようです。瑞牆山を周回すればこの場所も通りますが、みずがき山自然公園駐車場まで歩いて10分強の距離なので、トイレもある公園駐車場の方が便利かもしれないです。どちらの駐車場も満車になり路肩などに止めている車がありましたので、早めの到着は必要かも。

大面岩下ボルダー駐車場

山歩きの詳しいデータはこちら👇

yamap.com

山ご飯とおやつ

寒くなりつつあるこの季節になると、暖かい山ご飯を食べたくなります(*^-^*)。

今回はインスタントの袋めんにしましたヽ(^。^)ノ。

黄色いトップバリューの袋めんは野菜たっぷり
ゆでたまごをトッピング

スープを飲んでしまえるように粉末スープと水の量を調節して作れるのは袋めんの良い所ですヽ(^。^)ノ。でも、カップ麺も美味しいと思う(*^-^*)。

おやつはコンビニのアイス(*^-^*)

 

交通機関と使ったお金💰

  • ガソリン代 約2500円
  • 高速道路 1650円(中央道調布ICから甲府南IC)
  • コンビニおにぎり2個 278円
  • コンビニアイス 198円
  • 合計 4626円

高速道路は行きのみ利用、中央道調布ICから甲府南ICで軽自動車深夜割引料金です。

瑞牆山に向かうと一番近いICは須玉ICなので、同条件で利用すると1950円になります。早朝の市街地は一般道路もスムーズに走るので途中より一般道路を走りましたが、そう考えると勝沼ICからでもよかったのではないかと思っており、料金は1420円となり、なんだか中途半端なことをしてしまいました(;^_^A。

帰りは国道411号大菩薩ラインで柳沢峠を越えて奥多摩を抜けて帰宅しました。休日の中央道上りは渋滞することが多いのですが、この道もかなり遠く時間もかかります(;^_^A。高速道路では、須玉ICから高井戸ICまで休日割引、軽自動車で2210円です。

 

 

 

 

私が訪れた日帰り温泉一覧

 

 

私は温泉が好きで、日帰り温泉に行くことがあります。

気が付くと、結構あちこちの温泉に行ったなぁと思い、記録としてまとめようかなと思いました。

ただ、入った温泉もいろいろあり、その時にblogに書いたこともあれば、書いていない温泉もあるなぁと思い、可能な限りで記憶を甦らそうとしています(;^_^A。

内容は私の個人の感想になりますし、訪れたタイミングでも込み具合などは変わりますので、ご理解の程よろしくお願いいたします<(_ _)>。

数年前の記録にさかのぼり、順次、内容を組み込んでいこうと思っています。

尚、浴室内の写真についてはHPよりお借りしています。

 

👇が一覧になります<(_ _)>

 

東京都

奥多摩地域

三頭山荘

もえぎの湯

都区外

河辺温泉 梅の湯

【河辺温泉梅の湯】公式|青梅、御岳山、奥多摩の日帰り温泉。お食事処、ご宴会。

 

都区内

前野原温泉 さやの湯処

東京前野原温泉さやの湯処

 

埼玉県

武甲温泉

秩父小鹿野温泉旅館梁山泊

秩父小鹿野温泉 梁山泊 【公式団体サイト】

 

丸山鉱泉旅館

おふろcafé 白寿の湯

おふろcafé 白寿の湯

 

さわらびの湯

 

極楽湯(和光店)

店舗数日本一の風呂屋 | 極楽湯

 

宮沢湖温泉 喜楽里別邸

満願の湯

天然温泉 真名井の湯 大井店

天然温泉 真名井の湯(まないのゆ)大井店:露天風呂|公式HP

 

所沢温泉 湯楽の里

さいたま清河寺温泉

天然温泉 七福の湯 戸田店

大滝温泉 游湯館

三峰神の湯

両神温泉薬師の湯

両神温泉国民宿舎両神荘)

埼玉スポーツセンター天然温泉

天然温泉 TOP|埼玉スポーツセンター

 

秩父川端温泉 梵の湯

秩父川端温泉 梵の湯|関東屈指の重曹泉

 

昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉

 

百観音温泉

百観音温泉 - 埼玉県東鷲宮 源泉かけ流し 美人の湯

 

 

群馬県

見晴館

星尾温泉木の葉石の湯

我妻峡温泉 天狗の湯

西の河原露天風呂

-草津温泉-西の河原露天風呂|トップ

 

伊香保露天風呂

伊香保露天風呂 | 渋川伊香保温泉観光協会

栃木県

喜連川早乙女温泉(きつれがわ そうとめおんせん)

喜連川早乙女温泉ホームページ

 

国民宿舎 かじか荘 庚申の湯

Home | 国民宿舎かじか荘【公式】日光足尾の天然温泉、東照宮から35分で美肌の湯!

 

山梨県

ほったらかし温泉

ほったらかし温泉 ほーむぺーじ

 

源泉かけ流し湯めみの丘

山梨日帰り温泉湯めみの丘

 

丹波山温泉 のめこいの湯

 

やまと天目山温泉

やまと天目山温泉|だれと行く、大菩薩|東京から日帰りで行ける百名山

 

三条の湯

 三条の湯 | 山梨県北都留郡丹波山村 | (有)丹波山観光

 

奥多摩源流 小菅の湯

 山梨県小菅村 大地からの素晴らしい贈り物 多摩源流温泉 小菅の湯

 

静岡県

木の花の湯 御殿場アウトレット日帰り温泉

 御殿場プレミアム・アウトレット敷地内【公式】日帰り温泉 木の花の湯

 

長野県

上諏訪温泉 宮の湯

 

山形県

鳥海温泉 湯楽里ゆらり

この時は、鳥海山へ登山のために出かけたのですが、あいにく天候不良であきらて下山しました。その時の残念感が満載で👇ブログにはお宿の事は書いていますが、温泉の内容はありません<(_ _)>。

鳥海温泉「遊楽里ゆらり」公式HP|鳥海山と日本海を眺める夕日の宿|山形県遊佐町

山梨日帰り温泉 湯めみの丘 山梨県甲斐市


 

 

私は山が好きで登山もします。

ここ最近は仕事の日数を増やしていたり、なんだかんだで山に行けておらずで、ぼーっと山が見える温泉に行きたいと思いました。

 

いろいろ探してみると、山梨県日帰り温泉日本百名山7座を観れる温泉があるのを発見したので、さっそく出かけました。

 

源泉かけ流しの湯 湯めみの丘

山梨県甲斐市

山梨日帰り温泉湯めみの丘

 

フォッサマグナの上に立地しているようです。

 

温泉

泉質はナトリウム塩化物泉とあります。

特に匂いを感じることもなく、お湯も無色ですが源泉かけ流しでもあるのでとても気持ちが良いです。お湯に少し塩分が含まれているような印象もあります。

源泉の温度が44.3度とあり、恐らく加温していないのかなと思う感じで、源泉のままの温度で浴槽に張られて冷めるのか、温度が低いです。その分長く使っていられますが、露天風呂は結構なぬるめのお湯でした。

とても良いお湯で長く疲れて気持ちが良かったのですが、もう少し暑くても良いかなと(;^_^A。

 

地元の方が多く来られているような印象ですが、お風呂も、洗い場も、更衣室も広めになっているので狭いとか混んでいるという感じはなかったです。料金も500円とお得価格なので、地元の方にとっては気軽に利用できます。

 

景色

富士山

百名山一座目は富士山です。

施設の前からとても良く富士山が見えるのですが、鉄塔と電線が…。

女性用の露天風呂からも富士山は見えなくもないのですが、裾野のみかな。たぶん、男性の露天風呂からは良く見えると思うのですが(;^_^A。

 

南アルプス

南アルプスはとても良く見えます。かなり景色は良いです(*^-^*)。

南アルプスの山々で百名山間ノ岳3190m、甲斐駒ヶ岳2967m、鳳凰三山観音岳が最高峰で2841mです。HPには白根三山とあり、白根三山とは北岳間ノ岳農鳥岳の三座の事なので、白根三山が見えていれば北岳も見えているのかと。そうするとここから見える百名山は一座増えるのですが、北岳は見えていないのか良く解らない(;^_^A。

 

八ヶ岳連峰



八ヶ岳として日本百名山になっていおり、最高峰は赤岳で2899mです。

駐車場からの写真ですが、女性用の露天風呂からでも見えます。

鉄塔が…(;^_^A

 

秩父山域



秩父山域は男女とも露天風呂から観えず、駐車場から見えるとあります。金峰山2599mと瑞牆山2230mが見えているそうですが、私には見つけられず…。

 

合計7座の百名山が見える場所です。

やっぱり、露天風呂につかりながら山を眺めたいと思います。

女性用露天風呂 南アルプス八ヶ岳がきれいに見えます。富士山はちょっとだけです(;^_^A。

男性用の露天風呂からはHPによると、どーんと富士山、南アルプスが見えるとありました。

 

登ったことがある山

この7座で私が登ったことがある山は三座です。

甲斐駒ヶ岳八ヶ岳(赤岳)、瑞牆山

 

 

入浴料金

もともとは大人700円、子供400円の設定になっているそうなのですが、コロナの影響でゆっくり滞在が出来ない事との説明があり、

入浴料は大人500円、子供300円になっていました。

 

 

使ったお金💰

  • ガソリン代 約1800円
  • 入浴料 500円
  • コンビニでサンドイッチとコーヒー 506円
  • 合計 2300円

 

 

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前野原温泉 さやの湯処 板橋区前野町

 

 

私は温泉が好きで時々出かけています。

都心から遠く離れた温泉が好きなのですが、何せ距離があるとたどりつくまでに結構時間がかかってしまうので、たまには近くの温泉に行ってみようかと、板橋区にある前野原温泉さやの湯処に出かけました。

 

都内の温泉は黒湯であることが多いのですが、ここのお湯はうぐいす色の濁り湯という珍しいお湯です。源泉かけ流しの露天風呂もあります。

源泉かけ流し 
以下の写真はHPよりお借りしました。

硫黄の成分は無く、特徴は高ナトリウム塩化物強温泉です。匂いはほとんど感じないです。PHは7.4の弱アルカリ性です。塩分濃度はかなり強く、湯上り時には体が少しべたつく感じがあります。HPには成分が肌に付着し汗の蒸発を妨げるため保温性に優れているとあります。

都心近くにありながら、個性のある温泉に入られるのは穴場のような感じがします。

 

施設内はかなり広く、色々なお風呂が楽しめることもここの特徴でもあります。

寝ころび湯 深さ10センチ程度のお湯は張られています

私が大好き壺湯もあります👇。

露天風呂 イメージ

 

壺湯好きです(。・ω・。)ノ♡。プライベートスペースが完全に確保できるし、首と両手足をふちにひっかけて上を向いてお湯に浸かれるってなんという贅沢でしょうかヽ(^。^)ノ。源泉かけ流しのお風呂と壺湯はお湯が少し熱めになっているので良く温まりますし、寝ころび湯は体が10㎝程度しか浸からないのでゆったりと長くお湯に疲れることが出来ます。

露天風呂の脇にはベンチも各所に置かれているので、温まっては外気浴をすることを繰り返しながらゆっくりとお風呂を楽しむことが出来ました。

 

私は、日帰り温泉に行くと露天風呂に入ることが多いので内湯はほとんど入らないのですが、内湯も高濃度炭酸泉やジェットバス等いろいろな種類のお風呂があります。

お風呂の数の多さはかなり多いと思います。

内湯

 

サウナもドライサウナのスチームサウナの2か所あります。勿論水風呂もあります。水風呂の水温はきりっとした冷たさで気持ちよかっったのですが、浴槽の深さが浅かったです。水風呂は少ししゃがんで入ると肩まで疲れるところが多いのでちょっとびっくりしました。それでも、気持ち良いです。

 

色々あるお風呂を楽しんで、サウナと水風呂も堪能し、ゆっくりと疲れをいやしました。

 

場所柄、とても混むだろうなと思っていましたので、休日を避けて平日昼間に行きました。駐車場はほぼ満車の混みようで、人も多く来られていましたが、施設内が比較的広いので入りたいお風呂を堪能することが出来ました。お昼前に着いたことが良かったのか、お湯が疲れているような感じは少々あったかもしれませんが、許容範囲内でとても気持ち良かったです。土日であれば結構混むかもしれないので、人混みが苦手な私は平日が良いかな。

 

 

 

電車で行く場合は都営三田線志村坂上駅より歩いて8分とあります。

志村坂上ってどのへんだったかなと思いGooglemapを観てみると、志村の一里塚がある場所なので、国道17号中山道から少し西に入った場所になります。

志村の一里塚 都営三田線志村坂上駅 国道17号中山道沿い 
中山道歩きでの写真

車で行っても広い無料駐車場もありますし、道路の向かいある大きなイオンの駐車場も利用できます(5時間以内)。

私はイオンの駐車場に車を止めて帰りに買い物をして帰ってきました。なかなか、普段は大きなスーパーに行くことが無いので、大きなイオンに行くと迷子になりそうになります(;^_^A。

 

料金 大人1人

  • 平日 890円
  • 土日祝 1120円

www.sayanoyudokoro.co.jp

 

中山道歩きの見どころ 長久保宿

 

 

江戸時代、徳川幕府によって整備された五街道歩きを楽しんでいます。

kechico.hatenablog.com

その五街道のひとつである中山道を、日本橋から京都三条大橋に向かって歩き、いろいろ見どころはあるのですが、諏訪宿の先まで進んだ私が一番ここはすごい👀思った宿場が長久保宿でした。

長久保宿を含むblogはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

中山道 長久保宿

長久保宿は、中山道で江戸から27番目になる宿場であり、現在は長野県小県郡長和町になります。

中山道の最大の難所である和田峠と笠取峠間にある宿場であり、京都から善行寺参りへ向かう追分でもあったこともあり、当時の旅人にとっては欠かすことのできない重要な宿場の一つで、旅籠が43件もある比較的大きな宿場でもありました。

長久保宿 本陣 石合家(住宅のため一般公開はしていない)
脇本陣跡と高札場

しかし、今(2022年)より155年前の1867年、幕府が大政奉還を行い、時代は明治時代となり、近代化の波がやってきました。それに伴い道路や鉄道が整備されました。それまでは徳川幕府が整備した五街道が人・物の流れを担っていましたが、流れは鉄道や車が走る幹線道路へと変わっていきました。

江戸時代の交通の大動脈の1つであった中山道の多くは、国道や高速道路が並走し、現在でも人々の生活に欠かせなくなっていますが、長野県軽井沢町にある江戸から20番目の追分宿から29番目の下諏訪宿までの間には主要国道が並走していなく、鉄道も長野県佐久市佐久平駅が最後になっています。

明治時代に移った後も宿場の賑わいは続いたそうですが、道路と鉄道が整備されると次第に交通量が減りました。

 

交通が変わったことは地域にとても大きな影響を与えることになり、村は宿場から農村へと変わりました。住民の方々は大変な思いをされたかと思います。

しかし、その変化があったことで街の区画整備や道路整備や拡張などの工事の影響は少なくて済み(それも一概に良いこととも言えないのですが)、当時の街並みや建物が比較的よく残っているにも関わらず、観光開発されていないのが特徴と言えると思います。

 

このような時代背景の中、当時の面影がとてもよく残っており、また、建物を資料館として無料で一般公開されているのが長久保宿で、とても見ごたえがありました<(_ _)>。

 

資料館 吾一庵

資料館 吾一庵

明治初期の建物であり、兼農で馬を取り扱っていたと伝えられている住宅です。

玄関を入ると

土玄関入ってすぐに土間があり、建物の裏にある馬屋へ馬もここを通って出入りしていたそうです。当時の風景がよくわかります👀。

玄関入った土間の反対側には広々とした立派なお座敷があります。

養蚕もされていたとあり、二階には

当時の養蚕の道具と、裃(かみしも)

テレビで見る機会はありましたが、本物の裃を初めて見ました👀。絹で作られており、本当に当時のものなんだと。貴重なものです。立派お屋敷なので、裃を着る方が住まわれていたのかと。

裃をよく見ると、サイズ感に気づきます。当時の成人男性が着るために仕立てられていると思うと、身長162㎝の私ではちょっと短い感じです。体系も結構スリムかも。江戸時代の日本人の体格をリアルに感じる裃です(*^-^*)。

この写真もびっくり👀、江戸時代の宿場の風景や当時の服装を見られるとは大変貴重です。笠をかぶっており、和服で裾をめくりあげているのは旅人でしょうか。

まっすぐに街道が通る両脇にかやぶき屋根の建物が建っており、当時の宿場の様子がよくわかります。

 

旅籠 丸木や

1867年(慶応3年)建築

旅籠を営んでいたという丸木屋の建物は1867年建築であり、江戸末期、大政奉還の1年前の建物です。

155年も前の建物とは思えないぐらい立派です。

空き家となっていた建物を、貴重な江戸末期の建物の保存と宿場の活性化のために修復され、無料で一般公開されています。

 

一福処 濱屋

明治時代に旅籠として建てられたが開業に至らなかったと
玄関すぐの板の間と玄関から続く土間
当時の家具や道具に目を奪われます 囲炉裏もあります
高札場に掲げられた木の板(高札)と籠

 

笠と合羽の本物を初めて見ました。蓑と袈裟もあります。

当時の笠や合羽、蓑や袈裟、草鞋まで👀。150-160年前の実際のものを観れるのは大変貴重な体験でした<(_ _)>。

江戸時代とは

中山道日本橋から歩き始め、29番目の諏訪宿(の少し先)まで進みました。

その間にも多くの宿場が観光開発されていたり、当時の建物を資料館として一般公開されています。当時(江戸時代)とはどういう時代であったのかと思うと、建物や道具、衣類等にはとても関心があります。

 

昔は、今より不便であったかもしれませんが、人々は心豊かに生活していたのではないだろうか。

そう、思う時があります<(_ _)>。

 

 

木の花の湯(御殿場アウトレット 日帰り温泉)

 

 

 

先日、子供に御殿場アウトレットに連行され(;^_^A、子供がお店を回っている間に日帰り温泉「木の花の湯」に行ってきました。

 

アウトレットに行くと、子供は大学生の男の子なので、母親と一緒に買い物をすることはなく、現地で自由行動となり、集合時間までひたすら個人行動となります。

そういう私も登山や街道歩きが趣味で、アウトドア用品を観たくなるので、アウトレットに一緒に行くことは楽しみの一つでもあります。それでもそんなに時間がかからないので、2時間ほど、御殿場アウトレットに併設されているホテル内にある日帰り温泉に行ってきましたヽ(^。^)ノ。

日本最大級の広さの御殿場アウトレット

台風前に行ったので天気が悪く、富士山🗻は全く見えません(;^_^A。

御殿場アウトレットの敷地内

首都圏から日帰りで行けるアウトレットは他にも数か所あります。もちろん、自宅からの距離や高速料金などの違いがあり、その時に買い物をしたいショップにも合わせて行き先を決めています。

その中で、御殿場アウトレットは横浜~海老名にかけて東名高速が渋滞することが多いので、選択肢の1番に入ることが少なかったのですが、ショップの品ぞろえが良いような気がするので子供と一緒の買い物の時に行くことがあります。

国内最大級の広さでもあるので、館内では結構な距離を歩くことになりますが、仕方がないです(;^_^A。そういうこともあり、店間の移動時間もかかるので、子供の買い物時間が必然的に長くなります。

お天気が良ければベンチに座っているのも好きなのですが、あいにくこの日は土砂降りの雨であり、以前テレビで見たことがあった、日帰り温泉に向かいました。

そして、雨なのに傘を持っていくのを忘れてしまい、急遽お店で傘を1100円で購入してから行きました。(傘を買ったことで200円の割引になりラッキーでした)

 

日帰り温泉の場所は、御殿場アウトレットから富士山の反対側の小高い場所に立っているホテルの中にあるので見回すと目につきます。そして、なんとなくでも(;^_^A、その方向に向かって歩いていけば小さな看板が立てられているので迷うことなくいけました。

丘の上にある駐車場(P4)の最上階から連絡通路があります。

 

温泉とお風呂

温泉は自家泉源でありナトリウム硫酸塩、塩化物、炭酸水素塩温泉とありますが、パンフレットにも載っていなく、HPに書かれている程度です。確かにナトリウム温泉であり、お肌つるつる系のお湯ですが、高ナトリウム程ではないかな。自家泉源ではあるけれど、お湯に特別な特徴が少ないのかもしれないです(;^_^A。

しかし、気持ちの良いお湯で、この場所が御殿場であり、富士山の麓でもあることから、気持ちよくお風呂を楽しむことが出来ます。立地が良いです。

 

お風呂は内湯と露天風呂があり、内湯には炭酸風呂と座湯があります。内湯は地下水を使われているとあり、深さ90㎝もある珍しく深い浴槽に熱めの40‐41度くらい?の温度、炭酸風呂はぬるめの37.6度くらいの気持ちの良い温度になっていました。

サウナ、水風呂もあります。サウナにゆっくり入ることはなかったのですが、水風呂は地下水のためか温度が低めの16度くらいで、キーンと冷えて気持ちが良かったです。

 

露天風呂も2か所あり、かなり広めでゆったりと入れました。露天風呂は温泉であり少しぬるぬるする気持ち良いお湯です。無色透明でにおいもなかったです。

内湯もそうですが、露天風呂も富士山に面しており、晴れていれば富士山ビューの絶景なのですが、あいにくこの日は雲しか見えませんでした。

HPからお借りしました<(_ _)>

ただ、せっかくの富士山ビューなのですが、お湯につかっている状態ではすりガラスがあるので富士山は観えにくいのではと(;^_^A。露天風呂の一段高い場所にある立ち湯(深さ110㎝)のお風呂では眺めがよいかもしれませんが、落ち着いてゆっくりという感じではないかな。でも、小高い場所でもあり気持ちが良いです。ぼーっとしていることが出来るリラックスできる温泉です。

 

シャワーブースも仕切りがあり、アメニティーもポーラかユニリーバのダブとシャンプーが置かれていたり、洗面所の化粧水は雪肌精だし、ドライヤーはダイソンだし、冷水器は紙コップ式だし、プチ贅沢気分でとても快適です。ロッカーも広くてきれいです。

 

場所柄、家族連れや若い女性が多いような感じで、休憩場所にはアウトレットで買い物をする家族を待つお父さんと思われる男性もちらほらいます。待ち時間に日帰り温泉はとても良いですヽ(^。^)ノ。

 

館内設備

テラスより富士山🗻方向を眺めますが、全く何も見えません(;^_^A。

曇っていたので何も見えませんので、HPより写真をお借りしました

アウトレットに併設されている為か、ゆっくりと過ごせるようにお休みどころがかなり充実しているのが特徴で、広く休める場所が作られており、ここで1日過ごせそうです(*^-^*)。

畳にクッションがうれしい。奥には仕切られているうたたねできる場所も。 
もちろん晴れていれば富士山ビューです。

2階建てになっている動線と視線が配慮されているくつろぎスペース

漫画本がかなりたくさん(約2500冊)あり、本も読み放題ですヽ(^。^)ノ。最近の日帰り温泉はこういうくつろぎスペースが多くなっているのかな。うたたねできる場所は12歳未満は利用できなくなっていることも良いです。ゆっくりできます。アウトレット目的でなく、日帰り温泉が目的でも1日ゆっくりできそうなくらいです。

 

御殿場アウトレットは、いつ行っても人が多いという印象が私にはあるのですが、その人の多い場所の割には日帰り温泉は混んでいないかな。もちろん、空いている訳ではありませんが、ゆっくりとできる場所でした。午前中に行ったことも良かったのかもしれませんが(;^_^A。

 

お値段とタオルレンタル

ここは、ちょっとお値段が高く設定されています(;^_^A。

そして、入場料にバスタオルとフェイスタオル各1枚がついていますので、アウトレットに来たついでに手ぶらで入浴できるので便利です。ここでは、少しお高くてもこのほうが良いような気がします。

  • 平日大人1人 1600円
  • 土休日大人1人 1900円 

なのですが、割引がありました。

少し、ややこしいのですが、13時までに入ると400円引きになります。御殿場アウトレットで1000円以上の買い物したレシートを提示すると200円引きになります。

私が行った日は、お盆期間で土休日料金でしたので1900円。

13時までに入ったので400円引きで、アウトレットで1100円の傘を買っていたのでさらに200円引きとなり、1900円‐(400円+200円)=1300円となりました。

金額だけだと、御殿場という場所柄では少し高いような気もするのですが、レンタルタオルがついているのと、アウトレットの敷地内であること、施設が充実していて長時間休憩が出来そうなことを考えると、

1300円はお得かなと(*^-^*)。

 

ここはリピしそうな日帰り温泉ですヽ(^。^)ノ。

 

私が訪れた日帰り温泉一覧はこちら👇

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尾瀬 2022年夏 至仏山と燧ケ岳

こんなにも美しい景色があったのか

至仏山から広大な尾瀬の景色を眺めて、大自然からの贈り物だと感じた。

至仏山山頂からの眺め

2022年夏、私は初めて尾瀬を訪れました。

尾瀬は童謡「夏の思い出」で歌われている広大な湿原。場所は群馬県新潟県福島県の境にあり、どこから行ってもかなり山深い場所にあります。

テレビや写真では見る機会があっても、なかなかイメージが難しいと感じていた通りで、実際、尾瀬に行くと、周辺の山々も含めその場所の成り立ちがよくわかります。まさに百聞は一見に如かずです。トレッキングで訪れる人が多い尾瀬ですが、尾瀬の一番の見どころは、山から見る尾瀬ヶ原の全景だと思いました。

 

尾瀬を取り囲む山々 至仏山 燧ケ岳

至仏山や燧ケ岳の山から見る尾瀬ヶ原は、周囲を取り囲む山々に大事に守られているように見えます。

尾瀬ヶ原は山に囲まれた盆地であり、周囲に降った雨が流れ込み一帯が湿地帯となっています。この地形があってこそ、こんな広い湿地帯ができています。

尾瀬 湿原内の木道 向こうには燧ケ岳

尾瀬の湿原の中に立つと、周囲を山に囲まれているのがよく解ります。尾瀬の湿原の標高は約1400m。周囲の山々は2000mクラスになります。その中で目に留まるのが西側に穏やかそうな丸みを帯びた女性的な山容でもある至仏山。そして、もう一座は尾瀬ヶ原の東側に聳え立っている燧ケ岳です。共に日本百名山でもある至仏山と燧ケ岳の山容は対照的でもあります。丸みを帯びた稜線で女性的な山容である至仏山と、直線的で傾斜も強く、男性的な山容に見えるのが燧ケ岳。尾瀬ヶ原の湿原と、取り囲む山々を両脇から支えるように、守るように、至仏山と燧ケ岳は共に個性ある山容で、凛としてその場に存在しています。本当に素晴らしいです。

 

至仏山(標高2228.1m)

尾瀬の西側に聳え立つ山で、柔らかい穏やかな山容の至仏山。名前を聞くと仏教に関連があるのかと思いますが、そうではないようで山中に仏像やお社はなかったです。深田久弥氏は当て字であろう…と書かれています。

湿原から眺める至仏山

その穏やかな山容の至仏山なのですが、いざ登ると山頂付近は赤みを帯びた岩場であり、全然穏やかではないです(;^_^A。日本百名山には「柔らかな曲線を描いでなんとも親しみやすい。もっとも反対側の利根(群馬県利根郡にあった旧利根村)から仰ぐと頂上の稜線近くはゴツゴツした岩で鎧(よろ)われている。」と書かれています。ゴツゴツした岩は赤みを帯びた蛇紋岩であり、風化を受けやすく、もろくて崩れやすい性質のためすべりやすく注意が必要です。

至仏山は登山者が多いこともありますが、山頂は広くないので込み合っていました。少し降りたところにテーブルとベンチがあり、見晴らしもとても良いので、こちらで休憩するのも良いです。

至仏山には鳩待峠からのピストンで登りました。比較的穏やかな樹木帯を頑張って登り、小至仏山につながる稜線に繋がる稜線に出たとき、尾瀬ヶ原と周りを囲む山々の全景が目に飛び込んできました。なんとも美しい光景だなぁと。そして、尾瀬の地形を眺めて思いました。だから尾瀬が出来た。広大な湿原が出来た。自然が作った芸術作品だなぁと。尾瀬には登山者含め、トレッキングが主体の観光客の方々も多く来られています。尾瀬ヶ原から観る広大な湿原と周りを取り囲む山々を眺めるのも素晴らしい景色なのですが、可能ならば是非、山に登り、山から尾瀬全体を眺める景色を観ることをお勧めします。

至仏山に登るには尾瀬ヶ原にある山の鼻より登るコース(残雪期以外は登り一方通行)か、鳩待峠からピストンで登るかになります。せっかく尾瀬に来たからと、周回コースで登りたくなりますが鳩待峠と山の鼻の間は標高差で約170m山の鼻のほうが低く、鳩待峠と山の鼻は、下りで約1時間、登りでは約1時間30分かかるので計画時に注意が必要です。

至仏山の標高はオーストラリア大陸最高峰のコジオスコとほぼ等しいをWikipediaにありました。ちなみにエアーズロック(ウルル)の標高は868mです。

 

燧ケ岳(標高2356m)

尾瀬ヶ原の東側に聳え立っている、直線的で傾斜も急な山が燧ケ岳です。至仏山を女性的というならば、燧ケ岳の山容はまさに男性的です。そして、至仏山が隆起で出来た山に対し、燧ケ岳は活火山の独立峰で、8000年前頃に山体崩壊を起こして出来たのが尾瀬沼とあります。

山頂の火口付近に芝安嵓(しばやすくら2356m)、俎嵓(まないたくら2346m)、ミノブチ岳があり、一般的に燧ケ岳山頂は芝安嵓で山頂の碑が置かれており、爼倉には二等三角点があるそうです。

燧ケ岳山頂からの眺めも素晴らしく、今度は至仏山と裾から広がる尾瀬ヶ原を一望できます。尾瀬ヶ原の中の林である拠水林もとてもよく見えます。

また、北側には越後山脈、南側には日光白根山男体山、たぶん皇海山?もよく見えます。

燧ケ岳は東北以北最高峰で、山頂は福島県南会津郡桧枝岐村になります。エリアを(茨城・栃木・群馬を含める)北関東以北に広げると、最高峰は群馬県と栃木県の境にある日光白根山(標高2578m)になります。

左:登山道に群生していたギョリンソウ
中:森林限界を抜けて視界が開け見えた爼嵓
右:燧ケ岳山頂から見た尾瀬沼、向こうに男体山日光白根山

燧ケ岳に登るにはいろいろなコースがあります。尾瀬ヶ原の見晴と尾瀬沼を通る周回コースもありますが、当日は時間がなかったので見晴からのピストンで登りました。

尾瀬ヶ原

尾瀬ヶ原至仏山、燧ケ岳を含む標高2000m級の山々に囲まれた盆地であり、湿原になっています。尾瀬の湿原で標高が1400m程もあり、高山植物を含む湿原特有の植物がみられます。(私は植物の知識がほとんどない(;^_^Aので、よくわからないです<(_ _)>。)

左からニッコウキスゲワタスゲシャクナゲ

尾瀬ヶ原は南北約6㎞、東西約3㎞もある広大な湿原です。6㎞はどのくらいの距離かというと、東京駅と新宿駅間を歩くと約6.5㎞です。かなり広いです。燧ケ岳や至仏山も含む国立公園特別保護地域としては8690haもあり、山手線の内側の面積(約6300ha)の約1.4倍にもなります。湿原だけになると約760haであり、山手線内側の約1/8になり、東京ドーム(4.6755ha)162個分になります。

広大な尾瀬ヶ原の黄緑色の湿原の中には、湿原を仕切るように濃い緑色の線が見えます。濃い緑は木です。尾瀬ヶ原のほとんどは平らな湿原であり、木が生えないのは何故かなと考えると、木は生えられないと思い、何故生えられないのかと思って湿原をよく見ると、背丈がとても低い草原の草花と同じか少し高い程度の木は生えているのです。つまり、大きくなれない。なぜ大きくなれないか?湿原だから。土が水を含んで柔らかいからと解ります。そうすると、湿原の中の林は、木が大きくなれる。何故か?土に強度があるからと予想できます。

湿原の草原程度の高さの木とヒオウギアヤメ

湿原の中の林は拠水林であり、拠水林とは湿原の外部から湿原を貫通してくる川の両側に成立している林のことであるとあります(Wikipediaより)。川は流れる際に侵食して土砂を作り流してきます。川に流された土砂は湿原に流れ込んだ後流れの両側に堆積して自然堤防を作る。そこには木が生えることができる強度があったということです。

そして、小規模な川は湿原に流入食後の短い距離にしか拠水林を作れないとあります。尾瀬ヶ原の広大な湿原に描かれた長い緑のラインはどんな流れの川によるものなのかと。穏やかな湿原とその中に流れる川と、川の力で木が生えることが出来、長い林となっている。大自然の芸術作品ですヽ(^。^)ノ。

逆さ燧ケ岳と拠水林

湿原内に湧き出た泉を水源とする川には拠水林は成立しないとあり、土砂を流さないからと解ります。しかし、湧き出ている水はとてもきれいで、水面が鏡のようです。竜宮近辺には拠水林がないことにも納得します。

 

尾瀬での宿泊とテント泊

尾瀬には20程の山小屋があります。多くはお風呂もあり山小屋といえども快適に過ごせるとあります。トイレが水洗なのは非常に助かりますが、周囲が湿原の盆地の中にいるので、シャンプーや洗剤、歯磨き粉は使えないです。

私は、山ではテント泊をするのでテント場を探すと、至仏山麓の山の鼻、燧ケ岳から尾瀬ヶ原の麓の見晴、尾瀬沼東岸の三か所ありました。一泊二日の予定で群馬県側の鳩待峠から入山し、至仏山に登山して、翌日には燧ケ岳に登山しようという無謀な計画を立てたので、テント場は見晴にしました。

左:龍宮小屋 中:見晴テント場のトイレ 右:テント場

見晴テント場は傾斜もほとんどなく、水場もトイレ(チップ制)も近くにあり快適でした。受け付けは燧小屋で大人1人1000円。もちろん冷たいビール🍺も購入ヽ(^。^)ノ。

訪れたのは7月初旬であり、標高1400mもある高所なので寒いかなとも思いましたがそんなこともなくシェラフはスリーシーズン用(モンベル#3)で十分でした。日が落ちるとテントの外は寒いぐらいで、ダウンは無くても大丈夫でしたが、何か着るものが必要でした。そして、さすがに湿原だわと思ったのは、湿度がすごく高かった👀です。ジメジメします。

夜明け後の湿原

食事

テント泊なので、食事は全て持参して調理します。これもまた楽しみの一つでもあります。

1日目

昼食:持参していたおにぎり(至仏山山頂付近のベンチで)

夕食:ご飯を炊いて、サバのレトルトパックと持参したぬか漬けときゅうり(親子丼は食べられずに持ち帰る(;^_^A)

左:お昼のおにぎり 右:夕食

2日目

朝食:ご飯を炊いて、卵と魚肉ソーセージ

昼食:魚肉ソーセージと乾燥野菜、めんつゆで炊き込みご飯を作ったら、ピラフのようでおいしかった。おこげもしっかり(*^-^*)。

 

山歩きのデーターはこちら👇

yamap.com

駐車場と交通機関

駐車場:尾瀬第一駐車場(群馬県利根郡片品村戸倉) 1000円/日

乗合タクシー:片道1000円

尾瀬(戸倉)観光駐車場と乗合タクシー

鳩待峠より尾瀬に入るならば鳩待峠駐車場もないわけではありませんが、通行規制があります。そして、鳩待峠駐車場は2500円/日もするので、戸倉にある尾瀬駐車場に止めて乗合タクシーに乗るほうが安いです。タクシーも頻繁に走るので苦になるほどの待ち時間はなかったです。

東京から片品村に行くには、関越自動車道で行っても、東北道日光宇都宮道路で行ってもかなり遠いです。出発する場所にもよりますが料金的は関越道路経由のほうが安い場合が多いようです。今回は、一日目は早朝出発して、深夜は一般道もよく走るので国道17号で北上し、国道120号を経由していきました。帰りも120号に出て、17号経由し渋川伊香保から関越自動車道で帰りました。

使ったお金💰

  • ガソリン代 約2500円
  • 高速代 2070円(軽自動車・休日割引)
  • 駐車場 2000円(1000円/日×2日)
  • 乗合タクシー 2000円(1000円/片道×往復)
  • テント泊 1000円(大人1人一泊)
  • ビール 800円×2
  • ジュース 360円(200円、160円)
  • パン 152円(👈お腹がすいたので購入)
  • 合計 11682円 でした。

白寿の湯 おふろcafe 埼玉県児玉郡神川町

 

 

 

私は温泉が好きで時々出かけています。

私が好きな温泉は、とりあえず湯が良いことヽ(^。^)ノ。当然と言えばそうなのですが(;^_^A、お湯は大事です。そして、人混みが苦手なので比較的すいていて、露天風呂がある事。宿泊することはほとんどないので、日帰り温泉メインで都区内から車で往復できる温泉をメインに訪れています。

 

少し前にGooglemapを観ていた時に見つけた白寿の湯。近くまで2回程行ったことがありましたが、時間に余裕が無く残念した温泉なので、今回は温泉を目的にして行きました。すると、びっくりするほど👀にお湯が良く、施設も良かったので、又行きたいなぁと思う良い日帰り温泉でした。

白寿の湯

この温泉のお湯は名湯ですヽ(^。^)ノ。かなり良いと思います。

浴槽から溢れたお湯が流れている場所に千枚田の様に温泉成分が付着していてびっくりします。温泉成分の濃さを感じますが、これでも源泉に地下水?を加えているそうです。

露天風呂と温泉成分の結晶で出来た千枚田 写真はHPよりお借りしました

露天風呂も凄いのですが、内湯も同じように温泉の成分が千枚田の様に付着しています。裸足で歩くので少し足が痛気持ちよい感覚があります。

温泉の成分はナトリウム・塩化物強塩泉(高張性。中性低温泉)で国内トップクラスとあり、塩気があるのが特徴かもしれませんが塩分だけではない凄さがあります。

お湯に入ると、日ごろの疲れやストレスもお湯に染み出していくような感覚になり、多分にそんなことは現実的ではないかもしれないですが、体に入っている余分な力も抜けるような、良い意味で不要な物が抜けていくような感覚になります。お湯の浸透圧が高いのかな。浸透圧でストレスは抜けないけど(;^_^A。

温泉の成分が濃い温泉は、違った意味で湯あたりしないように体も緊張するような感じがあることもありますが、ここの温泉は温泉成分が濃いであろうけれども体が緊張しない温泉です。力が抜けます(*^-^*)。

ぼーっとお湯につかっていると、あっという間に時間が過ぎているという、力だけでなく緊張感も抜けて、こんなにリラックスして良いのか状態になってしまいます(*^-^*)。

 

内湯は普通のお風呂の温度で暑すぎない程度で気持ちよく入れ、露天風呂は36~37度の人肌程度で長く入っていられます。塩分濃度が濃いのか、体が良く浮く感じです。

ナトリウム温泉は上がった後にべたついたり、髪がゴワっとしたりしますが、上がり湯をすれば問題ありません。あまり遅くならないように帰ろうと思っていたのに、温泉だけで約1時間もいました(笑)。

想像以上に良いお湯の温泉を見つけてしまいましたヽ(^。^)ノ。

 

館内施設

おふろcafeという名前であり、館内はカフェの様に、というか、まったりとくつろげる空間が沢山あります。

実は、私自身は温泉はお湯が良ければ良いと思っており、館内設備にはあまり関心がありません。あえて、設備が充実している温泉は人気があって混んでいたりすると思い、人込みは苦手なので避けたりします。ここも、施設の充実した感じに少し引き気味でもありました。

おふろcafe 白寿の湯

おしゃれな外観よりも、ワイルド外観の方が好みかも(;^_^A。

施設内はとても綺麗で充実しています。二階にあるお風呂に入ると、ここもとても設備が良いのですが、その良さにしては天井付近がなんとなく年季が入っているように感じます。そう思うと、おふろcafeと白寿の湯と言うネーミングも少しちぐはぐ感があります。

もしかしたら、ここにはもともと白寿の湯と言う日帰り温泉施設があり、お湯がとても良いので、リノベしておふろcafeにしたのではないかな。おふろcafeは他にも展開していますし。

こんな素晴らしいお湯なのに、そんな事しなくてもお湯だけでやっていけるのにとも思いますが、この辺りは埼玉県と群馬県の境であり、都内からは結構距離があります。そして、近くにも日帰り温泉施設があるので、個性のある施設を目指したようにも思います。

寛ぎ処で休んで、無料のコーヒーを頂く。紙コップでないカップの良い。

コーヒーを頂き休んでいるとリラックスしすぎて何だか眠い。そう言えば、お香かアロマのようなにおいがしていたことを思いだす。館内のソファーやうたたね処等をよく見ると、沢山のお客さんで空いている場所が殆ど無い様にも思う程の混みように気付くけれど、それでも静かであり、人混みが苦手な私でもリラックスして眠くなる。何だか落ち着く空間です。そして、皆さんは持参したと思われる部屋着を着て、思い思いに好きな場所で本を読んだりしてくつろいでいます。ここ、良いなぁと。

いい感じの距離感と、プライベートスペースが確保でき、視線にも配慮されています。

 

ハンモックもあり、Wi-Fi完備、本は沢山あり読み放題、コワーキングエリアもありますのでパソコン持ち込んで作業するのも大丈夫。最強だわ。湯治のように、おふろに出たり入ったりして何時間でもいられそうです(*^-^*)。今度来るときはたっぷり時間を過ごそうと心に決めます。

寝転がって天井を見上げた。寝てしまいそう汗。

 

食事処

勿論、館内に食事処もあります。浴衣の無料レンタルも👀

食事処は玄米に発酵食品をテーマにしている健康志向なメニューの様です。近くにヤマキ醸造という醤油を作っているお店がありコラボもしている様です

店内の売店

ゆったりと温泉に浸かって、玄米食と発酵食品。まさに、非日常を過ごせる空間です。そして、都心から近くない所の空気は緑(山)の匂いがしますし、清々しいです。遠い事は不便かもしれませんが、日常を距離をとって自然の中に行くことにも意味があるのかもと感じました。

 

料金と感想

お湯は最強、ゆったり過ごせる施設。こんな贅沢は他にないかもと思いました。

気になる料金は

大人1人

平日780円、土日祝880円 夜間(21:00~22:30)450円 

場所を思えばそうかなと思う金額で高いとは思わず、むしろ一日過ごせるならばお得な金額ではないかと。(朝10:00から営業)

 

都心から遠い事にも意味は十分ありますが、何せ遠いので頻繁にはいけないかな。しかし、心が疲れた時の味方になってくれそうな温泉を見つけました。

 

お湯が良ければと思っていましたが、お湯も良く、施設も良ければいう事なしです。

 

交通と駐車場

白寿の湯おふろcafeは、埼玉県児玉郡神川町にあります。都心からの距離は約90㎞。無料駐車場は完備されており、第二駐車場もあるので、駐車場待ちという事はないと思います。

高速道路使用

最短時間で行くには関越道練馬ICより本庄児玉ICまで高速道路を走ると、渋滞なしで1時間30分程です。

気になる高速料金(練馬IC~本庄児玉)は

普通車

休日割引1970円、平日ETC利用2280円

軽自動車

休日割引1600円、平日ETC利用1840円

 

一般道では

高速道路を使わずに一般道のみを走ると、国道17号経由、国道254号線経由、国道299号経由と色々方法はありますが、距離は約90㎞前後と変わりませんが、渋滞が無いとしてでも片道2時間半は必要になりそうです(;^_^A。

 

私が訪れた日帰り温泉一覧はこちら👇

kechico.hatenablog.com

中仙道⑩後編 下諏訪宿、塩尻峠 (長野県諏訪郡下諏訪町、岡谷市、塩尻市)

 

 

 

中仙道歩き⑩前編、和田峠超えの続きの後編です。

前回のblogはこちら👇

kechico.hatenablog.com

 

29 下諏訪宿

下諏訪宿は、長野県諏訪郡下諏訪町にあり、和田峠の西の玄関口になります。また、日本最古の神社の1つである諏訪大社下社の門前としても栄えた宿場で、中仙道に69か所ある宿場の内で唯一温泉が湧いています。宿場跡付近では今も豊富に温泉が出ているので、日帰り温泉施設や温泉旅館が立ち並んでいます。

そして、江戸(東京)日本橋から甲州街道の終点で、中仙道との合流地点でもあります。

本陣1、脇本陣1、旅籠40

中仙道と甲州街道の合流地点でもあり、温泉があった為もあるのか下諏訪宿は比較的大きな宿場です。本陣の岩波家は皇女和宮明治天皇も宿泊されており、現在では一部一般公開されています。

脇本陣は記録では1軒で現在のまるや、まるやの正面の桔梗屋は旅籠で、中仙道と甲州街道の合流地点の向かいで今でも旅館をされています。いつかは泊まってみたいと思いますが、恐らく実現しないだろうな(;^_^A。

本陣 岩波家  宿場の街並み(観光案内所) 
高札場  番屋跡

慈雲寺の石造りの龍

和田峠を越えて下諏訪宿に入ろうとする場所に慈雲寺というお寺があります。長く歩いてきて目に留まる水場はとても貴重で、江戸時代の旅人の喉を潤した水です。

石造りの龍は1825年(文政8年)に水神として奉納されたとあり、かなり立派なもので、まるで龍がこちらを見ている様です。

慈雲寺の石造りの龍

甲州街道・中仙道合流の碑

比較的新しい石碑が建てられています。

昔の旅人にとっても、現在の街道歩きをしている人々にとっても、この場所は一つの大きな区切りの場所となります。何だかホットすると同時に、達成感も大きく感じるのではないでしょうか。T字路になっており、中仙道を歩いてきた私はここから右に曲がり、さらに中仙道を進むのですが、向かいに甲州街道があるのが何だか不思議に思うのです。本当に甲州街道?と、疑い深くもなるのですが(笑)、向こうには国道20号の看板が見えており、説得力があります(*^-^*)。

中仙道・甲州街道合流之地

ちなみに、甲州街道は現在の国道20が沿うよう通っており、この場所も国道20号になります。中仙道は軽井沢の追分宿まで国道18号が沿っていますが、追分宿を最後に下諏訪宿までは2ケタの国道が沿っていないです。

ここまで3ケタの国道に並走されてきた中仙道は、ここまで甲州街道に沿ってきた国道20号に沿います。国道20号は、この先の長野県塩尻市で終了します。

 

中仙道は下諏訪宿を出ると岡谷市を抜けて塩尻峠を越え、塩尻宿に向かいます。

 

塩尻

塩尻峠は高ボッチ高原から続く尾根を越える峠であり、岡谷市塩尻市の境になります。尾根は諏訪湖を囲む盆地の尾根でもあり、諏訪盆地と松本盆地を隔てています。

中仙道塩尻峠からみる尾根 中央分水嶺でもあります

この塩尻峠がある尾根は中央分水嶺であり、岡谷市側に降った雨は諏訪湖から流れ出ている天竜川(幹川213㎞、国内9位)へ流れていき、長野県から愛知県を経て静岡県浜松市磐田市の境で太平洋に、塩尻市に降った雨は千曲川に合流し、新潟県に入り信濃川と名前を変え、越後平野を抜けて新潟市日本海に流れていきます。この峠を境にして流れ先が太平洋か日本海に変わるとはスケールが大きい峠です。

塩尻峠 岡谷市側より諏訪湖を望む 国道20号から長野道へのIC

中仙道が通り、少し離れた場所を国道20号が峠を超え、長野自動車道はトンネルで抜けていく塩尻峠の標高は、国道20号の最高地点では1012mとあり、岡谷市の市街地で標高が約800mですので、国道20号で峠を越えると標高差は約200mあります。

私が実際歩いた中仙道の塩尻峠最高地点は約1050mで、諏訪湖近くで一番低い標高は約770mでしたので、標高差は280mの峠でした。

下諏訪宿から塩尻峠を越えてこの日の目的地で中仙道沿いの長野道みどり湖PAまでは、距離約10.7㎞、時間約2時間45分でした

旧御小休本陣

中仙道の塩尻峠越えの東側となる岡谷市側に御小休本陣が残っています。

江戸時代には尾張徳川家や諸大名の参勤交代、物資の輸送を始め往来も多く、ここで御小休をしたとあります。皇女和宮明治天皇もこちらで休まれたそうです。

御小休本陣 今井家

塩尻峠の史跡等

諏訪大社御柱  石船観音と水場
中山道の大石  塩尻側にある茶屋本陣

一里塚

55里 下諏訪の一里塚

街道が下諏訪の街に入り比較的すぐの場所で、街道の南側に一里塚跡の石碑があります。

下諏訪の一里塚 諏訪郡下諏訪町中町

(下諏訪宿)

56里 東堀の一里塚

下諏訪を抜け、国道20号を南側から北側に渡った先で街道の北側に石碑があります。

東堀の一里塚 岡谷市長地小萩

(塩尻峠)

57里 東山の一里塚

塩尻峠を塩尻側に超えて下り、民家が見えてくるあたりまで来た場所で、街道の南側に塚が残っています。古図には道を挟んで二基描かれているとありますが、南側のみ現存しています。中仙道は1614年(慶長19年)に牛首峠経由から塩尻峠経由に変更されており、このころに作られたものだと推定されています。

東山一里塚 塩尻市大字旧塩尻701番地4

 

中仙道歩き⑩ 東京に帰る

塩尻峠を降りて旧中山道をひたすら歩き、一日の歩行距離は約40.2㎞、所要時間約11時間20分(休憩時間含む)となりました。最終到着地、中仙道と長野自動車道が交差する場所にある長野道みどり湖PAに高速バスのバス停があり、そこから予約していた高速バスで新宿のバスタ新宿着の高速バスで帰りました。

長野道みどり湖PA入り口と高速バスのバス停

朝食🍙と軽食🥐🧋

和田宿手前の民宿に泊まり、早朝出発でしたので、前日におにぎり🍙の朝食を作って頂きました。手作りの梅干しおにぎりと炊き込みご飯のおにぎりはとても美味しく、梅干しの酸っぱさと塩分が体にしみいるようでした。ゆで卵も何気に美味しかった(*^-^*)です。

民宿で作って頂いた朝食   和田峠で食べた軽食

お昼という程の物でもないですが、軽食は前日に購入していたコンビニパンとコーヒーを持参しており、和田峠の最高地点で休憩して頂きました。五街道最高地点での休憩と軽食は感無量で、心が嬉しいひと時でした。何でも挑戦してみることは色んな意味で良いことかもしれませんヽ(^。^)ノ。

しかし、軽食だけではお腹が空き(;^_^A、塩尻峠に着くまでに2回、コンビニに立ち寄り飲み物と細巻きずし、サンドイッチを購入して頂きました。

 

中仙道歩き🚶‍♀️のデータはこちら👇

yamap.com

使ったお金👛

  • コンビニ(飲み物と食べ物) 722円
  • 高速バス 3800円
  • 地下鉄 220円
  • 合計 4742円

中仙道歩き2泊3日の合計💰

  • 高速バス(行き・帰り) 6000円
  • 電車代 628円
  • 飲食費 2837円
  • 宿泊費 20740円
  • 合計 30205円 でした。