楽しみの一つである中仙道歩き。
江戸東京日本橋を出発したのが2020年12月の事で、その後頑張って軽井沢手前の碓氷峠を超え、信濃追分まで進んでいましたが、それから1年3か月も放置してしまいました<(_ _)>。
しかも、以下の中仙道⑥と⑦はblogにアップしていないという有様です<(_ _)><(_ _)>。
取り急ぎ、⑥と⑦に関してのデータはYAMAPにUPしています👇
中仙道⑥安中宿から横川駅
中仙道⑦横川駅から追分宿
中仙道を歩き始めて、都内から都心を抜け楽しく歩き進んでいた私の初めての難関は碓氷峠越えでした。碓氷峠は江戸時代にも難所と言われている峠なのですが、現在でも難所であります。
現在の碓氷峠は、国道18号が通っていますし、碓井バイパスもあるので車では簡単に超えられる峠になっています。しかし、この間に鉄道は新幹線しかないのです(T_T)。
都内の自宅から通称しゃくとり虫🐛方式で歩いているので、どうした物かなぁと色々考えて何とか計画を立てて碓氷峠を超える事が出来ましたヽ(^。^)ノ。そして、その先の(信濃)追分宿まで進みその日は終了しました。
峠越えをなめてはいけない…。
その後、その先の中仙道を確認しながら峠を観ていると、和田峠があることに気付きました。中仙道だけでなく五街道最大の難所と言われた峠です。
碓氷峠で少し学んだ私は、峠越えにかかる時間を考えて逆算するように計画をしようと思いました。そしてある事実に気が付きます。
中仙道は軽井沢を抜けると佐久市に向かい立科町、長和町に続くのですが、佐久市の佐久平駅を最後に、この間に鉄道は走ってなく、次に駅に近くなるのが中央本線の下諏訪駅になるのです。
道路はどうかと思うと、軽井沢先の追分宿までは国道18号が並走しているのですが、追分宿の先は分かれた街道である北國街道(善行寺街道)に国道20号は並走し、長野市方面に北上していきます。一生に一度は善行寺参りとも言われていますので、江戸時代にも多くの旅人が歩いた道ですが。
取り残された中仙道は県道にもなっていなく、並走する道路も無い昔ながらの風情を楽しめる街道となります。江戸時代には主要道路である中仙道を多くの旅人が歩き、宿場は栄えたのですが、今では交通が無く取り残されてしまったかのような場所になっています。
しかし、取り残されてしまった為、運よく色々な物が残されている場所でもあるので、江戸時代に興味関心があればとても魅力的でもあります。
長野県まで来ると日帰りのしゃくとり虫🐛をするには時間も交通費もかかるようになるので、宿泊したほうがよさそうだなとなってきます。しかし、この先で都内に戻る交通機関と思うと、やっぱり下諏訪まで抜けるしか方法はなさそうです。
佐久平から下諏訪まで約60㎞。
しかも、主要交通が通っていないとなると、人の流れが無いので宿泊するにも宿を探すのに難航します。
そういう事に気付いてしまい、計画を立てるのが後回しになってしまいました。計画を立てるのも楽しみの一つなのですけれどね(;^_^A。
現実逃避するかの様に甲州街道を歩いてみたり(;^_^A👇
でも、やっと中仙道を再開したいとウズウズするようになり(*^-^*)、
やっと先に進むようになりましたヽ(^。^)ノ。
中仙道⑧のblogとYAMAPのデータはこちら👇
まだ、先の記事が書けていないので、とりあえずYAMAPのデータです👇(;^_^A