前野原温泉 さやの湯処 板橋区前野町
私は温泉が好きで時々出かけています。
都心から遠く離れた温泉が好きなのですが、何せ距離があるとたどりつくまでに結構時間がかかってしまうので、たまには近くの温泉に行ってみようかと、板橋区にある前野原温泉さやの湯処に出かけました。

都内の温泉は黒湯であることが多いのですが、ここのお湯はうぐいす色の濁り湯という珍しいお湯です。源泉かけ流しの露天風呂もあります。

以下の写真はHPよりお借りしました。
硫黄の成分は無く、特徴は高ナトリウム塩化物強温泉です。匂いはほとんど感じないです。PHは7.4の弱アルカリ性です。塩分濃度はかなり強く、湯上り時には体が少しべたつく感じがあります。HPには成分が肌に付着し汗の蒸発を妨げるため保温性に優れているとあります。
都心近くにありながら、個性のある温泉に入られるのは穴場のような感じがします。
施設内はかなり広く、色々なお風呂が楽しめることもここの特徴でもあります。

私が大好き壺湯もあります👇。

壺湯好きです(。・ω・。)ノ♡。プライベートスペースが完全に確保できるし、首と両手足をふちにひっかけて上を向いてお湯に浸かれるってなんという贅沢でしょうかヽ(^。^)ノ。源泉かけ流しのお風呂と壺湯はお湯が少し熱めになっているので良く温まりますし、寝ころび湯は体が10㎝程度しか浸からないのでゆったりと長くお湯に疲れることが出来ます。
露天風呂の脇にはベンチも各所に置かれているので、温まっては外気浴をすることを繰り返しながらゆっくりとお風呂を楽しむことが出来ました。
私は、日帰り温泉に行くと露天風呂に入ることが多いので内湯はほとんど入らないのですが、内湯も高濃度炭酸泉やジェットバス等いろいろな種類のお風呂があります。
お風呂の数の多さはかなり多いと思います。

サウナもドライサウナのスチームサウナの2か所あります。勿論水風呂もあります。水風呂の水温はきりっとした冷たさで気持ちよかっったのですが、浴槽の深さが浅かったです。水風呂は少ししゃがんで入ると肩まで疲れるところが多いのでちょっとびっくりしました。それでも、気持ち良いです。
色々あるお風呂を楽しんで、サウナと水風呂も堪能し、ゆっくりと疲れをいやしました。
場所柄、とても混むだろうなと思っていましたので、休日を避けて平日昼間に行きました。駐車場はほぼ満車の混みようで、人も多く来られていましたが、施設内が比較的広いので入りたいお風呂を堪能することが出来ました。お昼前に着いたことが良かったのか、お湯が疲れているような感じは少々あったかもしれませんが、許容範囲内でとても気持ち良かったです。土日であれば結構混むかもしれないので、人混みが苦手な私は平日が良いかな。
電車で行く場合は都営三田線の志村坂上駅より歩いて8分とあります。
志村坂上ってどのへんだったかなと思いGooglemapを観てみると、志村の一里塚がある場所なので、国道17号中山道から少し西に入った場所になります。

中山道歩きでの写真
車で行っても広い無料駐車場もありますし、道路の向かいある大きなイオンの駐車場も利用できます(5時間以内)。
私はイオンの駐車場に車を止めて帰りに買い物をして帰ってきました。なかなか、普段は大きなスーパーに行くことが無いので、大きなイオンに行くと迷子になりそうになります(;^_^A。
料金 大人1人
- 平日 890円
- 土日祝 1120円
中山道歩きの見どころ 長久保宿
江戸時代、徳川幕府によって整備された五街道歩きを楽しんでいます。
その五街道のひとつである中山道を、日本橋から京都三条大橋に向かって歩き、いろいろ見どころはあるのですが、諏訪宿の先まで進んだ私が一番ここはすごい👀思った宿場が長久保宿でした。
長久保宿を含むblogはこちら👇
中山道 長久保宿
長久保宿は、中山道で江戸から27番目になる宿場であり、現在は長野県小県郡長和町になります。
中山道の最大の難所である和田峠と笠取峠間にある宿場であり、京都から善行寺参りへ向かう追分でもあったこともあり、当時の旅人にとっては欠かすことのできない重要な宿場の一つで、旅籠が43件もある比較的大きな宿場でもありました。



しかし、今(2022年)より155年前の1867年、幕府が大政奉還を行い、時代は明治時代となり、近代化の波がやってきました。それに伴い道路や鉄道が整備されました。それまでは徳川幕府が整備した五街道が人・物の流れを担っていましたが、流れは鉄道や車が走る幹線道路へと変わっていきました。
江戸時代の交通の大動脈の1つであった中山道の多くは、国道や高速道路が並走し、現在でも人々の生活に欠かせなくなっていますが、長野県軽井沢町にある江戸から20番目の追分宿から29番目の下諏訪宿までの間には主要国道が並走していなく、鉄道も長野県佐久市の佐久平駅が最後になっています。
明治時代に移った後も宿場の賑わいは続いたそうですが、道路と鉄道が整備されると次第に交通量が減りました。
交通が変わったことは地域にとても大きな影響を与えることになり、村は宿場から農村へと変わりました。住民の方々は大変な思いをされたかと思います。
しかし、その変化があったことで街の区画整備や道路整備や拡張などの工事の影響は少なくて済み(それも一概に良いこととも言えないのですが)、当時の街並みや建物が比較的よく残っているにも関わらず、観光開発されていないのが特徴と言えると思います。
このような時代背景の中、当時の面影がとてもよく残っており、また、建物を資料館として無料で一般公開されているのが長久保宿で、とても見ごたえがありました<(_ _)>。
資料館 吾一庵

明治初期の建物であり、兼農で馬を取り扱っていたと伝えられている住宅です。
玄関を入ると

土玄関入ってすぐに土間があり、建物の裏にある馬屋へ馬もここを通って出入りしていたそうです。当時の風景がよくわかります👀。

玄関入った土間の反対側には広々とした立派なお座敷があります。
養蚕もされていたとあり、二階には

当時の養蚕の道具と、裃(かみしも)
テレビで見る機会はありましたが、本物の裃を初めて見ました👀。絹で作られており、本当に当時のものなんだと。貴重なものです。立派お屋敷なので、裃を着る方が住まわれていたのかと。
裃をよく見ると、サイズ感に気づきます。当時の成人男性が着るために仕立てられていると思うと、身長162㎝の私ではちょっと短い感じです。体系も結構スリムかも。江戸時代の日本人の体格をリアルに感じる裃です(*^-^*)。

この写真もびっくり👀、江戸時代の宿場の風景や当時の服装を見られるとは大変貴重です。笠をかぶっており、和服で裾をめくりあげているのは旅人でしょうか。
まっすぐに街道が通る両脇にかやぶき屋根の建物が建っており、当時の宿場の様子がよくわかります。
旅籠 丸木や

旅籠を営んでいたという丸木屋の建物は1867年建築であり、江戸末期、大政奉還の1年前の建物です。

155年も前の建物とは思えないぐらい立派です。
空き家となっていた建物を、貴重な江戸末期の建物の保存と宿場の活性化のために修復され、無料で一般公開されています。
一福処 濱屋








当時の笠や合羽、蓑や袈裟、草鞋まで👀。150-160年前の実際のものを観れるのは大変貴重な体験でした<(_ _)>。
江戸時代とは
中山道を日本橋から歩き始め、29番目の諏訪宿(の少し先)まで進みました。
その間にも多くの宿場が観光開発されていたり、当時の建物を資料館として一般公開されています。当時(江戸時代)とはどういう時代であったのかと思うと、建物や道具、衣類等にはとても関心があります。
昔は、今より不便であったかもしれませんが、人々は心豊かに生活していたのではないだろうか。
そう、思う時があります<(_ _)>。
木の花の湯(御殿場アウトレット 日帰り温泉)
先日、子供に御殿場アウトレットに連行され(;^_^A、子供がお店を回っている間に日帰り温泉「木の花の湯」に行ってきました。
アウトレットに行くと、子供は大学生の男の子なので、母親と一緒に買い物をすることはなく、現地で自由行動となり、集合時間までひたすら個人行動となります。
そういう私も登山や街道歩きが趣味で、アウトドア用品を観たくなるので、アウトレットに一緒に行くことは楽しみの一つでもあります。それでもそんなに時間がかからないので、2時間ほど、御殿場アウトレットに併設されているホテル内にある日帰り温泉に行ってきましたヽ(^。^)ノ。

日本最大級の広さの御殿場アウトレット
台風前に行ったので天気が悪く、富士山🗻は全く見えません(;^_^A。
御殿場アウトレットの敷地内
首都圏から日帰りで行けるアウトレットは他にも数か所あります。もちろん、自宅からの距離や高速料金などの違いがあり、その時に買い物をしたいショップにも合わせて行き先を決めています。
その中で、御殿場アウトレットは横浜~海老名にかけて東名高速が渋滞することが多いので、選択肢の1番に入ることが少なかったのですが、ショップの品ぞろえが良いような気がするので子供と一緒の買い物の時に行くことがあります。
国内最大級の広さでもあるので、館内では結構な距離を歩くことになりますが、仕方がないです(;^_^A。そういうこともあり、店間の移動時間もかかるので、子供の買い物時間が必然的に長くなります。
お天気が良ければベンチに座っているのも好きなのですが、あいにくこの日は土砂降りの雨であり、以前テレビで見たことがあった、日帰り温泉に向かいました。
そして、雨なのに傘を持っていくのを忘れてしまい、急遽お店で傘を1100円で購入してから行きました。(傘を買ったことで200円の割引になりラッキーでした)
日帰り温泉の場所は、御殿場アウトレットから富士山の反対側の小高い場所に立っているホテルの中にあるので見回すと目につきます。そして、なんとなくでも(;^_^A、その方向に向かって歩いていけば小さな看板が立てられているので迷うことなくいけました。

丘の上にある駐車場(P4)の最上階から連絡通路があります。
温泉とお風呂
温泉は自家泉源でありナトリウム硫酸塩、塩化物、炭酸水素塩温泉とありますが、パンフレットにも載っていなく、HPに書かれている程度です。確かにナトリウム温泉であり、お肌つるつる系のお湯ですが、高ナトリウム程ではないかな。自家泉源ではあるけれど、お湯に特別な特徴が少ないのかもしれないです(;^_^A。
しかし、気持ちの良いお湯で、この場所が御殿場であり、富士山の麓でもあることから、気持ちよくお風呂を楽しむことが出来ます。立地が良いです。
お風呂は内湯と露天風呂があり、内湯には炭酸風呂と座湯があります。内湯は地下水を使われているとあり、深さ90㎝もある珍しく深い浴槽に熱めの40‐41度くらい?の温度、炭酸風呂はぬるめの37.6度くらいの気持ちの良い温度になっていました。
サウナ、水風呂もあります。サウナにゆっくり入ることはなかったのですが、水風呂は地下水のためか温度が低めの16度くらいで、キーンと冷えて気持ちが良かったです。
露天風呂も2か所あり、かなり広めでゆったりと入れました。露天風呂は温泉であり少しぬるぬるする気持ち良いお湯です。無色透明でにおいもなかったです。
内湯もそうですが、露天風呂も富士山に面しており、晴れていれば富士山ビューの絶景なのですが、あいにくこの日は雲しか見えませんでした。

ただ、せっかくの富士山ビューなのですが、お湯につかっている状態ではすりガラスがあるので富士山は観えにくいのではと(;^_^A。露天風呂の一段高い場所にある立ち湯(深さ110㎝)のお風呂では眺めがよいかもしれませんが、落ち着いてゆっくりという感じではないかな。でも、小高い場所でもあり気持ちが良いです。ぼーっとしていることが出来るリラックスできる温泉です。
シャワーブースも仕切りがあり、アメニティーもポーラかユニリーバのダブとシャンプーが置かれていたり、洗面所の化粧水は雪肌精だし、ドライヤーはダイソンだし、冷水器は紙コップ式だし、プチ贅沢気分でとても快適です。ロッカーも広くてきれいです。
場所柄、家族連れや若い女性が多いような感じで、休憩場所にはアウトレットで買い物をする家族を待つお父さんと思われる男性もちらほらいます。待ち時間に日帰り温泉はとても良いですヽ(^。^)ノ。
館内設備
テラスより富士山🗻方向を眺めますが、全く何も見えません(;^_^A。


アウトレットに併設されている為か、ゆっくりと過ごせるようにお休みどころがかなり充実しているのが特徴で、広く休める場所が作られており、ここで1日過ごせそうです(*^-^*)。


もちろん晴れていれば富士山ビューです。

漫画本がかなりたくさん(約2500冊)あり、本も読み放題ですヽ(^。^)ノ。最近の日帰り温泉はこういうくつろぎスペースが多くなっているのかな。うたたねできる場所は12歳未満は利用できなくなっていることも良いです。ゆっくりできます。アウトレット目的でなく、日帰り温泉が目的でも1日ゆっくりできそうなくらいです。
御殿場アウトレットは、いつ行っても人が多いという印象が私にはあるのですが、その人の多い場所の割には日帰り温泉は混んでいないかな。もちろん、空いている訳ではありませんが、ゆっくりとできる場所でした。午前中に行ったことも良かったのかもしれませんが(;^_^A。
お値段とタオルレンタル
ここは、ちょっとお値段が高く設定されています(;^_^A。
そして、入場料にバスタオルとフェイスタオル各1枚がついていますので、アウトレットに来たついでに手ぶらで入浴できるので便利です。ここでは、少しお高くてもこのほうが良いような気がします。

- 平日大人1人 1600円
- 土休日大人1人 1900円
なのですが、割引がありました。
少し、ややこしいのですが、13時までに入ると400円引きになります。御殿場アウトレットで1000円以上の買い物したレシートを提示すると200円引きになります。
私が行った日は、お盆期間で土休日料金でしたので1900円。
13時までに入ったので400円引きで、アウトレットで1100円の傘を買っていたのでさらに200円引きとなり、1900円‐(400円+200円)=1300円となりました。
金額だけだと、御殿場という場所柄では少し高いような気もするのですが、レンタルタオルがついているのと、アウトレットの敷地内であること、施設が充実していて長時間休憩が出来そうなことを考えると、
1300円はお得かなと(*^-^*)。
ここはリピしそうな日帰り温泉ですヽ(^。^)ノ。
私が訪れた日帰り温泉一覧はこちら👇
尾瀬 2022年夏 至仏山と燧ケ岳
こんなにも美しい景色があったのか
至仏山から広大な尾瀬の景色を眺めて、大自然からの贈り物だと感じた。

2022年夏、私は初めて尾瀬を訪れました。
尾瀬は童謡「夏の思い出」で歌われている広大な湿原。場所は群馬県と新潟県、福島県の境にあり、どこから行ってもかなり山深い場所にあります。
テレビや写真では見る機会があっても、なかなかイメージが難しいと感じていた通りで、実際、尾瀬に行くと、周辺の山々も含めその場所の成り立ちがよくわかります。まさに百聞は一見に如かずです。トレッキングで訪れる人が多い尾瀬ですが、尾瀬の一番の見どころは、山から見る尾瀬ヶ原の全景だと思いました。
尾瀬を取り囲む山々 至仏山 燧ケ岳
至仏山や燧ケ岳の山から見る尾瀬ヶ原は、周囲を取り囲む山々に大事に守られているように見えます。
尾瀬ヶ原は山に囲まれた盆地であり、周囲に降った雨が流れ込み一帯が湿地帯となっています。この地形があってこそ、こんな広い湿地帯ができています。

尾瀬の湿原の中に立つと、周囲を山に囲まれているのがよく解ります。尾瀬の湿原の標高は約1400m。周囲の山々は2000mクラスになります。その中で目に留まるのが西側に穏やかそうな丸みを帯びた女性的な山容でもある至仏山。そして、もう一座は尾瀬ヶ原の東側に聳え立っている燧ケ岳です。共に日本百名山でもある至仏山と燧ケ岳の山容は対照的でもあります。丸みを帯びた稜線で女性的な山容である至仏山と、直線的で傾斜も強く、男性的な山容に見えるのが燧ケ岳。尾瀬ヶ原の湿原と、取り囲む山々を両脇から支えるように、守るように、至仏山と燧ケ岳は共に個性ある山容で、凛としてその場に存在しています。本当に素晴らしいです。
至仏山(標高2228.1m)
尾瀬の西側に聳え立つ山で、柔らかい穏やかな山容の至仏山。名前を聞くと仏教に関連があるのかと思いますが、そうではないようで山中に仏像やお社はなかったです。深田久弥氏は当て字であろう…と書かれています。

その穏やかな山容の至仏山なのですが、いざ登ると山頂付近は赤みを帯びた岩場であり、全然穏やかではないです(;^_^A。日本百名山には「柔らかな曲線を描いでなんとも親しみやすい。もっとも反対側の利根(群馬県利根郡にあった旧利根村)から仰ぐと頂上の稜線近くはゴツゴツした岩で鎧(よろ)われている。」と書かれています。ゴツゴツした岩は赤みを帯びた蛇紋岩であり、風化を受けやすく、もろくて崩れやすい性質のためすべりやすく注意が必要です。


至仏山は登山者が多いこともありますが、山頂は広くないので込み合っていました。少し降りたところにテーブルとベンチがあり、見晴らしもとても良いので、こちらで休憩するのも良いです。
至仏山には鳩待峠からのピストンで登りました。比較的穏やかな樹木帯を頑張って登り、小至仏山につながる稜線に繋がる稜線に出たとき、尾瀬ヶ原と周りを囲む山々の全景が目に飛び込んできました。なんとも美しい光景だなぁと。そして、尾瀬の地形を眺めて思いました。だから尾瀬が出来た。広大な湿原が出来た。自然が作った芸術作品だなぁと。尾瀬には登山者含め、トレッキングが主体の観光客の方々も多く来られています。尾瀬ヶ原から観る広大な湿原と周りを取り囲む山々を眺めるのも素晴らしい景色なのですが、可能ならば是非、山に登り、山から尾瀬全体を眺める景色を観ることをお勧めします。
至仏山に登るには尾瀬ヶ原にある山の鼻より登るコース(残雪期以外は登り一方通行)か、鳩待峠からピストンで登るかになります。せっかく尾瀬に来たからと、周回コースで登りたくなりますが鳩待峠と山の鼻の間は標高差で約170m山の鼻のほうが低く、鳩待峠と山の鼻は、下りで約1時間、登りでは約1時間30分かかるので計画時に注意が必要です。
※至仏山の標高はオーストラリア大陸最高峰のコジオスコとほぼ等しいをWikipediaにありました。ちなみにエアーズロック(ウルル)の標高は868mです。
燧ケ岳(標高2356m)
尾瀬ヶ原の東側に聳え立っている、直線的で傾斜も急な山が燧ケ岳です。至仏山を女性的というならば、燧ケ岳の山容はまさに男性的です。そして、至仏山が隆起で出来た山に対し、燧ケ岳は活火山の独立峰で、8000年前頃に山体崩壊を起こして出来たのが尾瀬沼とあります。
山頂の火口付近に芝安嵓(しばやすくら2356m)、俎嵓(まないたくら2346m)、ミノブチ岳があり、一般的に燧ケ岳山頂は芝安嵓で山頂の碑が置かれており、爼倉には二等三角点があるそうです。
燧ケ岳山頂からの眺めも素晴らしく、今度は至仏山と裾から広がる尾瀬ヶ原を一望できます。尾瀬ヶ原の中の林である拠水林もとてもよく見えます。

また、北側には越後山脈、南側には日光白根山、男体山、たぶん皇海山?もよく見えます。
燧ケ岳は東北以北最高峰で、山頂は福島県南会津郡桧枝岐村になります。エリアを(茨城・栃木・群馬を含める)北関東以北に広げると、最高峰は群馬県と栃木県の境にある日光白根山(標高2578m)になります。



中:森林限界を抜けて視界が開け見えた爼嵓
右:燧ケ岳山頂から見た尾瀬沼、向こうに男体山、日光白根山
燧ケ岳に登るにはいろいろなコースがあります。尾瀬ヶ原の見晴と尾瀬沼を通る周回コースもありますが、当日は時間がなかったので見晴からのピストンで登りました。
尾瀬ヶ原
尾瀬ヶ原は至仏山、燧ケ岳を含む標高2000m級の山々に囲まれた盆地であり、湿原になっています。尾瀬の湿原で標高が1400m程もあり、高山植物を含む湿原特有の植物がみられます。(私は植物の知識がほとんどない(;^_^Aので、よくわからないです<(_ _)>。)



尾瀬ヶ原は南北約6㎞、東西約3㎞もある広大な湿原です。6㎞はどのくらいの距離かというと、東京駅と新宿駅間を歩くと約6.5㎞です。かなり広いです。燧ケ岳や至仏山も含む国立公園特別保護地域としては8690haもあり、山手線の内側の面積(約6300ha)の約1.4倍にもなります。湿原だけになると約760haであり、山手線内側の約1/8になり、東京ドーム(4.6755ha)162個分になります。

広大な尾瀬ヶ原の黄緑色の湿原の中には、湿原を仕切るように濃い緑色の線が見えます。濃い緑は木です。尾瀬ヶ原のほとんどは平らな湿原であり、木が生えないのは何故かなと考えると、木は生えられないと思い、何故生えられないのかと思って湿原をよく見ると、背丈がとても低い草原の草花と同じか少し高い程度の木は生えているのです。つまり、大きくなれない。なぜ大きくなれないか?湿原だから。土が水を含んで柔らかいからと解ります。そうすると、湿原の中の林は、木が大きくなれる。何故か?土に強度があるからと予想できます。

湿原の中の林は拠水林であり、拠水林とは湿原の外部から湿原を貫通してくる川の両側に成立している林のことであるとあります(Wikipediaより)。川は流れる際に侵食して土砂を作り流してきます。川に流された土砂は湿原に流れ込んだ後流れの両側に堆積して自然堤防を作る。そこには木が生えることができる強度があったということです。
そして、小規模な川は湿原に流入食後の短い距離にしか拠水林を作れないとあります。尾瀬ヶ原の広大な湿原に描かれた長い緑のラインはどんな流れの川によるものなのかと。穏やかな湿原とその中に流れる川と、川の力で木が生えることが出来、長い林となっている。大自然の芸術作品ですヽ(^。^)ノ。

湿原内に湧き出た泉を水源とする川には拠水林は成立しないとあり、土砂を流さないからと解ります。しかし、湧き出ている水はとてもきれいで、水面が鏡のようです。竜宮近辺には拠水林がないことにも納得します。
尾瀬での宿泊とテント泊
尾瀬には20程の山小屋があります。多くはお風呂もあり山小屋といえども快適に過ごせるとあります。トイレが水洗なのは非常に助かりますが、周囲が湿原の盆地の中にいるので、シャンプーや洗剤、歯磨き粉は使えないです。
私は、山ではテント泊をするのでテント場を探すと、至仏山麓の山の鼻、燧ケ岳から尾瀬ヶ原の麓の見晴、尾瀬沼東岸の三か所ありました。一泊二日の予定で群馬県側の鳩待峠から入山し、至仏山に登山して、翌日には燧ケ岳に登山しようという無謀な計画を立てたので、テント場は見晴にしました。



見晴テント場は傾斜もほとんどなく、水場もトイレ(チップ制)も近くにあり快適でした。受け付けは燧小屋で大人1人1000円。もちろん冷たいビール🍺も購入ヽ(^。^)ノ。
訪れたのは7月初旬であり、標高1400mもある高所なので寒いかなとも思いましたがそんなこともなくシェラフはスリーシーズン用(モンベル#3)で十分でした。日が落ちるとテントの外は寒いぐらいで、ダウンは無くても大丈夫でしたが、何か着るものが必要でした。そして、さすがに湿原だわと思ったのは、湿度がすごく高かった👀です。ジメジメします。

食事
テント泊なので、食事は全て持参して調理します。これもまた楽しみの一つでもあります。
1日目
昼食:持参していたおにぎり(至仏山山頂付近のベンチで)
夕食:ご飯を炊いて、サバのレトルトパックと持参したぬか漬けときゅうり(親子丼は食べられずに持ち帰る(;^_^A)


2日目
朝食:ご飯を炊いて、卵と魚肉ソーセージ
昼食:魚肉ソーセージと乾燥野菜、めんつゆで炊き込みご飯を作ったら、ピラフのようでおいしかった。おこげもしっかり(*^-^*)。


山歩きのデーターはこちら👇
駐車場と交通機関
駐車場:尾瀬第一駐車場(群馬県利根郡片品村戸倉) 1000円/日
乗合タクシー:片道1000円


鳩待峠より尾瀬に入るならば鳩待峠駐車場もないわけではありませんが、通行規制があります。そして、鳩待峠駐車場は2500円/日もするので、戸倉にある尾瀬駐車場に止めて乗合タクシーに乗るほうが安いです。タクシーも頻繁に走るので苦になるほどの待ち時間はなかったです。
東京から片品村に行くには、関越自動車道で行っても、東北道と日光宇都宮道路で行ってもかなり遠いです。出発する場所にもよりますが料金的は関越道路経由のほうが安い場合が多いようです。今回は、一日目は早朝出発して、深夜は一般道もよく走るので国道17号で北上し、国道120号を経由していきました。帰りも120号に出て、17号経由し渋川伊香保から関越自動車道で帰りました。

使ったお金💰
- ガソリン代 約2500円
- 高速代 2070円(軽自動車・休日割引)
- 駐車場 2000円(1000円/日×2日)
- 乗合タクシー 2000円(1000円/片道×往復)
- テント泊 1000円(大人1人一泊)
- ビール 800円×2
- ジュース 360円(200円、160円)
- パン 152円(👈お腹がすいたので購入)
- 合計 11682円 でした。
白寿の湯 おふろcafe 埼玉県児玉郡神川町
私は温泉が好きで時々出かけています。
私が好きな温泉は、とりあえず湯が良いことヽ(^。^)ノ。当然と言えばそうなのですが(;^_^A、お湯は大事です。そして、人混みが苦手なので比較的すいていて、露天風呂がある事。宿泊することはほとんどないので、日帰り温泉メインで都区内から車で往復できる温泉をメインに訪れています。
少し前にGooglemapを観ていた時に見つけた白寿の湯。近くまで2回程行ったことがありましたが、時間に余裕が無く残念した温泉なので、今回は温泉を目的にして行きました。すると、びっくりするほど👀にお湯が良く、施設も良かったので、又行きたいなぁと思う良い日帰り温泉でした。
白寿の湯
この温泉のお湯は名湯ですヽ(^。^)ノ。かなり良いと思います。
浴槽から溢れたお湯が流れている場所に千枚田の様に温泉成分が付着していてびっくりします。温泉成分の濃さを感じますが、これでも源泉に地下水?を加えているそうです。

露天風呂も凄いのですが、内湯も同じように温泉の成分が千枚田の様に付着しています。裸足で歩くので少し足が痛気持ちよい感覚があります。
温泉の成分はナトリウム・塩化物強塩泉(高張性。中性低温泉)で国内トップクラスとあり、塩気があるのが特徴かもしれませんが塩分だけではない凄さがあります。
お湯に入ると、日ごろの疲れやストレスもお湯に染み出していくような感覚になり、多分にそんなことは現実的ではないかもしれないですが、体に入っている余分な力も抜けるような、良い意味で不要な物が抜けていくような感覚になります。お湯の浸透圧が高いのかな。浸透圧でストレスは抜けないけど(;^_^A。
温泉の成分が濃い温泉は、違った意味で湯あたりしないように体も緊張するような感じがあることもありますが、ここの温泉は温泉成分が濃いであろうけれども体が緊張しない温泉です。力が抜けます(*^-^*)。
ぼーっとお湯につかっていると、あっという間に時間が過ぎているという、力だけでなく緊張感も抜けて、こんなにリラックスして良いのか状態になってしまいます(*^-^*)。
内湯は普通のお風呂の温度で暑すぎない程度で気持ちよく入れ、露天風呂は36~37度の人肌程度で長く入っていられます。塩分濃度が濃いのか、体が良く浮く感じです。
ナトリウム温泉は上がった後にべたついたり、髪がゴワっとしたりしますが、上がり湯をすれば問題ありません。あまり遅くならないように帰ろうと思っていたのに、温泉だけで約1時間もいました(笑)。
想像以上に良いお湯の温泉を見つけてしまいましたヽ(^。^)ノ。
館内施設
おふろcafeという名前であり、館内はカフェの様に、というか、まったりとくつろげる空間が沢山あります。
実は、私自身は温泉はお湯が良ければ良いと思っており、館内設備にはあまり関心がありません。あえて、設備が充実している温泉は人気があって混んでいたりすると思い、人込みは苦手なので避けたりします。ここも、施設の充実した感じに少し引き気味でもありました。

おしゃれな外観よりも、ワイルド外観の方が好みかも(;^_^A。
施設内はとても綺麗で充実しています。二階にあるお風呂に入ると、ここもとても設備が良いのですが、その良さにしては天井付近がなんとなく年季が入っているように感じます。そう思うと、おふろcafeと白寿の湯と言うネーミングも少しちぐはぐ感があります。
もしかしたら、ここにはもともと白寿の湯と言う日帰り温泉施設があり、お湯がとても良いので、リノベしておふろcafeにしたのではないかな。おふろcafeは他にも展開していますし。
こんな素晴らしいお湯なのに、そんな事しなくてもお湯だけでやっていけるのにとも思いますが、この辺りは埼玉県と群馬県の境であり、都内からは結構距離があります。そして、近くにも日帰り温泉施設があるので、個性のある施設を目指したようにも思います。


コーヒーを頂き休んでいるとリラックスしすぎて何だか眠い。そう言えば、お香かアロマのようなにおいがしていたことを思いだす。館内のソファーやうたたね処等をよく見ると、沢山のお客さんで空いている場所が殆ど無い様にも思う程の混みように気付くけれど、それでも静かであり、人混みが苦手な私でもリラックスして眠くなる。何だか落ち着く空間です。そして、皆さんは持参したと思われる部屋着を着て、思い思いに好きな場所で本を読んだりしてくつろいでいます。ここ、良いなぁと。


いい感じの距離感と、プライベートスペースが確保でき、視線にも配慮されています。
ハンモックもあり、Wi-Fi完備、本は沢山あり読み放題、コワーキングエリアもありますのでパソコン持ち込んで作業するのも大丈夫。最強だわ。湯治のように、おふろに出たり入ったりして何時間でもいられそうです(*^-^*)。今度来るときはたっぷり時間を過ごそうと心に決めます。

食事処
勿論、館内に食事処もあります。浴衣の無料レンタルも👀


食事処は玄米に発酵食品をテーマにしている健康志向なメニューの様です。近くにヤマキ醸造という醤油を作っているお店がありコラボもしている様です

ゆったりと温泉に浸かって、玄米食と発酵食品。まさに、非日常を過ごせる空間です。そして、都心から近くない所の空気は緑(山)の匂いがしますし、清々しいです。遠い事は不便かもしれませんが、日常を距離をとって自然の中に行くことにも意味があるのかもと感じました。
料金と感想
お湯は最強、ゆったり過ごせる施設。こんな贅沢は他にないかもと思いました。
気になる料金は
大人1人
平日780円、土日祝880円 夜間(21:00~22:30)450円
場所を思えばそうかなと思う金額で高いとは思わず、むしろ一日過ごせるならばお得な金額ではないかと。(朝10:00から営業)
都心から遠い事にも意味は十分ありますが、何せ遠いので頻繁にはいけないかな。しかし、心が疲れた時の味方になってくれそうな温泉を見つけました。
お湯が良ければと思っていましたが、お湯も良く、施設も良ければいう事なしです。
交通と駐車場
白寿の湯おふろcafeは、埼玉県児玉郡神川町にあります。都心からの距離は約90㎞。無料駐車場は完備されており、第二駐車場もあるので、駐車場待ちという事はないと思います。
高速道路使用
最短時間で行くには関越道練馬ICより本庄児玉ICまで高速道路を走ると、渋滞なしで1時間30分程です。
気になる高速料金(練馬IC~本庄児玉)は
普通車
休日割引1970円、平日ETC利用2280円
軽自動車
休日割引1600円、平日ETC利用1840円
一般道では
高速道路を使わずに一般道のみを走ると、国道17号経由、国道254号線経由、国道299号経由と色々方法はありますが、距離は約90㎞前後と変わりませんが、渋滞が無いとしてでも片道2時間半は必要になりそうです(;^_^A。
私が訪れた日帰り温泉一覧はこちら👇
中仙道⑩後編 下諏訪宿、塩尻峠 (長野県諏訪郡下諏訪町、岡谷市、塩尻市)
中仙道歩き⑩前編、和田峠超えの続きの後編です。
前回のblogはこちら👇
29 下諏訪宿
下諏訪宿は、長野県諏訪郡下諏訪町にあり、和田峠の西の玄関口になります。また、日本最古の神社の1つである諏訪大社下社の門前としても栄えた宿場で、中仙道に69か所ある宿場の内で唯一温泉が湧いています。宿場跡付近では今も豊富に温泉が出ているので、日帰り温泉施設や温泉旅館が立ち並んでいます。
そして、江戸(東京)日本橋から甲州街道の終点で、中仙道との合流地点でもあります。
本陣1、脇本陣1、旅籠40
中仙道と甲州街道の合流地点でもあり、温泉があった為もあるのか下諏訪宿は比較的大きな宿場です。本陣の岩波家は皇女和宮や明治天皇も宿泊されており、現在では一部一般公開されています。
脇本陣は記録では1軒で現在のまるや、まるやの正面の桔梗屋は旅籠で、中仙道と甲州街道の合流地点の向かいで今でも旅館をされています。いつかは泊まってみたいと思いますが、恐らく実現しないだろうな(;^_^A。




慈雲寺の石造りの龍
和田峠を越えて下諏訪宿に入ろうとする場所に慈雲寺というお寺があります。長く歩いてきて目に留まる水場はとても貴重で、江戸時代の旅人の喉を潤した水です。
石造りの龍は1825年(文政8年)に水神として奉納されたとあり、かなり立派なもので、まるで龍がこちらを見ている様です。

甲州街道・中仙道合流の碑
比較的新しい石碑が建てられています。
昔の旅人にとっても、現在の街道歩きをしている人々にとっても、この場所は一つの大きな区切りの場所となります。何だかホットすると同時に、達成感も大きく感じるのではないでしょうか。T字路になっており、中仙道を歩いてきた私はここから右に曲がり、さらに中仙道を進むのですが、向かいに甲州街道があるのが何だか不思議に思うのです。本当に甲州街道?と、疑い深くもなるのですが(笑)、向こうには国道20号の看板が見えており、説得力があります(*^-^*)。

ちなみに、甲州街道は現在の国道20が沿うよう通っており、この場所も国道20号になります。中仙道は軽井沢の追分宿まで国道18号が沿っていますが、追分宿を最後に下諏訪宿までは2ケタの国道が沿っていないです。
ここまで3ケタの国道に並走されてきた中仙道は、ここまで甲州街道に沿ってきた国道20号に沿います。国道20号は、この先の長野県塩尻市で終了します。
中仙道は下諏訪宿を出ると岡谷市を抜けて塩尻峠を越え、塩尻宿に向かいます。
塩尻峠
塩尻峠は高ボッチ高原から続く尾根を越える峠であり、岡谷市と塩尻市の境になります。尾根は諏訪湖を囲む盆地の尾根でもあり、諏訪盆地と松本盆地を隔てています。

この塩尻峠がある尾根は中央分水嶺であり、岡谷市側に降った雨は諏訪湖から流れ出ている天竜川(幹川213㎞、国内9位)へ流れていき、長野県から愛知県を経て静岡県の浜松市と磐田市の境で太平洋に、塩尻市に降った雨は千曲川に合流し、新潟県に入り信濃川と名前を変え、越後平野を抜けて新潟市で日本海に流れていきます。この峠を境にして流れ先が太平洋か日本海に変わるとはスケールが大きい峠です。

中仙道が通り、少し離れた場所を国道20号が峠を超え、長野自動車道はトンネルで抜けていく塩尻峠の標高は、国道20号の最高地点では1012mとあり、岡谷市の市街地で標高が約800mですので、国道20号で峠を越えると標高差は約200mあります。
私が実際歩いた中仙道の塩尻峠最高地点は約1050mで、諏訪湖近くで一番低い標高は約770mでしたので、標高差は280mの峠でした。
下諏訪宿から塩尻峠を越えてこの日の目的地で中仙道沿いの長野道みどり湖PAまでは、距離約10.7㎞、時間約2時間45分でした。
旧御小休本陣
中仙道の塩尻峠越えの東側となる岡谷市側に御小休本陣が残っています。
江戸時代には尾張徳川家や諸大名の参勤交代、物資の輸送を始め往来も多く、ここで御小休をしたとあります。皇女和宮や明治天皇もこちらで休まれたそうです。

塩尻峠の史跡等




一里塚
55里 下諏訪の一里塚
街道が下諏訪の街に入り比較的すぐの場所で、街道の南側に一里塚跡の石碑があります。

(下諏訪宿)
56里 東堀の一里塚
下諏訪を抜け、国道20号を南側から北側に渡った先で街道の北側に石碑があります。

(塩尻峠)
57里 東山の一里塚
塩尻峠を塩尻側に超えて下り、民家が見えてくるあたりまで来た場所で、街道の南側に塚が残っています。古図には道を挟んで二基描かれているとありますが、南側のみ現存しています。中仙道は1614年(慶長19年)に牛首峠経由から塩尻峠経由に変更されており、このころに作られたものだと推定されています。

中仙道歩き⑩ 東京に帰る
塩尻峠を降りて旧中山道をひたすら歩き、一日の歩行距離は約40.2㎞、所要時間約11時間20分(休憩時間含む)となりました。最終到着地、中仙道と長野自動車道が交差する場所にある長野道みどり湖PAに高速バスのバス停があり、そこから予約していた高速バスで新宿のバスタ新宿着の高速バスで帰りました。


朝食🍙と軽食🥐🧋
和田宿手前の民宿に泊まり、早朝出発でしたので、前日におにぎり🍙の朝食を作って頂きました。手作りの梅干しおにぎりと炊き込みご飯のおにぎりはとても美味しく、梅干しの酸っぱさと塩分が体にしみいるようでした。ゆで卵も何気に美味しかった(*^-^*)です。


お昼という程の物でもないですが、軽食は前日に購入していたコンビニパンとコーヒーを持参しており、和田峠の最高地点で休憩して頂きました。五街道最高地点での休憩と軽食は感無量で、心が嬉しいひと時でした。何でも挑戦してみることは色んな意味で良いことかもしれませんヽ(^。^)ノ。
しかし、軽食だけではお腹が空き(;^_^A、塩尻峠に着くまでに2回、コンビニに立ち寄り飲み物と細巻きずし、サンドイッチを購入して頂きました。
中仙道歩き🚶♀️のデータはこちら👇
使ったお金👛
- コンビニ(飲み物と食べ物) 722円
- 高速バス 3800円
- 地下鉄 220円
- 合計 4742円
中仙道歩き2泊3日の合計💰
- 高速バス(行き・帰り) 6000円
- 電車代 628円
- 飲食費 2837円
- 宿泊費 20740円
- 合計 30205円 でした。
中仙道⑩前編 和田宿、和田峠 (長野県小県郡和田町)
二泊三日中仙道の旅、最終日の記録です。
私は二泊三日で予定を立てましたが、佐久平から下諏訪までに交通機関が無いので、早朝の新幹線を利用して佐久平スタートであれば一泊二日で計画を立てる事も出来ると思います。
最終日の三日目は五街道最大の難所と言われていた和田峠超えを頑張りました。
和田峠は五街道中の最高地点であり、標高1531mあります。当時の直近の宿場は、東(江戸)側が和田宿で、西(京都)側が下諏訪宿となり、その間の距離は5里半ありました。一里は約3.927㎞であり、江戸時代に人間が一時間で歩ける距離と定義されていました。ですので、距離で考えるよりも時間で考えるほうが街道歩きはイメージしやすいのかなぁとも思っていますが、それでも5時間半です。
頑張って実際に歩きましたので、データと共に記録したいと思っています(*^-^*)。
28 和田宿
江戸から28番目の宿場である和田宿は、現在の長野県小県郡和田にあります。長野県の中心にある筑摩山地の麓にあり、鉄道は無く、交通では国道142号線が通っており、下諏訪市に抜けて国道20号になります。
和田峠の入り口(出口?)でもあり、この場所で標高820m程の高さにあります。
本陣1、脇本陣2、旅籠28
宿場の規模としては中規模ですが、峠越えの荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70件ほどあったとあります。
本陣は、幕末である1861年に焼失しましたが、数か月後に皇女和宮の降家時の宿泊地となっていたため、急遽再建されています。明治維新後は一部は寺などに移設され、残った居室棟は役場などに使用された後、平成元年に再建されています。

脇本陣は二軒あり、1軒の翠川家の御殿部分が残っています。本陣と同様に幕末の火災で焼失しましたが、同様に急遽再建されたとあります。皇女和宮の降家(1861年11月)の際には4日間で延べ8万人が通った記録があるそうです。凄い👀。



和田宿の本陣が残っている付近とその周辺は、当時の建物が多く残されており、当時の趣がある街道となっています。



又、宿場とその周辺には湧き水が出ている所が数か所ありますので、水分補給しました。


和田宿に関しては幸せ信州 和田宿 今と昔 に詳しい内容があります。
和田峠
和田宿を過ぎるといよいよ和田峠に向かいます。旧街道を抜けると国道142号を歩きますので、車に注意しながら先に進みます。国道を歩いていると峠越えの最後の自販機がありました。

さらに先に進むと国道より少し入った脇道に唐沢の一里塚(👈一里塚の項)があります。唐沢の一里塚は街道が付け替えられたために保存状態がとても良く残っている一里塚なので必見です。
旧街道
国道142号は先で旧142号線と、新和田トンネルに向かう142号線に分岐します。その分岐した所の近くで旧中山道は山道になり、旧142号線に沿うように街道があります。


街道は綺麗に整備されているのでとても歩きやすかったです。この日は草刈りしてくれていました<(_ _)>。


接待(和田峠施行所)
山道となった旧街道をさらに進むとその先の旧国道142号に出た所に接待があります。
当時の江戸の呉服町の豪商が中仙道の難儀に幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した。その金の利子百両を碓氷峠の坂本宿と和田宿に五十両づつ下付し、1828年に設置された施行所の1つである。
11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行した。
1851年に山崩れで焼失した後1852年にこの場所に再建されて明治3年まで続けられた。
👆説明版より



東餅屋
再度、旧街道の山道に入り、途中で広原の一里塚(👈一里塚の項)を通ります。接待からのこの区間は長坂と呼ばれていたそうです。その先で再び旧142号に出た場所に東餅屋跡があります。

東餅屋には五軒の茶屋があり餅を売っていた。寛永年間(1624年~1643年江戸初期)より一軒に一人扶持(一日玄米五合)を幕府から与えられ難渋する旅人の扶助にもあたっていた。幕末には茶屋本陣もおかれたが鉄道が開通すると共に往来も途絶え五軒の茶屋も店をたたみ、今は(ドライブイン以外に家は無く)石垣を残すのみである。説明版より。
確かに向かいにドライブインで餅を売っているかもしれない、営業しているか不明なお店がありました(;^_^A。
和田峠頂上
東餅屋の先でさらに旧街道に入るのですが、この辺りはビーナスラインと言う高原の自動車道路が走っており、その道路が旧街道を横切っている為人が通れるほどのトンネルがあるのですが、そこが通行止めになっていました。
この区間はビーナスラインで迂回するのですが、道を間違えてしまっています(;^_^A。通行止めの先で旧街道に無事に戻り、この先からは車道から離れて和田峠に向かいました。和田峠の頂上手前は結構急な傾斜ですので、はぁはぁ(*´Д`)言いながらでした。

この辺りまでの旧街道は綺麗に整備されています。旧中山道の和田峠で標高が1531mあり、和田宿の本陣辺りで標高が820m程なので、標高差は711m。
今回は民宿みやさん(標高約700m)からスタートしたので、和田峠頂上までの標高差は831m。時間は4時間40分距離17.1㎞でした。登山です。はい。
※今回の和田峠超え(民宿みやさんから中仙道と甲州街道合流点まで)の距離は28.9㎞、休憩含む時間は8時間33分でした。出発6時2分、到着14時35分。
和田峠の山頂には御嶽山の遥拝所があります。生憎この日は雲で展望はありませんでしたが、お天気の良い日には展望も良く御嶽山も眺めることが出来るのでしょう。

和田峠は、明治9年(1876年)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋にへ下る紅葉橋新道が開通した為、この峠を通る人は無くなり、古峠の名を残すのみである。とありました。かつては五街道の1つである中仙道で多くの人々が通った道は、とても静かな歴史道となっていました。
紅葉橋新道は今でもあるのかなと、Googlemapで旧トンネル付近を観てみましたが、旧トンネルの上を抜ける道は無くなっている様で、旧トンネルを抜ける旧142号になっている様です。
水場(和田峠下諏訪宿側)
和田峠を越えて少し急な山道を下った先に水場がありました。当時の旅人にとってはとても貴重な水場であった事だと思うと共に、汗をたっぷりかいている私にとっても貴重な水場で、美味しく水を頂きました。

和田宿から下諏訪宿に向かってはここが最後の水場になります。マイボトルにもたっぷりと補給しました。
ここまでの区間は山道であるので自販機はありませんが、水場が何か所かありますのでで、山水に抵抗が無く上手に補給すれば水に困ることはありませんでした。
西餅屋跡
西餅屋は和田峠の下諏訪宿側にある「立場」(人場が休息する場所)でした。茶屋本陣二軒を含む四軒の茶屋がありました。幕末の合戦で焼失しましたがすぐに再建されたという。現在は曲の手(まきのて)と呼ばれる垂直な曲がりと茶屋跡が残っています。

下諏訪宿までの道のり



木落し坂
諏訪大社の有名な御柱祭のクライマックスでもある木落し。その木落しが行われる木落し坂が旧中仙道脇にあります。



御柱際に使われるご神木と同じ樹齢100年の樅の大木が設置されています。
ようやく見えた諏訪湖
和田峠をしきりに降りて、かなり進み民家が多くなってくるあたりに着た頃、ようやく諏訪湖が見えました。思わず声が出てしまいます。江戸時代の旅人も同じように声が出たのではないかと思う程の喜びを感じます。

一里塚
49里 芹沢の一里塚
国道142号が向こうに並走している、旧中山道和田宿の江戸寄り、街道の南東側に石碑があります。

(和田宿)
50里 鍛冶足の一里塚
和田宿を京都側に抜けた先、国道142号を北西から南東に渡った場所に石碑があります。

右:諏訪街道、左:松澤歩道と石碑にあり、少し?と思いよく見てみると、この場所で旧中山道が国道142と交差しており、ちょっと間隔がある五差路になっています。江戸時代に国道はまだありませんので、地図で見ないようにすると同じ場所で道が二手に分かれており、確かに右が中仙道であり諏訪に向かっており、左はこの辺りの集落に向かう道になっています。
51里 唐沢の一里塚
唐沢の一里塚は中仙道が途中で一部路線変更したことにより山中に取り残されたもので、1831年(天保2年)には絵図面で路線から外れていたとあります。
植えられていた木は残っていませんが二基とも原型をとどめている貴重な一里塚です。





国道142号の南西側、国道からの分岐の江戸側、京都側それぞれに一里塚への看板などがあり、山中の整備された登山道を進んだ先、街道の両側に塚があります。
52里 広原の一里塚
ここも山の中に残る一里塚で片側の塚のみ残っています。どちらの塚か不明。冬の降雪期には峠から吹雪が吹き下ろし、一面雪の原になって埋もれてしまうと言われるこの辺りでは貴重な目印になったであろうと。
旧国道142号に沿う本格的な山道を進み、接待を過ぎて東餅屋との間、街道の南西側に1基の塚が残っています。

(和田峠)
53里 西餅屋の一里塚
近くに茶屋が出来た事もありあまり利用されませんでした。明治時代には農地となり場所は特定されていませんとありました。
和田峠を下諏訪側に降り、国道142号を縫うように残っている旧中山道の山道の西餅屋を過ぎて、国道142号を渡り南西側になる旧中山道の山道を進み街道の北東側に石碑があります。写真の上に写っているガードレールが国道142号。

54里 樋橋の一里塚
明治維新に取り壊されたとあり、現在は石碑があります。
しかし、ここはかなり解りづらい場所にありました。この辺りは道路が整備されており中仙道は国道142号になっています。その道路沿いではなく、脇道の会社に入る私道を進み、あぜ道のような道を進んだその先にありました。道が間違っていないか不安になりますが所々に会社の物であろう看板が設置されています。そして、国道からかなり離れるのと道が下っているので、ここまで歩いてきて疲れているにもかかわらず頑張れる体力が必要でした(;^_^A。
この辺りの旧街道は道路整備によりなくなってしまっている様子です。


中仙道歩きのデータはこちら👇
中仙道⑩後編に続く…
記事が長くなってしまったので、全編と後編に分ける事にしました。
後編もよろしくお願いします<(_ _)>👇👇👇
中仙道⑨ 塩名田宿、八幡宿、望月宿、茂田井間の宿、芦田宿、長久保宿 (長野県佐久市~長和町)
中仙道歩き2泊3日の旅。2日目は長野県佐久市にある佐久平駅前のホテルを朝8時前に出発しました。
- 岩村田宿を超えると公共交通機関が無くなる
- この区間での宿泊
- 23 塩名田宿
- 24 八幡宿(やわたじゅく)
- 25 望月宿
- 茂田井間の宿
- 26 芦田宿
- 笠取峠
- 27長久保宿
- 一里塚
- 街道沿いのあれこれ
- 食事🍴🍺と宿泊🛏️
- 中仙道歩きのデータはこちら👇
- 宿泊と使ったお金💰
岩村田宿を超えると公共交通機関が無くなる
中仙道歩きをすると、今まで並走していた道路や鉄道が佐久平を最後に無くなります。次に主要幹線道路や鉄道の駅があるのは約60㎞先の下諏訪宿になります。かなり遠いです。
途中に峠がありますが、一日に30㎞歩くとして2日はかかりますし、途中で電車も高速バスも無いため、宿泊することになります。この区間の後半には五街道の難所とまで言われた和田峠が控えているので峠に一番近い場所で泊まりたいと計画をしたいのですが、この区間は道路も鉄道も無いという事は人の流れが無いので、宿泊できる宿は限られます。
この区間での宿泊
一つ目は長久保宿を和田宿の間にある民宿みや。もう一軒は長久保宿にある浜田屋旅館です。浜田屋旅館さんはコロナ渦で営業をお休みされた経緯があるそうなので確認が必要と思います。この辺りの徒歩圏内で他に宿はなさそうなので、面倒でも必ず予約をした方が良いです。お宿の方は中仙道歩きの方によく利用されているようなので、対応もとてもスムーズです。
23 塩名田宿
日本橋から23番目の宿場である塩名田宿は、現在の長野県佐久市塩名田にあります。
千曲川の東側にある宿場で比較的規模が小さい宿場ですが、千曲川の増水により川止めになることが多く、連泊を余儀なくされる為、重要な宿場でもありました。



本陣2、脇本陣1、旅籠10


二件あった本陣の内の一軒は食料品のお店になっている様で、もう一軒は焼失したとありました。本陣、脇本陣、問屋などの重要な職は丸山家一族で行われたとあり、江戸時代を感じます。
お滝通り
千曲川の東岸にある塩名田宿は下宿、中宿、河原宿と三か所に分かれて呼ばれており、本陣などの要所は江戸側の下宿にあったようです。千曲川の氾濫を考えての事かな?
下宿と中宿は千曲川の川岸より小高い場所にあります。現在は高い場所をつなぐように国道が付けられているのですが、旧中山道は千曲川を渡って向い岸に抜ける為、河原に向かって降りていきます。少し下った場所に河原宿と呼ばれる集落があり、その集落を抜ける旧中山道をお滝通りと呼ばれている様です。

正面の角屋さんは茶屋だったそうです。木造の三階建ての住宅が並ぶこのエリアも風情があります。明治時代には花街で賑わったそうです。

お滝通りの名前の由来となったお滝があり、当時は豊富な清水が湧き出ていたそうで、旅人にとってもとても貴重な清水でした。この水を利用して佐久鯉の養殖もおこなわれていたそうです。

明治時代には花街や鯉の養殖等で賑わった場所であることは、立派で風情がある住宅が残されている事を納得させられます。
河原宿を先に進むと千曲川にでます。江戸時代の旅人はここからは、架けられていれば橋を渡り、橋が無ければ船の渡しで千曲川を渡り、先に向かいました。

千曲川に橋が架けられたこともありましたが、洪水の度に流されたとあります。明治時代には、船をつないでその上に舟橋をかけたとあり、船をつなぐ際に使った船繋ぎ石が残っているそうです。

24 八幡宿(やわたじゅく)
24番目の八幡宿は前宿である塩名田宿から千曲川を挟んで京都側に約1里の場所にある川止めになった時の待機宿でもありました。また、千曲川沿いの米の集積地でもあった為、江戸時代初期に整備されている宿です。現在は長野県佐久市八幡になります。
大日如来
千曲川を京都側に渡りしばらく歩くと、街道より少し入った場所に大きな大日如来の石仏が祀られています。

仏像と浅間山の構図を観ると何かしら関係があるように思いますが、詳細は解りませんでした。江戸時代初期の様です。
八幡神社
八幡宿に入ると北側に宿場名の由来となった八幡神社が祀られています。


かなり立派な隋神門であり、建立は1843年(天保14)年の江戸末期で、小諸藩主によって建てられている。この辺りは千曲川下流である小諸幡になるのですね。
本陣1、脇本陣4、旅籠3
八幡宿内は宿場の面影が殆ど残っていませんが、本陣門は残っていました。


八幡宿を出ると京都側に碑があり、県道から分岐しています。先の笠取峠までは11.9㎞と、まだまだ先です。


その少し先に道祖伸が祀られています。街道歩きをしていると古くから祀られて大切にされている石仏を観ることが多くあります。
この、道祖伸は夫婦道祖伸なのであり、安曇地域の道祖伸は日本神話の神様の衣装を着ている事が多いのですが、宮廷貴族の衣装を着ている珍しい道祖伸とありました。
25 望月宿
望月宿手前の方まで来ると、国道142号線が旧中山道に沿うようになってきます。
瓜生坂
望月宿と書いた真新しい常夜灯を過ぎる辺りより、瓜生坂に入ります。瓜生坂を登るとすぐに一里塚があります(👈一里塚の項)。瓜生坂は標高700-800m程ある尾根の低いであろう場所を抜けていますので坂道でありますが標高差で100mもありませんので普通に歩いて抜けられます。


道路は車道に整備されていますが、京都側は旧中山道が山道として残っており歩いて抜けられます。
本陣1、脇本陣1、旅籠9
望月宿も比較的小さい宿場でありますが、古い町並みが残っています。



宿場内に資料館が作られており、少し入った所に観光トイレもあります。
茂田井間の宿
望月宿と芦田宿の間に茂田井間の宿があります。宿場間の距離は1里8町とそんなに離れてはいないのですが、1742年(寛保2年)の大洪水で望月宿が大きな被害が出たため、望月宿に加宿を申し出たが却下された経緯があるそうです。当時は中仙道の大通行の際に休憩所として機能しました。
酒造業
この地域は良質な米の産地でもあった事より、1688年(元禄2年)創業の蔦屋、現:大澤酒造、1868年(明治元年)創業の叶屋、現:武重本家酒造が現在でも酒造業をされています。


武重本家酒造さんは映画「たそがれ清兵衛」のセットが作られたそうです。
高札場と石割坂
茂田井間の宿には二か所の高札場跡が残っています。
また、宿場を抜けた先の坂は、中仙道を通すときに大きな岩があった為、岩を割って街道を通したことより石割坂と呼ばれています。石割坂に茂田井の一里塚があります(👈一里塚の項にあります)。


26 芦田宿
江戸から26番目の芦田宿は、長野県北佐久郡立科町にあります。
宿場内に当時の面影は強く残っていませんが、本陣の他に茶屋6軒、商科2軒、医師3軒、髪結2軒、按摩1軒と細かく説明版に書かれていました。

本陣1、脇本陣2、旅籠6




笠取峠
街道を歩く人々にとって難所であった峠。笠取峠は標高900mであり、峠の頂上からの浅間山が絶景で笠をとって仰ぎ見たや、夏の暑い時期は疲れと暑さで思わず笠をとった等、所説あるようです。現在の笠取峠の頂上は、国道を通すときに山を削ったので、当時の頂上ではないとあり、見晴らしは良く無いです。
峠を挟む宿場の間の道は、現在では国道142号線が通り抜ける峠道になっています。旧中山道は芦田宿(江戸)側は笠取峠の松並木に沿って歩き、長久保宿(京都)側は国道142号線を縫うように歩きます。

国道に沿うように歩きますが、国道ではない旧中山道を歩くこともあるのか、この区間はお店も自販機も無かったと思います。当時の茶屋跡が二件残っており、松並木にある茶屋跡は東屋のみですが、峠を越えてた先には現在もお店があり、旧街道を歩いていて食事が出来そうなお店はここだけだったように思います(;^_^A。



笠取峠の松並木
芦田宿から笠取峠にかけて約2㎞、幕府により約753本の赤松の苗を植えられました。国道が整備されましたが、脇にずれたためほとんどが当時の趣で残っており、現在でも約150本の樹があるそうです。


中仙道笠取峠だけでなく、幕府は各街道を改修した際に松や杉を植えて並木を作っています。夏は旅人に木陰を作り、冬は雪でも歩きやすくしたとあり旅人への配慮を感じます。実際、日差しが強かったこの日では、日陰の有難さを身に沁みました。
27長久保宿
27番目の宿場である長久保宿は長野県小県郡長和町にあります。この日のここまでの宿場もそうですが、この辺りは明治に入り日本が近代化する際に主要道路や鉄道が通らなかった地域であり、現在でも地方国道である142号線しか通っていません。
その為もあるのか、長久保宿では当時の貴重な品々が残されており、無料で一般公開されています。これまでの中仙道歩きの中では一番の見どころだとと思いました。
本陣1、脇本陣1、旅籠43
宿場の規模は比較的大きく、その理由は難所である和田峠と笠取峠の間にあることがあります。宿場の形にしては珍しく途中で直角に曲がっているのは依田川の氾濫にて宿場の一部が被害を受け、再建する際に川岸より離れた場所に作った為とあります。

中山道中で現存する最古の本陣遺構とも言われているそうで、構築は17世紀後半と推定されているそうです。また岩合家4代目当主に真田幸村の娘が嫁がれているとの事👀。



長久保宿の資料館(無料)のblogはこちら👇
一里塚
(岩村田宿)
43里 平塚の一里塚(発見できず)
ここはWikipediaには記載されていないのですが、GoogleMapには平塚の一里塚跡で乗っていました。実際にその場所に行くと、宅地造成されているので、区画整理されてしまったのかもしれません。
GoogleMapの場所の向かいに荘山稲荷神社があり、その場所が少し小高く盛り上がっているのが気になりました。芭蕉の句碑もあります。しかし、このすぐ近くに中部横断自動車道が作られているので、その影響でなくなってしまったこのもあるかもしれないです。

(塩名田宿)
44里 御馬寄の一里塚

(八幡宿)
45里 瓜生坂の一里塚

北側は道路で半分削られています。
(望月宿)
(茂田井間の宿)
46里 茂田井の一里塚

両方の塚に榎の根があったと天保の記録にあるそうです。
(芦田宿)
47里 笠取峠の一里塚

かなり大きい松の木であり、大木が当時の面影を残しています。現存しているものとはっきりと書かれていませんが、48番目の一里塚の看板に笠取峠に当時の一里塚が一基現存していると書かれていました。赤松が植えられており、現存している大変貴重な一里塚です。
48里 四泊の一里塚

ここには地元の人々に親しまれた榎の大木がありましたが、国道の改修工事により1960年(昭和35年)に伐採されたとありました。
(和田宿)
街道沿いのあれこれ
公衆電話
岩村田宿の先の街道沿いの立派なお屋敷の門の脇にあった公衆電話。

作られた当時には大変貴重な物だったのだろうと思う。衆の字が少し違うのは気のせいかな。
犬神家の一族で使われた旅館

食事🍴🍺と宿泊🛏️
朝食は、宿泊していたビジネスホテルの無料朝食を頂き、昼食は簡単にパンで住ま線ました。夕食は民宿でビールと共に頂きました。
食事🍴


お宿とお布団


布団の寝心地が良かったです。民宿の為、音などホテルと違う配慮は必要でした<(_ _)>
中仙道歩きのデータはこちら👇
- 出発7:45 到着16:11
- 所要時間 8時間28分 距離27.6㎞
- 平均歩行時速 約3.4㎞
宿泊と使ったお金💰
宿泊 民宿みや(長野県小県郡長和町大門653)
- 宿泊料金(1泊2食) 11500円+🍺2本1540円=13040円
- コンビニ(飲料、軽食等) 948円
- 自販機 110円
- 合計 14098円
中仙道⑧ 追分宿、小田井宿、岩村田宿(長野県軽井沢町~佐久市)
そんなこんなで前置きblogを書いていい訳ばかりしている変なおばさんなのですが、中仙道歩きを一年3かけ月ぶりに再開しました。
言い訳ブログはこちら👇
前回、軽井沢の少し先にあるしなの鉄道で二駅先の信濃追分宿で終了していたので、今回も信濃追分宿からスタートしました。

今回は二泊三日の計画にした為、一日目は中軽井沢にある追分宿から佐久市にある小田井宿にしていたのですが、現地まで歩いてみると宿泊先と次の宿場の位置関係が、岩村田宿まで歩いたほうが効率が良さそうでしたので、急遽、岩村田宿まで歩きました。
距離は約17㎞であり、所要時間は約5時間、時速約3.4㎞であり、江戸時代の一里が約3..927㎞に対して少し遅い速度でした。
20 追分宿
追分宿は江戸から20番目の宿場で、現在では長野県軽井沢より長野方向に国道18号に並走されて進んだ先にあります。江戸側の19番目の沓掛宿からは1里3町、京都側の21番目の小田井宿までは1里7町です。
軽井沢周辺でもあるこの辺りからは浅間山がとても美しく見えますが、浅間山は活火山で噴火を繰り返している山です。江戸時代にも噴火しており、大きい噴火の1つに1783年8月5日(天明3年7月8日)天明の大噴火があります。浅間山の噴火により軽井沢宿、沓掛宿、追分宿は被害を受けたとあります。

宿場は国道18号より北側に入ると宿場の入り口に比較的新しい常夜灯があります。
本陣1、脇本陣2、旅籠35
本陣は残念ながら残っていませんが、本陣の裏門が宿場内にある堀辰雄文学記念館に移設されていいます。

旧脇本陣である油屋さんは当時の建物を利用して文化事業をNPO法人として行われている様です。
その他に当時の茶屋である、つるがやが残っています。宿の入り口に桝形の道と土手を作りその中に建てられた茶屋が残っています。桝形にしたのは三代将軍家光が、大名に参勤交代を指示した為、宿場内の警備の為とあります。現在では桝形であったことが解るものが残ってないです。


宿場内の街並みと高札場
現在の宿場内は綺麗に整備されており、浅間山が近いためか、たっぷりの綺麗な水が用水路を清々しく流れています。
宿場内の高札場は寛永10年(1633年)の当時の資料により昭和58年に復元されたものとあります。高札も木で復元されたものが掲げられいますが、本物は郷土資料館に展示されているとありました。


信濃追分
追分(おいわけ)とは
元は牛馬を追い、分ける場所をいみしたとありますが、追分(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所を指す言葉である。街道の分岐点を意味している。Wikipediaより。
中仙道の追分は
本郷追分、:中仙道と日光御成街道の分岐。現在の東大農学部正門前(東京都文京区)
平尾追分:中仙道と川越街道の分岐。現在の板橋郵便局前交差点
追分宿:中仙道と北北国街道(ほっこくかいどう)の分岐信濃追分に作られた宿場
と、Wikipediaにあります。
分去れ(わかれされ)の道しるべ
右:従是(これより)北国街道(ほっこく街道)
左:従是(これより)中仙道
とありますが、石碑の文字は読めないかな…。

ここより街道が二手に分かれ(追分)、中仙道より分かれるのが北国(ほっこく)街道です。
北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道であり、北国脇往還や善行寺街道とも呼ばれています。信濃追分より善光寺を経て北陸道に合流しているそうです。
信濃追分の先、取り残された中仙道
中仙道は、江戸東京日本橋より始まり、ここまでは主に国道18号線に沿うように(沿われるように?)通っていますが、国道18号は信濃追分より北国街道に沿って行きます。中仙道は御代田町から佐久市に向かっていますがこの間に沿う国道は無くなり、旧中山道は県道でもない道となり、道路は車が通れるように整備されていますが、当時の風情を思い浮かべることが出来るような旅になります。
当時の主要な道路であった中仙道ですが、江戸時代から明治時代になり、交通手段が歩くことから車や鉄道へと変わりました。それに応じて線路や道路も整備されていますが、多くの鉄道や道路は人々が多く住む当時の街道沿いの宿場を縫うように作られています。しかし、ここから先は下諏訪宿まで幹線道路も鉄道も沿わなくなっています。時代の変化と共に人々の流れが大きく変わった地域です。
しかし、人の流れが無くなった為に当時の物が良く残っている地域になっている様にも思えます。
鉄道もしなの鉄道と離れてしまい、佐久市の新幹線が停まる佐久平駅の近くを通りますが、その先は下諏訪宿の中央本線まで鉄道はありません。
中仙道旅をしゃくとり虫🐛方式で歩くには結構大きい難関である区間になります。
21 小田井宿
小田井宿は北佐久郡御代田町にある、江戸から21番目の宿場にです。江戸側の20番目の追分宿からは1里10町、京都側の22番目の岩村田宿までは1里7町です。
参勤交代で大名が追分宿で宿をとる為、小田井宿は姫君や側室が泊まる事が多くあり、姫の宿と呼ばれたそうです。皇女和宮降家の際にはお昼食休みをされたそうです。
宿場の繁栄期には199戸、人口524人であったようですが、宿場としては規模が小さく、伝馬が主な役割だったとあります。
小田井宿の歴史は古く、慶長年間(1595-1615)には宿駅として機能していたとあり、江戸時代前から初期にかけての時代で、中仙道が整備される以前からあった事になります。徳川が中仙道を整備する前には、東山道が通っていました。
本陣1、脇本陣1、旅籠5
宿場内に立派な本陣(安川家住宅)が残されています、脇本陣跡、問屋跡(屋台家住宅)が残っています。街並みも江戸時代の宿場を思えるような風情があります。






22 岩村田宿
昭和レトロな街並み
岩村田宿は長野県佐久市岩村田にある、江戸から22番目にある宿場です。江戸川の21番小田井宿からの距離は1里7町、京都側の23番目塩名田宿までは1里11町とあります。
本陣は大破したか焼失したか不明とあります。現在の中仙道沿いの街並みは昭和な感じの商店街が立ち並ぶアーケード街の様になっており、当時を思わせるような建物や史跡はほとんど見当たらないです。

昭和の風情がある街並みを抜けた先で中仙道は直角に曲がっています。江戸時代の街道は防衛の為にわざと直角にまげて作られた経緯があります。甲州街道での八王子にはそういう場所があるのですが、八王子には八王子城があったよなぁと思いつつ、この辺りにわざわざ街道を直角にまげて防衛する必要があったのかなぁとも思います。
高度経済成長期に町が変貌する中で一斉に区画整備をされ、道路整備の影響かもしれません…。良く解らないです(;^_^A。


龍雲寺
岩村田宿より江戸側に龍運寺と言うお寺があります。中仙道を歩いていると多くの立派な建物を観ることが出来、だんだん目が肥えて来るのですが、街道から少し入った場所にある龍雲寺の門がとても立派なので目に留まりました。

かなり、立派な門です。
岩村田宿の本陣が無いため、本陣門がここに移されたのではないかとか、龍雲寺が本陣の役割をしたのかとネットではありますが、場所が宿場であったであろう場所から少し離れていいるので定かではないです。
このお寺は武田信玄にゆかりがあるそうです。
住吉大社
岩村田宿より江戸側にある龍雲寺よりもう少し江戸側に戻った先の街道沿いに住吉大社があります。ここのご神木と常夜灯が凄かったです。


一里塚
39里 追分の一里塚
追分の一里塚は江戸から京都方向に向かって追分宿手前、国道18号を挟むように塚が残っています。


長野県北佐久郡軽井沢町追分
一里塚は一里毎に街道の両脇に作られていますが、両塚の間の距離が狭いところと広いところがあります。街道のでのひとの賑わいによって違うと思っていますが、江戸時代に作られた一里塚が、現在の片側一車線の国道の幅に収まっている事に感動し、もし、間隔が狭かったならば一里塚は無くなっていたのだろうなと思いました。残っていいるって素晴らしいですね。
(20 追分宿)
40里 荒町一里塚は残念ながら発見できず<(_ _)>。
41里 御代田の一里塚
追分を過ぎて旧中山道を歩いていると街道沿いに標識が建てられています。旧街道が今の場所に変更されたため、街道より北側に少し入った場所にあり、当時に植えられた木も現存している大変貴重な一里塚です👀。かなり凄い👀。1635年以前には作られていたとあるので387年以上前のものという事になります。

北佐久郡御代田町御代田


(21 小田井宿)
42里 鵜縄沢の一里塚
ここはWikipediaには詳細が書かれていない一里塚ですが、看板はありました。

鵜縄坂の一里塚の説明版 住所不明
小田井宿を過ぎた先で、中仙道は県道9に合流します。その先にある山👀のような場所の麓に説明版がありました。GoogleMapにも載っていますが、場所がその小高い山になっているようです。登り口は解りませんでした。


(22 岩村田宿)
ちょっと寄り道
何故かシャーロックホームズの銅像
信濃追分から少し中仙道から外れた先に庚申塚がある公園があり、その公園にシャーロックホームズの銅像がありました。


中仙道記念館
信濃追分の先の旧中山道沿いにあり、個人が運営されているような感じです。開館日が限られている様で平日は閉館していました。可愛い中仙道歩きができるように作られている場所もありました。

中仙道歩きのデータはこちら👇
日程と昼食と宿泊、使ったお金💰
二泊三日で計画した今回の中仙道旅の一日目は佐久平で宿泊することにしました。そうすると、一日目の距離は約17㎞となり、都内の自宅からはゆっくりと出発し、高速バスに乗り軽井沢にお昼過ぎに到着しました。

それから佐久市の岩村田宿まで歩き、佐久平駅にあるイオンで買い物をしてビジネスホテルに宿泊しました。


- 地下鉄 168円
- 高速バス 2200円
- しなの鉄道 240円
- イオンで夕飯と飲料他 1057円
- 宿泊費 7700円
- 合計 11365円
これまでの中仙道歩きのblogはこちら👇
甲州街道はこちら👇
中仙道歩き再開とブログの無い中仙道⑥安中宿~横川駅 ⑦横川駅から碓氷峠、軽井沢~信濃追分
楽しみの一つである中仙道歩き。
江戸東京日本橋を出発したのが2020年12月の事で、その後頑張って軽井沢手前の碓氷峠を超え、信濃追分まで進んでいましたが、それから1年3か月も放置してしまいました<(_ _)>。
しかも、以下の中仙道⑥と⑦はblogにアップしていないという有様です<(_ _)><(_ _)>。
取り急ぎ、⑥と⑦に関してのデータはYAMAPにUPしています👇
中仙道⑥安中宿から横川駅
中仙道⑦横川駅から追分宿
中仙道を歩き始めて、都内から都心を抜け楽しく歩き進んでいた私の初めての難関は碓氷峠越えでした。碓氷峠は江戸時代にも難所と言われている峠なのですが、現在でも難所であります。
現在の碓氷峠は、国道18号が通っていますし、碓井バイパスもあるので車では簡単に超えられる峠になっています。しかし、この間に鉄道は新幹線しかないのです(T_T)。
都内の自宅から通称しゃくとり虫🐛方式で歩いているので、どうした物かなぁと色々考えて何とか計画を立てて碓氷峠を超える事が出来ましたヽ(^。^)ノ。そして、その先の(信濃)追分宿まで進みその日は終了しました。
峠越えをなめてはいけない…。
その後、その先の中仙道を確認しながら峠を観ていると、和田峠があることに気付きました。中仙道だけでなく五街道最大の難所と言われた峠です。
碓氷峠で少し学んだ私は、峠越えにかかる時間を考えて逆算するように計画をしようと思いました。そしてある事実に気が付きます。
中仙道は軽井沢を抜けると佐久市に向かい立科町、長和町に続くのですが、佐久市の佐久平駅を最後に、この間に鉄道は走ってなく、次に駅に近くなるのが中央本線の下諏訪駅になるのです。
道路はどうかと思うと、軽井沢先の追分宿までは国道18号が並走しているのですが、追分宿の先は分かれた街道である北國街道(善行寺街道)に国道20号は並走し、長野市方面に北上していきます。一生に一度は善行寺参りとも言われていますので、江戸時代にも多くの旅人が歩いた道ですが。
取り残された中仙道は県道にもなっていなく、並走する道路も無い昔ながらの風情を楽しめる街道となります。江戸時代には主要道路である中仙道を多くの旅人が歩き、宿場は栄えたのですが、今では交通が無く取り残されてしまったかのような場所になっています。
しかし、取り残されてしまった為、運よく色々な物が残されている場所でもあるので、江戸時代に興味関心があればとても魅力的でもあります。


長野県まで来ると日帰りのしゃくとり虫🐛をするには時間も交通費もかかるようになるので、宿泊したほうがよさそうだなとなってきます。しかし、この先で都内に戻る交通機関と思うと、やっぱり下諏訪まで抜けるしか方法はなさそうです。
佐久平から下諏訪まで約60㎞。
しかも、主要交通が通っていないとなると、人の流れが無いので宿泊するにも宿を探すのに難航します。
そういう事に気付いてしまい、計画を立てるのが後回しになってしまいました。計画を立てるのも楽しみの一つなのですけれどね(;^_^A。
現実逃避するかの様に甲州街道を歩いてみたり(;^_^A👇
でも、やっと中仙道を再開したいとウズウズするようになり(*^-^*)、
やっと先に進むようになりましたヽ(^。^)ノ。
中仙道⑧のblogとYAMAPのデータはこちら👇
まだ、先の記事が書けていないので、とりあえずYAMAPのデータです👇(;^_^A
秩父三十四観音霊場 20番から24番
総距離約100㎞ある秩父三十四観音霊場で、車やバイクで回る人、バスなどの公共交通機関で回る人もおり、皆さん様々な形で霊場巡りをされています。
そんな中、出来る限り昔の様に歩いて巡礼しています。
三十四か所を通して回れれば良いのですが、まだ仕事をしているのでまとまった休みを取るのは難しいのと、都内に住んでいるので秩父は日帰りで行けることもあり、通称しゃくとり虫🐛方式で歩いています。
江戸から秩父までの街道を歩くのも良いのですが、現在、五街道歩きにも挑戦しているので、そちらが落ち着いたら歩いてみようかなとも思っています(;^_^A。
これまでの記録はこちら👇
秩父三十四観音霊場と狛🐺犬探し城峰神社、道の駅万葉の里 - ケチ子おばさんの空色ハット
秩父三十四観音霊場 二番から九番 - ケチ子おばさんの空色ハット
秩父三十四観音霊場 十番から十九番 - ケチ子おばさんの空色ハット
秩父三十四観音霊場
👇前回のblogと同じ内容です(;^_^A
秩父三十四観音霊場は1234年(2021年より787年前)室町時代に作られたとも言われています。
江戸時代に入ると、観音霊場巡りは伊勢参りと並ぶ庶民に人気の旅になったと言われます。街道が整備されたこともあり、善行寺参りや成田山新勝寺などへの参拝も盛んに行われて旅行ブームだったともあります。しかし、ひと月以上もかかる旅は費用もかかり裕福でないと難しかったようです。
秩父三十四観音霊場は江戸からほど近い距離にあったこともあり、多くの江戸庶民の観音信仰巡礼の聖地として賑わいました。
秩父方面にドライブすると、宿場町であった場所を観ることが多くあり、宿場があったという事は、街道があり、その道を通る人が多くいた。多くの人々が訪れた秩父の霊場巡り。江戸時代は今の様に電車や車もありません。人々は歩いて秩父に向かい、約100㎞ある三十四観音霊場を参拝した。多くの人々が信仰してきた観音様。私も観音様にお参りしよう。歩いてお参りしよう。今回霊場巡りをしようと思ったきっかけでした。
何故、秩父だったのだろうかと思う事もあります。川越でも良かったのではないかとか…。江戸の五街道では甲州街道と中仙道の間にあり、交通の便があり、少し足を延ばして行くという距離でも無かったであろうし…。そもそも、秩父地域は盆地であり四方を山で囲まれていて、何処から行くにも峠を越えなければいけないという、難所と言えば難所だと思います。しかし、人々を引き付ける魅力が秩父にはあったのだろうと思います。
秩父地域はジオパークだったことを思い出しました。秩父は複雑な断層が重なっていたり、それが観える場所に露出していたり、武甲山は石灰岩でできているし。関東平野の奥にある盆地なのですが、地形がとても複雑だったりします。それが結構楽しいです。
※実際に行った日は春の良く晴れた温かい4月7日でしたので、綺麗な写真が沢山取れたのですが、御朱印帳を忘れるというとんでもない事をしでかしてしまいました(;^_^A。
ようやく御朱印を頂いてきましたのでようやく投稿することが出来ました。
秩父三十四観音霊場巡り二十番から二十四番
二十番 法王山 岩之上堂

この岩之上堂に行くと、場所が荒川の河岸段丘の崖の上にあることが解ります。結構な絶壁の上に建てられているので岩之上なのかなと思いました。しかし、本堂の向こう側を観ると、このお寺も9番の龍谷寺と同じような感じの岩の上に建てられているのが良く解ります。


二十一番 要光山 観音寺


二十二番 華台山 童子堂

通行量が多い道路より少し入った場所にあります。
お寺の正面の仁王門の仁王様がとても印象的です。また、とげぬき地蔵、身代わり地蔵も祀られています。広々とした境内はとても気持ちが良く、こちらで休憩してお昼を頂きました。





二十三番 松風山 音楽寺

音楽寺は秩父ミューズパークがある山の上にあるので、結構な高さを登ります。登った先に納経所があり、そこで御朱印を頂くのですが、本堂はさらに上にあります。
秩父盆地の眺めはとても良く、時間が合えば秩父SLの警笛が聞こえてきます。
音楽寺と名前を聞くと何か音楽に聞こえる物がある?と、思えば、ここは風の音、風に心地よく吹かれる木々の音、鳥の声が聞こえてきます。この山の松風の音を聴いた時に菩薩の音楽が奏でられている様だったから音楽寺となったそうです。


十三体地蔵
音楽寺本堂からさらに山道を歩いて山を登った先にあります。この場所からも秩父違いを一望でき、向こうに武甲山が聳え立っています。

二十四番 光智山 法泉寺

法泉寺も山に建てらえており、かなりきつい階段をたっぷり登った上にあります。立派な本堂があり、本堂に向かって右側にあるご神木に圧倒させられます。


交通手段と巡礼道
前回同様に車で道の駅秩父に行き、拠点にしました。
公共交通機関を使われるならば初めと終わりの霊場で最寄りのバス停もありますし、秩父鉄道に乗ることも出来ます。
江戸巡礼古道長尾根道
二十一番観音寺から二十三番音楽寺と二十四番法泉寺の間が江戸巡礼古道長尾根道であり、江戸時代の古道があります。ここは普通の山道ですので、舗装もされていませんので、当時の江戸時代の雰囲気が良く解る道でもあります。

私は登山もするので、山道を歩くのは比較的慣れていますし、道迷いをしないようにGPSと地図も持参しているので古道を歩きましたが、一般的には道路に降りて歩かれる様です。

立ち寄ったお店


今回の記録
歩行距離 15.5㎞
時間 4時間59分
詳しいデータと写真はこちら👇
昼食と何故か馬🐎


使ったお金💰
- ガソリン代 約900円
- コロッケ 90円
- 合計 990円
- 御朱印代 1500円
浅間山
日本百名山でもある浅間山は活火山で登山した時も少し煙を上げていました。
浅間山
遠くから見て、あれ、富士山の様に綺麗な山が見える👀。と思った山が浅間山でした。成層火山特有のきれいな裾野を広げているのですが、よく見るとなんか違う。西側に広げている裾野の山頂が無い(;^_^A。

山頂が無くなった山の名前は黒斑山。大噴火により山体崩壊し外輪山の形となり、北側が無い馬蹄形になっています。その馬蹄形外輪山の最高峰が現在の黒斑山(くろふやま)標高2404m。トーミの頭や仙人岳、蛇骨岳も馬蹄形の外輪山にあります。
浅間山山頂は2568mとありますが、活火山でもある山頂の火口付近は立ち入り禁止になっており、噴火警戒レベル1で行けるのは火口を取り囲む外輪山の前掛山(標高2524m)で浅間山の標高より44m低い外輪山の最高地点です。前掛山の周囲に穏やかなカルデラが広がり、その外側が黒斑山やトーミの頭がある馬蹄形の外輪山です。火口を中心として外輪山が二か所あり、浅間山独特の山容となっています。
火口に近い前掛山の斜面はザレ場と呼ばれレキと思われる石で覆われており、麓のカルデラには噴石と思われる直径50㎝~1mの岩がゴロゴロしています。黒斑山がある外側の外輪山は溶岩が固まっている場所があり、鋭く切れ落ちている崖があるのも溶岩の影響かなと思います。浅間山は一つの山の様に見えますが、年代の違う(実際は3つとウキペディアにあります) 火山の噴火によって出来た山だという事が山の表面にも現れている事が解ります。溶岩で出来ている外側の外輪山は荒々しい山容です。
登山
浅間山の登山口は主に二か所あります。
標高が高く約2000mの高峰高原ビジターセンターがある車坂峠から外輪山を登り、トーミの頭を超えてカルデラである湯の平にいったん降りて火口近くまで行ける前掛山に登るコース。
もう一つはもう少し標高が低い1400m付近にある浅間山荘から登り、外側の馬蹄形の外輪山は登らずに切れている間を抜けて湯の平に入り前掛山に登るコースです。
私は、高峯高原ビジターセンターがある車坂峠から登りました。
車坂峠からトーミの頭まで
車坂峠からは外輪山にあるトーミの頭を目指すコースは2コースあります。
トーミは遠見(とおみ)?等と思ってしまいましたが良く解りません(;^_^A。この場所から見る浅間山は絶景ですヽ(^。^)ノ。

南側の表コースと北側の中コースです。南側の表コースは木で整備されている場所が多くありますが、途中で車坂山(2055m)と槍ヶ鞘(標高2260m)の山頂を通るので登り下りがあります。北側の中コースは谷を登る(下る)コースの為アップダウンはありませんが、登山道がえぐれている部分が所々あります。ずるずる滑らなければ危険な場所は無いように思いました。
トーミの頭から賽の河原
トーミの頭を過ぎて少し下ると湯の平への分岐があります。

分岐から湯の平に降りるには結構な急斜面をおります。小石が多いので少し滑りますので注意しておりました。徐々に樹木帯に入ると共に傾斜も緩やかになり、気持ちの良いハイキングコースになります。途中、浅間山荘からのコースと合流し賽の河原を目指します。賽の河原は噴火警戒レベル2の時に行くことが出来る場所になります。
もう一つはトーミの頭から古期外輪山(外側の外輪山)を黒斑山、蛇骨岳、仙人岳、Jバンドと歩き、岩の斜面を降りてカルデラ内を歩き賽の河原に行く登山道もあります。
賽の河原から前掛山
賽の河原を過ぎると徐々に樹木帯を抜け、浅間山の山頂下の斜面が見えてきます。レキのような石がゴロゴロしている斜面(ザレ場)になり、ひたすら登ります。ただ、ひたすら滑らないように登ります(;^_^A。山の斜面が良く見える事に火山であることを実感します。山の北側に回り込むように登山道があり、登った先で火口に向かわないように立ち入り禁止の看板があります。看板からは火口に向かって右側に回り、火口周囲の外輪山でもある前掛山に向かいます。

前掛山山頂
活火山である浅間山は1972年より火口付近への立ち入りが禁止されているので、行くことが出来る山頂に一番近い場所が前掛山山頂になります。前掛山は浅間山の火口を取り囲む外輪山であるので、内側から見ると溶岩で層になってできているのが良く解ります。

独立峰である為、火口がある山頂では360℃の展望だと思いますが、前掛山は火口の南西になるので、山頂から北東方面は山頂になるので眺めはありません。しかし、とても眺めがよく冬なのでは遠くまで見渡せる景色を眺めることが出来ます。

前掛山山頂に行く途中の穏やかな場所にシェルターが設置されているのも火山特有の光景です。ここで休憩される方もいて、私もここでお昼を食べました。

外輪山の一番高い場所が前掛山
下山
前掛山から登山道を引きかえし、賽の河原まで戻ります。賽の河原からは湯の平へ戻り、トーミの頭に登り返し車坂峠に戻るか、湯の平から外輪山へ登り返すことなく火山館経由で浅間山荘に下山するコースもあり、グレートトラバース日本300名山一筆書きの田中陽希さんが下山時にこのコースを使われた記録があります。
賽の河原からのもう一つのコースがJバンドに登り返し、古期外輪山(外側の外輪山)を仙人岳、蛇骨岳、黒斑山と歩きトーミの頭に戻る方法もあります。

車坂峠からのコースであれば、トーミの頭を挟んで賽の河原までは各2コースあるので、周回コースの様に歩けるのも楽しみが増えます。私は周回コースで歩きました!(^^)!。
活火山である浅間山
浅間山は活火山であり、噴火を繰り返している山でもあります。成層火山なのに何だかいびつな山容を呈しているのに気づけば、過去存在した黒斑山が山体崩壊する程の大噴火を起こしたことにも大きなエネルギーを感じます。直近での噴火は2019年(令和元年)8月に2回噴火しており噴火警戒レベル3になり入山規制が行われました。
そして、大きな災害として歴史に残る噴火の1つが天明の大噴火。1783年(天明3年)に起こった噴火であり、2022年のわずか239年前であり、天明の大飢饉の原因の一つでもあります。
この噴火の影響は、主に浅間山の北側に起こっています。流れ出た溶岩は北側へと流れ火口付近の外輪山も、古期外輪山もカルデラも溶岩で流されています。流れ出た溶岩である鬼押し出し溶岩、火砕流や土石流で一瞬にして埋まってしまった村。日本のポンペイと呼ばれる鎌原村があります。

浅間山には側火山があり、浅間山の裾野にある小浅間山は勿論ですが、軽井沢にある離山も側火山であることを知りました。離山は軽井沢の中心地を歩いていると良く見える山で、浅間山より約10㎞も離れていますが(だから離れ山なのか…)溶岩ドームで出来た山という事です。
車坂峠登山口までの交通機関と駐車場
車坂峠までに交通は新宿のバスタからのバスがあるようです。本数が限られているのと季節運航でもある為、時刻表は要確認です(;^_^A。
車で行くには小諸市から浅間山に続くチェリーパークラインをひたすら登ります。登山口付近広めの無料駐車場があります。また、高峰高原ビジターセンターがあり、綺麗な建物でトイレも使わせて頂けました。自動販売機もあります(高原価格です(;^_^A)。


昼食は山頂付近で
昼食は山頂付近のシェルター近くで頂きました。お天気は良い日でしたが、標高2500mある為風が強く吹くので寒く風対策は必須でした。

お手製の豚汁とお稲荷さん、トマトサラダでお昼ご飯。スープジャーで温かく持参した豚汁最高に美味しかったヽ(^。^)ノ。お稲荷さん5個は多すぎで(;^_^A、3個食べて残りは帰りの車で食べました(*^-^*)。
詳しい山歩きのデータはこちら👇
- 距離 13.6㎞
- 時間 7時間50分
- 累積登り 1307m
使ったお金💰
- ガソリン代 約2600円
- 高速代 3250円
- ジュース 110円
- 合計 5960円
初めての活火山登山で緊張しましたが、楽しく有意義な山での時間を過ごすことが出来ました<(_ _)>。
そこに山があるからだ
なぜ山に登るのですか?
そこに山があるからだ
この言葉はイギリスの登山家ジョージ・マロリー氏の言葉がもとになっているという。
哲学的でロマンチックな都合の良い言い訳で、相手を煙に巻くセリフとしても使われている。

私も山が好きで登山をするのですが、先日、職場の同僚が「何故山に行くのですか?そこに山があるからだ」と、会話の最中に一人で自問自答され面食らってしまう事があった。私はそこに山があるからだとは言っていない(-_-)。
何故、山に行くのだろう
考えてみるけれど、答えが出てこない。私は何故山に登るのだろう。
山登りはとても体力が必要で、未だに毎回はぁはぁ言いながら山に登り、下山後は筋肉痛になるのがお約束。現代社会ではありえない体力を使って、便利さが皆無で不便な山に行く。当然コンビニも自販機もない。途中で疲れてもバスもタクシーもない。
便利な社会から離れてあえて不便な山に行く。必要なのは体力と最低限の衣食住に必要な物。
他のスポーツでは聞かれるのか?
何故、野球をするのですか?そう聞かれないわけではないと思うけれど、野球をして楽しいと思う時は?大変だった事は?等の問いかけが多いのではないだろうか。
そう思うと、他のスポーツではスポーツをすること自体が受け入れられており、スポーツをするに際し楽しい事や大変な事を聞かれている。半面、登山に関しては登山すること自体に何故と聞かれている。答えが見つからない事もなんとなく解ってくる。
登山をして楽しい事は?と聞かれると案外すんなりと答えが出るのではないか。景色が美しいから。山ご飯が美味しいから。実際、登山すると山から見える景色は美しいし、山ご飯は最高においしい。自分の力だけで頑張ったことは何より嬉しい物です。
登山と他のスポーツでは受け入れられ方に違いがあるのかと思うけれど、登山も他のスポーツと同様に受け入れられているのではないかと思う。ここ最近では中高年の健康志向と重なり、みんな元気に山を登っているのは良いことだと思う。
それなのに何故、登山だけが聞かれるのか?
何故、山に登るのですか?そこに山があるからだ。この言葉の影響が大きいのではないか。哲学的でロマンがあり、目的が雲隠れしている。答えとしてはかっこよいと思わざるをえない。
言葉だけが先行しているのであれば、問いかけの答えには名台詞を答えてほしいという問う側の密かな期待もあるのかもしれない。そう、この質問をする人は、きっと、そこに山があるからだと、登山者に答えてもらいのではないか。
しかし、何故山に登るのですか?と聞かれて自分の答えを真面目に考えると答えが見つからない。もしかすると、何故、野球をするのですか?も同じではないかと。なので、聞かれると返答に困ります(;^_^A。面倒だなぁとも思ってしまいます(;^_^A。
実際にジョージ・マロリー氏への質問「何故、あなたはエベレストに行くのですか?」と問われた際に、しつこく食い下がられたのに対してあしらうように答えたと言われているという。
何故、山に登るのかと問われると
そこに山があるからだと答えよう
相手はこの答えを期待しているかもしれないし、期待されていなくても明確な答えは無い。決め台詞で良いのではないか(^_^)v。

荒船山と荒船神社里の宮の狛犬
数年前、長野県にドライブに行った際、
松本市で国道254号線の看板が目に入り、このまま254号線で都内の自宅に帰ろうと、ただひたすら車で走った事がありました。
今思うと、何でそんな事をしたのかなぁとも思いますが、ストレスが溜まっていたのかなぁと…(;^_^A。
荒船山
国道254号線は長野県松本市より佐久市に抜けて群馬県下仁田町に抜けていて、下仁田町に入ると目の前に特徴のある山が見えます。

荒波を割って進む船の様に見えるので荒船山。確かに船に見えます👀。
日本二百名山でもある荒船山は、山頂は南北約2㎞、東西は約400mの安山岩で出来た台地で、北端は荒船山を船に見立てた時に船尾にあたり、高さ約200mの岩壁が垂直に切れ落ちています。
頂上部は緩やかな台地で笹原とありますが、穏やかに樹が生い茂っています。頂上部の南端に経塚山があり、最高地点となっています。

強く印象に残った荒船山にいつか登りたいと思っていました。
荒船山の標高
荒船山は文字通り山頂の台地を示すようで、最高地点は1356mとあり、山上の台地の南北の北3/1程の場所にあるようです。私は気付かずに通り過ぎました(;^_^A。北端の艫岩で1350mで、なだらかな台地であることは良く解ります。


荒船山の台地の上に経塚山があり標高は1422.7m。経塚山の標高を観ると、1422mであったり1423mとなったりしているのは0.7mの表記による誤差の様です(;^_^A。
経塚山と言う名前は、弘法大師が経文を埋めたという伝説があるそうです。弘法大師の伝説って本当にあちこちにあります(*^-^*)。
荒船山の神様の話
山には神様が祀られている事が多く、荒船山も神様が祀られている山です。
神社と神様の話
荒船山の神社は、群馬県側に荒船神社と、長野県側に荒船山神社と二社の神社が祀られています。
群馬県側の荒船神社はGoogleMapに一宮貫前神社境外摂社と書かれています。日本百霊山の中に荒船神社の群馬県側の神社は富岡市の一宮貫前神社と書かれているので、摂社として荒船神社が祀られているのかもしれないです。また、国道254号線の脇に真っ赤荒船神社一の鳥居があるのですがお社はありません。地図で位置関係を観てみると一宮貫前神社から荒船神社一の鳥居を結んだ先に荒船山があります。少しその直線からずれますが荒船神社奥の院もあります。偶然かもしれませんが(;^_^A。

荒船神社の神様は夫婦神と言われており、上野国抜鉾大明神の美しい末娘が父親の敵から逃げて荒船山に着いて住んでいた。そこに諏訪大明神(諏訪神社の神様)が日光にいる母神に会いに行く際に出会い夫婦になったという。
👉諏訪神社の神様については、長野県側に祀られている荒船山神社の祭神が建御名方命とあり、諏訪神社の祭神でもあります。母は高志沼河姫とあり主に糸魚川市近辺に祀られています。日光と結びつかない。
日光に祀られている神社と思うと、日光二荒山神社かなぁと。すると、男体山の神様は大国主命であり👀建御名方命の父神です。女峰山の神様は田心姫命(たごりひめのみこと)とあり夫婦神です。日光にいる母神は大国主命の妻でしたが、大国主命は何人も妻がいました_| ̄|○。神様は一夫多妻制なのか…。

群馬県側の荒船神社の奥の院は荒船山の相沢登山口を入ってすぐの場所に祀られています。荒船神社の里の宮は、荒船の湯の近くに祀られていますが、祀られている場所に行くと荒船山を背にしてお参りします。荒船神社の本社は一宮貫前神社であり、現在荒船神社里の宮となっている神社は一宮貫前神社境外摂社と考えれば納得。
長野県側の荒船山神社の本社は荒船山山上の台地のほぼ中央辺りに石の祠で祀られています。
経塚山山頂と、荒船山北側の沢近くにも石のお社が祀られていますが詳細は解りませんでした。
古事記の神様の話
荒船山の山上に説明が書かれた紙がありました。
天照大神は野菜魚以外を殺生してはいけないと言われていた。信州諏訪神社の神は寒さが厳しく海が無い信州では生きていけないと訴え、猿や鹿を食べても良いかとだずねたが、ならぬの返事。仕方がないので海の方に領地を拡大しようと準備していたところ、香取神宮の神と鹿島神宮の神がその事に気付き、信州諏訪神社の神を迎え打ちにしようと荒船山に陣を構えたという。これらを知った天照大神はににぎを使いにし和解したという。


もともと、天照大神の言い出したことなのにねぇ(*^-^*)。
古事記の神様って何気に人間っぽいところがあると思う( ^^) _旦~~。
荒船山と妙義山の形
荒船山は妙義山とともに第3世紀にできた本宿カルデラの一部である。地学用語でいうところの溶岩台地ではなく、侵食によって固い部分が残ったもので、こうした差別浸食でできた地形のことをメサという。Wikipediaより。
荒船山は同じ群馬県にある妙義山と同じ成り立ちとあり、何故強烈な凸凹の山とまっ平なテーブルマウンテンが同じ成り立ちなのかと疑問になる( 一一)。
本宿カルデラとあり、そのカルデラに妙義山も荒船山もあるらしい。本宿カルデラって何?そうすると日本のカルデラにWikipediaがリンクしたので見てみると、日本はカルデラだらけだと解る(+_+)。
本宿カルデラは群馬県下仁田町にある直径約10㎞のカルデラで、荒船山も妙義山もこのカルデラにあると👀。約950万年前に直径約10㎞の陥没があり、その陥没が本宿カルデラとあります。カルデラが形成された後も火山活動は続き、妙義山も荒船山もその頃の火山活動によってつくられ、その後の風化浸食で現在の形になったとの事です。
柔らかい部分が削られて固い部分が残る。そう考えると固い岩と柔らかい岩の見分け方が知りたくなります(*^-^*)。
荒船山は差別侵食で出来たメサであるとあります。メサを調べると上位に硬い水平な地層で、下位に侵食されやすい柔らかい地層です。荒船山の頂上の台地部分は700万年前(本宿カルデラ形成後)の火山活動で地面に平らに流れた荒船溶岩が残ったと考えられているそうです。下仁田ジオパークHPより。
となると、950万年前の本宿カルデラが作られたころの溶岩は比較的柔らかく750万年前の溶岩の方が固くて、荒船山はメサの形になったことになります。
そう考えると妙義山は?と思います。妙義山にまだ登ったことは無いのですが、麓まで行ったことはあり、その際に妙義山の成り立ちを看板で観た事がありました。確かカルデラを形成しそうな山の上部が割れて縦に崩れ落ちた説明だったような…。詳しい成り立ちは解らないとあります。残念_| ̄|○。
もしかしたら、妙義山も荒船山と同じように上部が固い地層の台地のメサであったのが風化侵食され過ぎで崩れて落ちたのかなぁと。そうすると固い丈夫の地層が縦方向になり、妙義山特有の山体になったと言えるかな(*^-^*)。
ちょっとだけメサの話に寄り道
荒船山を調べていてメサと言う地形を知りました。日本のメサの山は、屋島(香川県高松市)、万年山(はねやま:大分県玖珠郡玖珠町)、琴平山(香川県仲多度郡琴平町)とあり、あれ、中央構造線に近いなぁと思いました。荒船山近くには下仁田ジオパークもあり、この辺りにも中央構造線が通っています。あれ、地形と中央構造線が関係するのかと思いました。
メサがさらに侵食されてビュートと言う地形になるとあり、調べてみるとやはり西日本は中央構造線近くにありました。が、しかし、青森県の八甲田山付近と十和田湖近くにもあるようです。
登山道と登山口と駐車場
私が登った相沢登山口へは車でしかアクセスが難しいようですが、駐車場はありませんでした。相沢登山口からは危険個所なく山上直下には手すりや階段も整備されています。ここから登るのが一番累積の上りがありそうですが、私のデータで1130mでした。冬季の氷瀑があるコースの様です。


信仰の山でもある荒船山ですが、内山峠からのコースには修験道の行場があるようですし、また別の登山口である荒船不動尊には弘法大師が刻んだという1本3体の荒船出世不動尊も祀られているそうです。
絶壁の上で休憩をする
荒船山の絶壁である艫岩上に展望台のような広場があり絶景を観ることが出来ます。しかし、手すりなどは一切ないので結構怖いです。非難小屋もありますが、トイレは使えませんでした。


詳しい山歩きのデータはこちら👇
荒船神社里の宮の狛犬
荒船神社里の宮の狛犬が可愛いとSNSで観た事があります。私は狛犬でも狼信仰である狛狼🐺犬が好きなのですが、神社にお参りする機会が多くなったので何気に狛犬に合う機会も増えました。
じゃ~ん😊


狛犬って、向かって右側が阿形(口を開けている)で左側に吽型が祀られているのですが、何故か反対👀。
向かって右側の何故か吽型から😂
唇が気になる…(;^_^A。獅子をモチーフにしたのか、何を目指したかったのか良く解らない。後ろ足がちょっと残念というか、短くてバランスが悪そうに見えるのは私だけ?結構古そうですけれど。でも、可愛いと思う。愛され狛犬かな。


向かって左側の狛犬さんは🤣
口元が凄い。肉食の動物ではなく草食系の歯並びだわヽ(^。^)ノ。唇も気になる。鼻の穴も大きすぎる(笑)。でも、可愛い(*^-^*)。そして、こちらの狛犬も後ろ足を折りたたんでいるように見える。


尻尾のはしょられ感が(;^_^A…。お尻に尻尾が描かれているように見える👀。2体とも背中に哀愁あり(*^-^*)。ちょっと切ない(*^-^*)。
いろいろな狛犬を観たけれど、一番哀愁漂う狛犬さんでした<(_ _)>。
昼食とお約束のおやつ


使ったお金💰
- ガソリン代 約1900円
- 下山後のアイス🍦 151円
- 合計 2051円でした。
GW期間だった為休日割引が無かったので、高速道路は使いませんでした<(_ _)>。
両神山 八丁尾根の上級者向けコース
両神山は埼玉県小鹿野町と秩父市の境にある山で、標高は1724m、日本百名山にも名を連ねています。
のこぎりの歯の様にギザギザした山容が特徴で、秩父盆地から眺めても目立っている存在感のある山です。
両神山に登山するには、日向大谷口から登るのが一般的で、私も2020年12月に登ったことがありました👇。
遠くから両神山の特徴あるギザギザした山容眺めると、ギザギザした尾根を歩きたくなった事や、ギザギザした尾根道に龍頭神社の奥宮があることを知り、いつか行きたいと思い、お天気が良い日に行ってきました。
両神山
秩父盆地から眺めてもすぐに解るほどのギザギザな山容をしている両神山で、日本百名山の著者である深田久弥氏は「巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している」と書いています。
通常、両神山と言えば山域全体の総称です。
私は、奥秩父山域で、狼が眷属として祀られている狼信仰に関心があり、狛犬として祀られている狛狼🐺探しを楽しんでいます(*^-^*)。三峯神社や武蔵御嶽神社等が狼信仰で有名です。

狛狼探しをして、以前訪れた龍頭神社(りゅうとう・りょうかみ)(埼玉県小鹿野町河原沢)で気になる石碑がありました。

両神山の事を八日見山とも呼ばれるそうで、竜神山(りゅうかみさん)、鋸岳ともあります。
山の名前に諸説あることはよくあるのですが、少し気になっていました。後に、別の本(日本百霊山 とよた時著)には、両神山と言えば剣が峰から東岳、八日見山は西岳付近を指し、竜頭山は龍頭神社の奥宮がある峯(東岳北西側の峰)とその付近と名称がわかれていたとあります。これ、結構、興味あり👀。八日見山は存在したんだ…。
龍頭神社から両神山に登る登山道は現在ありませんが、龍頭神社奥宮が両神山の東岳と西岳の間に祀られています。登山用の地図を観ると、龍頭神社奥宮は両神山の東岳と西岳の間のやせ尾根にある小高いピークに祀られています。この辺りの尾根は切れ落ちているので、登るには西岳経由だったのかと思い、八日見山と言われる西岳に尾根が続いています。

両神山は信仰の山で、一般的に多くの登山者が登る日向大谷口からの登山道が表参道になり、300体以上と言われる沢山の石碑や石仏があります。両神山を開山したのは役小角(役行者)と言われており、奈良時代になります。その後、修験道の山として信仰され多くの修験者が行場であったとあります。
剣が峰と東岳を両神山と言うならば、両神山には両神山両神神社と、両神山御嶽神社の二社が祀られています。これも、とても関心があります。なんで、二社祀られているのかなぁ。(👈後日、blogに書きたいと思い、色々調べています(;^_^A)
参考)日向大谷口からの登山
八丁尾根は上級者向けコース
日本百名山の山ですが、多くの人は日向大谷口より登るので、八丁尾根は登山者が全くいないわけではないですが少ないです。道迷いは、私は時々するので何とも言えませんが、注意して登ります。他の人のログで、龍頭神社奥宮で迷われた事が書かれていました。確かに、龍頭神社奥宮は登山道より少し奥に入った場所に祀られています。
沢山ありすぎる鎖場は、使わなくても登れる場所もありますが、使わないと登れないほどの急斜面もあります。足場も少ないように感じました。

尾根道は鋭く切れ落ちている崖の上で、落ちないように注意して進みます🙃。道中、甲斐駒ヶ岳の刀渡りのような岩場があるのですが、八丁尾根の方が難しいと思いました。私が甲斐駒ヶ岳黒戸尾根に行った時はテント泊装備だったのですが…(;^_^A。
コースの累積標高差は800m程なのですが、岩場の鎖を登っては下るの繰り返しなので、かなり体力を使います。私は比較的標準タイムか少し早い位の時間で登山することが多いのですが、八丁尾根は50-70%のゆっくりペースで、時間も6時間37分かかっています。そして、下山後はお約束の筋肉痛になり、両腕が結構辛かったです。
余裕は全くなく、緊張感のある山歩きでしたが、何故か、又行きたいなと思う、魅力がある登山になりました。上級者向けのコースなので、簡単にお勧めできませんが、行かれるならお天気が良い日を狙うと良いと思います。
岩場に足場が少ないので、雨でぬれると滑りやすく難易度が上がると思います。
山頂
両神山山頂の剣が峰は絶景が待っています。お天気が良ければ富士山も観れますが、山頂は広くなくゆっくり休憩できるスペースはなく、少し戻った場所にテーブルやベンチがあります。八丁尾根では東岳山頂にテーブルとベンチがあります。

八丁峠に向かう登山口までのアクセス
八丁峠に向かう登山口はR299からとR140からの二か所あるようです。私はR140号より中津川経由で行きました。二か所の登山口は長いトンネル(八丁街道)で繋がっている様ですが、私が行った日は登山口の先で通行止めになっていました。冬季閉鎖のような感じ。
R140号から中津川方面に入り、道なりにどんどん進み、、途中で右に曲がる場所から工事中や通行止めの看板がありますが、どんどん先に進み、登山口までは車で行けました。普通の車で大丈夫です。
途中で工事関係?の方がいたので、登山口まで行けるかを聞きましたが、登山口が結構奥にあるので知らないようでした。登山口までたどり着けるか不安になる程の山道でしたが、GoogleMapに書いていない駐車場もあり、15台程は停められます。

昼食は東岳で贅沢な山頂ランチ
両神山山頂は広くなく、登山者が写真を撮るほどのスペースしかありません。八丁尾根はやせ尾根ですが、東岳に1か所テーブルとベンチがあり、タイミングよく座ってお昼を食べることが出来ました。まさに、山頂レストランですヽ(^。^)ノ。

山にいて、絶景を眺めながら、美味しくご飯を食べている時はいつも「私って贅沢だなぁ」と、思う(*^-^*)。
詳しい山歩きのデータはこちら👇
お約束のおやつ
下山後はお約束となっているアイス🍦です。登山口がかなり山深いので、国道140号をひたすら秩父に戻り、道の駅大滝温泉にあるコンビニで購入しました。

使ったお金💰
- ガソリン代 約1700円
- アイス 198円
- 合計 1898円
でした(*^-^*)。