五街道歩きを楽しんでいるのですが、歩き進んでいる中仙道は軽井沢先の追分宿で約1年間も停滞してしまっています。お恥ずかしい(;^_^A。
何故か甲州街道も歩きたくなり、歩き始めることにしました。
中仙道と甲州街道は上諏訪宿で合流し、京都三条大橋に向かっているので、両方を歩き進んで合流してから京都に向かうのも良いかななんて思っています。
五街道の起点は東京・江戸日本橋。今回も日本橋からスタートします。
日本橋に関しては中仙道の時のblogで👇
甲州街道
甲州街道は江戸日本橋から甲斐国(山梨県)を経由し、信濃国(長野県)で下諏訪宿で中仙道に繋がる距離53里24町(約211.3㎞)、44次あり五街道の1つです。
五街道で日本橋から京都三条大橋に行くには東海道や中仙道が使われることが多かったにもかかわらず、甲州街道が作られたのは、江戸城陥落の際の将軍の避難路であったとの事です。甲州街道は江戸城半蔵門より将軍が江戸城を出て、四谷に鉄砲隊を配置し、親藩でもある甲府城まで逃げる設定で作られたそうです。
しかし、甲州街道は中仙道や東海道の様に多くの旅人に利用される事も無く、参勤交代で利用する大名も少なく、物価も高い。インフラの整備もそれほどでは無かった事もあり、次第に宿場は衰退したとの事です。距離が短いにもかかわらず宿場の数は多いようです。東海道53次に対して距離が半分以下の甲州街道には44次もありますし。
甲州街道と国道20号
五街道として整備された甲州街道は、現在では国道20号(甲州街道)に伝承されています。日本橋を起点とし国道1号と並走しながら桜田門交差点で分岐し、新宿、八王子、神奈川県相模原市、山梨県大月市、甲府市、長野県茅野市、諏訪市に続いています。
そして、高速道路では首都高4号新宿線、中央道とも並走しています。中仙道は埼玉方面から群馬、長野に抜けていく際に長く並走する道路はありませんが、甲州街道は継承されており、現代では親しみのある道路の様です。
都心の史跡が少ない気がする
甲州街道は日本橋を出ると皇居内堀を通り、半蔵門から西に進んでいます。旧街道なので、街道沿いに寺社仏閣、石碑等があると思いますが意外に少ないというかほとんどない…。街道沿いで初めて石碑を観たのは次の宿場である下高井戸宿付近でした。
中仙道では結構見どころが多かった都心の街道沿いなのになぁと思います。東京大空襲の影響かと思うと、この辺りの被害は無い訳ではないようですが、大きな被害でも無いようで、関東大震災かなとも思うのですが、良く解りませんでした。
江戸城半蔵門から四谷を抜け宿場である内藤新宿に繋がる甲州街道は、新宿通り(麹町大通り)とも呼ばれています。江戸時代には大名屋敷や旗本が暮らしていた為栄えていたそうですが、大政奉還後に徳川が静岡に引き上げた際、旗本や大名も引き上げたとあり、有楽町線の麹町駅が作られるまでは大きな発展が無かったそうです。現在はビルが沢山建っているオフィス街になっています。
甲州街道最初の宿場であった内藤新宿は、現在の新宿御苑付近であったと言われています。現在は国道20号は地下を通り抜けており、旧街道は御苑近くをなんとなく抜ける感じになっていました。
一里塚バス停は甲州街道一里塚跡ではない?
新宿南口のバスタ新宿前を通りJRの線路を超え、代々木をかすめた辺りから首都高4号新宿線と合流し、高速道路の下を歩きます。
環7を超え、明治大学を過ぎ、杉並区に入る辺りのバス停の名前が一里塚とあります。甲州街道の4番目の一里塚かなと思い調べてみると、4番目の1里塚は杉並区下高井戸壱丁目41付近とあり、場所は環8を過ぎた辺りで、3番目の一里塚に戻ると渋谷区笹塚にまで戻ります。甲州街道の1里塚跡ではないようです(;^_^A。
街道沿いの史跡
高井戸宿の跡
甲州街道の2番目の宿場下高井戸宿、3番目の宿場上高井戸宿の跡は、恐らく国道20号(甲州街道)が環8交差点を過ぎすぐに旧甲州街道に分かれる場所の上り沿いにある杉並区立上高井戸宿公園が跡地と思います。ここより甲州街道より旧甲州街道に分かれ、旧街道を走るバス停の名前に中宿や下宿などがあります。しかし、甲州街道の高井戸宿には中高井戸宿は無いのですが…。
4番目の一里塚
高井戸宿であったと思われる旧甲州街道沿いに一里塚跡の石碑があります。
近藤勇生誕の地
長谷山西光寺(調布市上石原)に、新選組近藤勇生誕の地として銅像が祀られています。周辺に旗が沢山掲げられているので気付きやすいです。
小島一里塚跡 6番目の一里塚
旧甲州街道沿い、調布市小島町1丁目に6番目の一里塚が石碑として残っているそうです。GoogleMapに乗っているのですが、見つけられませんでした(T_T)。白いフェンスに囲まれている様で見つけにくいとありました。残念_| ̄|○。
武蔵国府八幡宮
武蔵国府八幡宮は大國魂神社の末社とされている神社ですが結構歴史がある神社の様に思います。詳しく調べられていなくてすみません(;^_^A。
この神社の参道は旧甲州街道沿いにあるのですが、参道は南方向に長くあるとの事で、参道は途中で京王競馬場線が通っているそうで踏切まであるとの事。二の鳥居は京王電鉄が奉納されているそうです。
大國魂神社
武蔵国の総鎮守。出雲大社に祀られている大国主の命が主祭神である大國魂神社。大きな神社なので名前を聞く機会も多い神社です。甲州街道を歩く計画を、いつも通り大雑把に立てていたのですが、府中に行くなら大國魂神社にも行きたいなと思っていました。そうすると、願いが叶ったのか(👈そんなはずはない(笑))旧甲州街道沿いに大國魂神社が祀られていました👀。さすが、街道沿いだわとおもいますが、神社のたたずまいを観て、その迫力に圧倒されました<(_ _)>。沢山の人々に大事に信仰されてきた神社だと感じます。
武蔵国府跡
大國魂神社を過ぎて、この日の甲州街道歩きを終了しました。自宅に帰ろうと府中本町駅に向かうと、駅前に武蔵国府跡がありました。
そして、武蔵国府跡は徳川家康の府中御殿跡でもあったそうです。甲州街道が整備されるわけだなぁと思うと同時に、私が一日かけてヒーヒー言いながらここまで歩きましたが、江戸時代の人間は今よりもっと体力や精神力があったと思います。そうすると、家康が江戸城より甲州街道を逃げてきたとすると、おつきの人や荷物もあると考えれば、ここまでが一日の移動距離となるかもしれません。そうすると、自分の御殿を立てておく意味があると。
庚申塔と石碑
五街道歩きの細かいデータはこちら👇
使ったお金💰
- 電車代 984円
- 食事 588円
- 合計1572円
昼食とおやつ
昼食はなか卯の鶏天うどん(430円)。しかし、お腹が空いてしまい、途中のコンビニでパンを購入(158円)。