新年 明けましておめでとうございます。
本年も「ケチ子おばさんの空色ハット」よろしくお願いいたします。
お正月は仕事をしていて、ようやく休みを取ることが出来ました。山に行きたいなぁと思ったのですが、寒いので(-.-)中仙道歩きの続きを歩きました。ちなみに、この日の日中の最高気温は7℃で、とても寒かったです。はい。
1、五街道 中仙道歩き2回目
はい、という事で、今回は寒いので山歩きではなく中仙道歩きの2回目に出かけました。と言っても、日中の最高気温7度ではかなり寒かったです。はい。お天気も終始曇り空の為、日差しもありませんでした(T_T)。
前回は日本橋~板橋宿という都心を突き抜ける街道歩き、今回は板橋から埼玉県に向かって歩いて行くため、次第に中仙道も住宅街の中を歩くことも多くなりました。
2、板橋宿を超えて~蕨宿
前回の終了地点である「都営三田線板橋本町駅」からスタートしました。国道17号を軸に若干西側と東側に旧中山道はあります。
・志村一里塚
一里塚とは「日本橋から一里毎に5間四方、高さ一丈近くの塚」☞「日本橋から3.93㎞(約4㎞)毎に9m×9m、高さ1.7m近くの塚」であり、塚には広葉樹(主に榎)を植えた。大木の為、夏は木陰、冬は日差しが降り注ぐ休憩場所であった。とのことです。一里塚は結構大きい建造物で、この志村一里塚も国道17号を挟み両脇にどっしりと構えています。
志村一里塚は、1830年(天保元年)の記録が残っている為、少なくても190年前には作られていたことになります。私は木に詳しくないのですが、落葉している為広葉樹と解ります。190年あれば、広葉樹は建築材料になるくらいの成長をするらしいので、現在の大きさであれば、当時もかなりの大木であったのかなぁと思いました。日本橋からは3番目の三里になり、11.79㎞になります。
・戸田の渡し
五街道に関しての記事を色々見ていると、越えるのが難しいのが峠と川。そうです、峠越えは今では登山に近いものですし、川も橋が架かっていなければ自由にわたることもできません。中仙道は荒川を渡るのですが、当時は橋がかけられて無かった為、渡し船で渡ったそうです。
渡し賃については良く解らなかったのですが、戸田橋のWikipediaに「通行は有料で渡船時代よりも高額であった。通行料は1人五厘、荷車を引いた牛や馬は1銭であった。」とあります。江戸時代は、荒川に橋を架けないで関所の役割もしていたとあるので、橋が架けられたのは明治8年5月でした。
明治時代の1円は今の2万円程の価値があったと言われている事もあり、計算すると通行料は1人約100円、荷車を引いた牛や馬が約200円になります。荷車を引いた牛や馬は、現在のトラックの様に思います。荒川を渡るだけなので、少しお高いです👀。
しかし、この値段は明治に入ってからの橋の通行料金で、渡し船より高くなったとあります。
・水神社
戸田の渡しの近くに「水神社」があります。荒川の護岸工事にて現在の場所に移動されたようで、本来は川岸にあったようです。安全に川を渡れるように神様として祀られたと思います。
日本の神様は「古事記」に記載されています。その中で水をつかさどる神様がいないのが特徴と言われています(本当かうそかは不明)。例えばギリシャ神話では、水神はポセイドンです。そういえばそうなのです。天照大神は高天の原、ツクヨミは夜の国、スサノヲは海の国を治めるように命じられていますが治めていなかったような…。やっぱり古事記は良く解らないです。おそらくこの水神社は、古事記にある神様ではなく、この地の人々の信仰心で水を神様と祀ったのではないかと思いました。
・辻の一里塚
東京外環道のすぐそばにあり、中仙道では5番目の一里塚です。今は石碑があります。一里が3.93㎞なので、日本橋より19.65㎞になります。
・蕨宿本陣と旧街道の名残りが残る街並み
国道17号を進むと、旧中山道の分岐に石碑が造られていて、ここより旧中山道、蕨宿に進みます。旧中山道の蕨宿の区間は街道が整備されており、当時の風景を想像する光景です。資料館も作られており、その隣に本陣も再建されています。
本陣とは大名、公家、幕府役人などに宿泊が限定されている、一般人は使用できない特別宿泊所です。屋敷のつくりも大変立派なものであったようです。中仙道では本陣が比較的残っているとの事ですので楽しみにして街道歩きを続けます。
また、江戸時代に整備された五街道ですが、車社会になり、広い道幅が必要になるまでは交通の要であったことが、街道脇の古い住宅をよく見かけることで納得できます。
3、浦和宿~大宮宿
・調神社(つき神社)
「つき神社」と読むそうです。創建は1688年(寛文8年)で、江戸時代初期、2021年より353年前になります。徳川将軍は4代将軍家綱でした。天照大神と津佐之雄、豊受姫野命。
つき神社の由来で、狛犬がウサギの珍しい神社です。可愛いウサギが阿吽の形で狛犬となっており、手水車も狛兎でした👀。
このまま旧中山道は県道164号となっていて、JRの線路沿いに歩いて行きます。浦和駅、与野駅、さいたま新都心駅でのビル群と、沿道の立派なケヤキ並木を歩きました。江戸時代には松並木だったのかな(*^-^*)。
・浦和宿本陣
浦和宿本陣は現在跡地に記念碑が残っているそうです。江戸から明治に移り変わった時、本陣は役目を終えてしまいました。しかし立派な建物であり、本陣門は寺院などに移転や売却をされ、現在でも残っているそうです。この浦和本陣の本陣門は浦和にある「大熊家の表門」として残っている様です。いつか観ていたいです(*^-^*)。
・大宮氷川神社と中仙道
浦和宿を過ぎると「氷川神社」参道、一の鳥居です。元々中仙道は氷川神社の参道でしたが、旅人が多くなるにつれ道路と参道を分けられ、分けられたのちは現在の県道165号になったようです。さすが、氷川神社です。とても立派です。大宮宿では白倉本陣や山崎本陣があったようですが、現在では痕跡は見られませんでした。
4、大宮宿を超えて~上尾宿
大宮宿を過ぎると、にぎやかであった旧中山道(県道164号)も人通りが落ち着き、バス通りとなっています。このあたりはさいたま市の「中仙道歴史散歩コース」になっている様で、随所に案内板と史跡があります。
・古い石碑
安政7年、1860年、2021年より161年前の江戸末期の石碑で14代徳川家茂の時代です。
これは当時の道案内の為の石碑です。中仙道より大山御嶽山に続く道が分岐していたとのことです。地図を観る限りには現在は残っていないようです。
現在では👇のような看板の役割かも( *´艸`)。結構大事な標識であったと思います。
・庚申塔
中仙道を歩いていると、所々で庚申塔を観ます。すべてが同じではないのですが、三猿が足元にいる等、同じ様子が描かれています。江戸時代に流行った民間宗教の様です。
目黒区HPがとても読みやすかったです。
・氷川鍬神社(氷川くわ神社)
寛永8年、1631年、2021年より390年前、鍬をご神体にされ、上尾宿本陣前に創建されている。神社前に案内版があり、当時の絵が観られます。神社鳥居正面に立派な建物(本陣)、神社を挟むように脇本陣が描かれていました。宿場の中心の場所だったと思い、現在でもJR上尾駅にほど近い場所です。
今回はここで終了です。上尾駅より電車で帰宅しました。
5、昼食とお土産
・久しぶりの外食
この日はとても寒かったのでお弁当は持参せず、休憩も兼ねてお店でお昼を食べることにしました。浦和~大宮はJRの線路に沿って歩くので、飲食店はとてもたくさんあり、何を食べるかも選び放題でしたヽ(^。^)ノ。やはり、寒いので温まるもの!(^^)!、と言えばラーメンです~。美味しそうなラーメン屋さんもたくさんありますが、その後もぺーうを落とさないで歩きたかったので、なるべく軽く食事を済ませたく、寄ったのは「日高屋」さんで、食べたのは👇。
野菜たっぷりタンメン(麺少なめ)490円。
私が食べるに量はちょうどよいのですが、油が多すぎました。私の胃袋さん、頑張って消化して~。とお願いしながら歩きましたが、中々手ごわかったようでした(;^_^A。やっぱりお弁当が私の胃には良いかな。
・お土産
今回は街道途中でお土産に漬物を買いました。
江戸末期創業の河村屋さん。中仙道沿いにお店があります。しば漬とべったら漬け、共にお買い得価格で購入しました。
6、五街道歩きの記録
7、使ったお金💰
- 交通費 電車、バス代 804円
- 昼食(ラーメン) 490円
- 土産(漬物) 819円
- 合計 2113円
次のお出かけは山⛰に行きたい。
※五街道 中仙道歩き、ケチ子は出来るだけ旧街道を歩きたいと思っていますが、時々旧街道より外れています。YAMAPで私の歩いた道をUPしていますが、正しい旧街道歩きではありません<(_ _)>。